第六十二話『君が消える世界』
その日。
澪の透けは、
誰の目にも分かるくらい進行していた。
◆
朝の教室。
窓際の席。
光が差し込むたび、
澪の輪郭が薄く揺れる。
まるで。
世界へ馴染めなくなっているみたいに。
◆
クラスメイト達も、
どこか違和感を覚え始めていた。
「……朝霧さん、
なんか顔色悪くない?」
「最近ずっと休み多いよね」
そんな声が、
遠くで聞こえる。
◆
誰も本当の異変には気づかない。
“認識”そのものが、
少しずつ曖昧になり始めていた。
◆
昼休み。
屋上前の階段。
カナタは澪の隣へ座る。
少し触れた肩。
なんとなく、
以前よりずっと軽く感じた。
◆
「……ちゃんと寝てるか」
カナタが小さく聞く。
澪は少し笑う。
「寝てるよ」
「嘘だな」
「なんで分かるの」
「顔」
少しだけ、
二人で笑う。
その静かな時間が、
今は何より大切だった。
◆
「……カナタ」
澪が不意に呼ぶ。
「ん?」
風が吹く。
白いカーディガンが揺れる。
◆
「今の私、
ちゃんと存在できてるのかな」
その言葉に。
カナタの呼吸が止まる。
◆
澪は笑っていなかった。
ただ。
少し不安そうに、
こちらを見ていた。
◆
「最近、
変なんだ」
小さな声。
「鏡見ても、
自分が薄く見える時がある」
「音も、
遠くなるし」
「時々、
自分の声も変に聞こえる」
静かな告白。
それは恐ろしいくらい切実だった。
◆
「……朝霧」
カナタがやっと声を出す。
ただ、
何を言えばいいのか分からない。
◆
「怖いんだ」
澪が小さく言う。
「このまま、
誰にも認識されなくなったらどうしようって」
風が吹く。
よく晴れた空。
遠くの蝉の声。
◆
「カナタの記憶からも、
消えたらどうしようって」
その瞬間。
胸の奥が、
強く締めつけられる。
◆
「……消えねぇよ」
カナタが即座に言う。
「絶対忘れるもんか」
その言葉の奥で。
悠真の顔を思い出せなかった自分が、
静かに蘇る。
◆
澪は、
その表情だけで全部理解したみたいだった。
少しだけ笑う。
泣きそうになりながら。
◆
「……うん」
「分かってる」
静かな声。
「だから怖いんだよ」
◆
その瞬間。
カナタは、
何も言えなくなった。
否定できない。
約束できない。
“絶対”なんて、
この世界には存在しない。
◆
沈黙。
蝉の声。
夏の風。
その中で。
澪がそっと、
カナタの肩へ寄りかかった。
◆
「ねぇ……少しだけ」
小さな声。
「このままでいさせて」
カナタは静かに頷く。
返事をすると、
涙が溢れそうだった。
◆
ただ。
隣にいる澪の温度だけを、
必死に覚えようとしていた。
◆
その時。
カラン――
小さな音。
二人の視線が下へ落ちる。
◆
澪の鞄につけていた、
小さなガラスの砂時計。
いつの間にか、
光が止まっていた。
◆
「……あ」
澪が小さく呟く。
その声は
ひどく遠くに聞こえた。




