第六十話『好き』
夏休み前。
終業式を数日後に控えた学校は、
妙に浮ついていた。
◆
教室。
笑い声。
旅行の話。
遊びの予定。
それなのに、
カナタ達の周囲だけ、
どこか別の季節みたいに静かだった。
◆
澪の透けは、
少しずつ進行していた。
今日は指先。
昨日は手首。
その度に。
カナタの胸の奥が、
静かに削れていく。
◆
「……先輩」
放課後。
ひまりが小さく声をかける。
「今日、
ちょっと付き合ってください」
◆
夕方の駅前。
商店街とオレンジ色の空。
ひまりは両手を後ろで組みながら、
少し前を歩いていた。
◆
「……なんか久しぶりですね」
「何が」
「こうして普通に二人でいるの」
そう言われて、
カナタは少しだけ黙った。
◆
最近ずっと、
澪の事ばかり考えていた。
透けていく指先。
消失。
世界の修正。
頭から離れない。
◆
「……朝霧先輩の事、
考えてました?」
ひまりが不意に聞く。
カナタは苦笑する。
「顔に…出てるか」
「めちゃくちゃ出てますよぅ」
少しだけ笑い合う。
二人の間に優しい空気が流れる。
その空気は、
どこか切なかった。
◆
自販機の前。
ひまりはシュワシュワサイダーを二本買った。
「はい」
「またそれか」
「もう定番です」
プシュッ。
炭酸の音。
夕暮れの空へ溶けていく。
◆
「……ねえ先輩」
ひまりが缶を見つめたまま言う。
「私、
最初は」
「ただ先輩の音楽が、
大好きだったんです」
風が吹く。
ひまりの髪が揺れる。
◆
「文化祭で一緒に演奏して」
「曲も作って」
「笑って」
「なんだか、
すごい楽しくて」
ひまりの声は、
かすかに震えていた。
◆
「気づいたら、ね」
ひまりが小さく笑う。
「ちゃんと…
好きになってました」
◆
空気が止まる。
遠くで踏切の音が鳴る。
夕焼け。
少しぬるい夏の風。
◆
カナタは必死に言葉を探していた。
ひまりは少し困ったみたいに笑う。
◆
「……別に、
返事いらないです」
「多分、
分かってたので」
その笑顔が、
胸に痛かった。
◆
「それでも」
ひまりは少しだけ空を見る。
「ちゃんと言っておきたかったんです」
オレンジ色の光が、
横顔を照らす。
◆
「消えちゃう前に」
その瞬間。
カナタの呼吸が止まる。
◆
誰が。
何が。
消えるのか。
もう。
説明しなくても分かってしまう。
◆
「……ひまり」
カナタは声を絞り出す。
でも。
続きが出ない。
◆
ひまりは小さく首を振った。
「いいんです」
「先輩、
朝霧先輩の事になると、
本当に分かりやすいんだから」
少し笑う。
その目は、
少し赤かった。
◆
「だからね」
ひまりが静かに言う。
「ちゃんと、
隣にいてあげてください」
風が吹く。
炭酸の泡が、
静かに消えていく。
◆
「朝霧先輩、
ずっと怖いの我慢してるから」
その言葉が、
胸へ深く刺さる。
◆
カナタは何も言えず、
夕焼けの中で、
ひまりの横顔を見ていた。
笑っている。
ちゃんと。
その笑顔は、
今まで見た事が無いくらい綺麗だった。
カナタはただ、
溢れてくる感情が決壊しそうになるのを、
堪える事しか出来なかった。




