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第五十九話『透明』



 最初に気づいたのは、

 ひまりだった。


     ◆


 昼休み。


 屋上前の階段。


 三人で昼食を食べていた時。


「……あれ?」


 ひまりが小さく声を漏らす。


     ◆


「どうした」


 カナタが顔を上げる。


 ひまりは少し迷ったあと、

 澪の腕を指差した。


     ◆


「朝霧先輩、

 その……」


 澪が自分の腕を見る。


 次の瞬間。


 空気が止まった。


     ◆


 制服の袖口。


 その先。


 澪の左手が、

 薄く透けていた。


     ◆


「……っ」


 カナタの呼吸が止まる。


 光の加減なんかじゃない。


 向こう側の景色が、

 うっすら見えている。


     ◆


 澪は数秒、

 黙って自分の手を見つめていた。


 驚いている。


 でも。


 どこかで、

 理解していたみたいだった。


     ◆


「……朝霧」


 カナタが掠れた声を出す。


 澪はゆっくり袖を引っ張った。


「……大丈夫」


 小さな声。


 その言葉に、

 もう何の説得力も無かった。


     ◆


「大丈夫じゃねぇだろ!」


 珍しく、

 カナタが強く声を上げる。


 ひまりが小さく肩を震わせた。


     ◆


 澪は黙る。


 灰青色の瞳が、

 少しだけ揺れていた。


     ◆


「……やっぱり」


「世界が、

 修正を始めてる」


 風が吹く。


 白い空。


 蝉の声だけが、

 やけに遠かった。


     ◆


「修正ってなんだよ」


 カナタが低く聞く。


 澪は少し目を伏せる。


     ◆


「本来、

 存在しないものを消す力」


「世界線が不安定になると、

 ズレた存在から順番に消えていく」


 それを聞いた瞬間。


 カナタの胸の奥が、

 嫌な音を立てた。


     ◆


「……じゃあ、

 お前」


「うん」


 澪が小さく頷く。


「多分、

 私はかなり危ない」


     ◆


 沈黙。


 誰も言葉を発さない。


 夏の風だけが、

 静かに吹き抜けていく。


     ◆


「……なんでそんな、

 普通なんだよ」


 カナタが掠れた声で言う。


「怖く…ねぇのかよ」


 カナタの問いかけに、


 澪が少しだけ笑った。


     ◆


「……怖いよ」


 静かな声。


「すごく怖い」


 言いながら澪は微笑む。


 その笑顔は、

 泣きそうなくらい優しかった。


     ◆


「でもさ、

 カナタの方が怖そうだから」


 その言葉に。


 カナタは何も返せなくなる。


     ◆


 ひまりが、

 静かに俯いていた。


 制服の裾を強く握っている。


「……嫌です」


 小さな声。


     ◆


「朝霧先輩、

 消えちゃイヤです」


 その言葉が、

 やけに胸に響く。


     ◆


 澪は少し驚いたみたいに、

 ひまりを見る。


 それから。


 本当に少しだけ笑った。


     ◆


「……ありがと」


 静かな声。


 でも。


 その横顔すら、

 透けて消えてしまいそうで。


 カナタは無意識に、

 澪の手を掴んでいた。


     ◆


「……カナタ?」


 澪が少し目を見開く。


 カナタは答えない。


 答えられない。


     ◆


 ただ。


 指先から伝わる温度だけを、

 必死に確かめていた。


 まだいる。


 ちゃんとここにいる。


 失いたくない。


 本当に。


     ◆


 その時。


 ふいに風が通り抜けた。


 澪の綺麗な髪がさらりと揺れる。


 透けた指先が、

 夏の光の中で、

 ひどく儚く見えた。


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