第六十一話『消える前に』
夏休み初日。
空は嫌になるくらい青かった。
◆
蝉の声。
白い雲。
強すぎる日差し。
世界は普通に夏なのに。
澪だけが、
少しずつ透明になっていく。
◆
最近、
透ける時間が増えていた。
指先だけじゃない。
腕。
肩。
光の加減によっては、
輪郭そのものが薄く見える時もあった。
◆
それでも。
澪は相変わらず、
「大丈夫」と笑った。
その笑顔が、
カナタには一番苦しかった。
◆
夕方。
海沿いの防波堤。
カナタと澪は並んで座っていた。
静かな波の音。
湿った風。
オレンジ色へ変わり始めた空。
◆
「……ここ、
好きなんだ」
澪が小さく言う。
「静かで落ち着くから」
カナタは黙って海を見ていた。
◆
最近、
何を話せばいいのか分からない。
下手な言葉を使うと、
本当に全て終わってしまいそうで。
◆
「……カナタ」
澪が静かに呼ぶ。
「ん」
少しだけ間が空く。
◆
「私、
本当は」
波の音。
遠くのカモメの声。
その中で。
澪は静かに言った。
◆
「本来、
もう死んでる存在なんだ」
………
世界の音が、
一瞬だけ遠くなった気がした。
◆
「……は?」
カナタがゆっくり振り向く。
澪は海を見たまま、
続ける。
◆
「正確には、
今の私は“残響”」
「世界改変で、
本来消えたはずの可能性」
静かに語る澪。
その言葉は、
ひどく重たい事実だった。
◆
「Revisionは、
ずっとそれを探してた」
「ズレた存在を、
元へ戻すために」
風が吹く。
澪の髪が揺れる。
◆
「……じゃあ、
お前」
カナタの声が掠れる。
「最初から、
消えるはずだったのかよ」
澪は数秒黙る。
それから。
小さく頷いた。
◆
胸の奥で、
何かが軋む。
嫌だった。
そんな風に納得した顔をされるのが。
◆
「……ふざけんなよ」
気づけば、
声が出ていた。
◆
「今さら、
そんな事言うなよ」
「お前、
普通に笑ってたじゃねぇか」
「音楽聴いて」
「シュワシュワサイダー飲んで」
「俺と――」
そこで言葉が止まる。
◆
澪は静かにこちらを見る。
灰青色の瞳。
少しだけ濡れているようにも見えた。
◆
「……うん」
小さな声。
「楽しかった」
その瞬間。
カナタの胸に何かが溢れてくる。
◆
「だからね」
澪が少しだけ笑う。
「最近、
怖いんだ」
波の音。
夕焼け。
夏の風。
◆
「この時間が、
消えちゃうのが」
その声は、
今にも泣きそうだった。
◆
カナタは何も言えない。
ただ。
隣にいる澪の輪郭だけを、
必死に目で追っていた。
まだいる。
ちゃんとここにいる。
失いたくない。
絶対に。
◆
その時。
澪が小さく笑った。
「……変だよね」
「消える側なのに、
生きたいって思っちゃうの」
夕陽が、
その横顔を赤く染める。
◆
カナタはゆっくり手を伸ばした。
澪の頬へ触れる。
少し冷たい。
でも。
ちゃんと温度があった。
◆
「……消えるなんてダメだ」
掠れた声。
「勝手にいなくなるなよ」
澪が目を見開く。
◆
数秒の沈黙。
それから。
澪は泣きそうに笑った。
◆
「……うん」
その返事は、
夏の終わりみたいに、
ひどく切ない余韻を残した。




