第五十八話『それでも』
夜の街は、
妙に静かだった。
◆
カナタは一人で歩いていた。
イヤホンもつけず。
スマホも見ず。
ただ。
夜風だけを感じながら。
◆
頭の奥では、
まだノイズが鳴っている。
歓声。
ライブハウス。
ミカの歌声。
智樹の感情。
全部が、
まだ消えない。
◆
「……っ」
不意に足を止める。
電柱へ手をつく。
息が苦しい。
◆
『世界変えてやる』
知らないはずの声。
それは確かに、
自分の感情だった。
◆
「……やめろよ」
「俺は、
永瀬カナタだろ」
言い聞かせるみたいに呟く。
それでも、
胸の奥では、
別の誰かが笑っている気がした。
◆
その時。
踏切の警報音が鳴る。
赤い光。
夜風。
その景色が、
突然ひどく懐かしく見えた。
◆
『智樹』
ミカの声。
一瞬振り向きそうになる。
カナタは強く目を閉じた。
◆
「……違う」
小さく呟く。
「違うんだよ」
苦しい。
思い出せば思い出すほど、
自分が薄れていく。
◆
404NOTFOUNDは、
確かに存在していた。
智樹も。
黒瀬ミカも。
全部本物だった。
でも。
◆
「……だからって」
カナタが小さく息を吐く。
「俺が、
智樹になる必要ないだろ」
その瞬間。
頭の奥のノイズが、
一瞬だけ止まった。
◆
風が吹く。
遠くで電車が走る。
静かな夜。
◆
カナタはゆっくり空を見上げた。
白く霞んだ月。
夏の夜空。
そして。
脳裏へ浮かぶのは、
澪の言葉だった。
◆
『私は、
そんなカナタを知ってるよ』
◆
胸の奥が、
少しだけ熱くなる。
智樹じゃない。
404NOTFOUNDじゃない。
レイが残したものでもない。
◆
澪と過ごした時間。
ひまりと演奏した文化祭ライブ。
シュワシュワサイダー。
夏の海。
【No Signal】
【Blue Noise】
【Patch】
【夜を越える前に】
全部。
永瀬カナタとして生きた時間だった。
◆
「……そっか」
小さく呟く。
その瞬間。
ようやく少しだけ、
呼吸が楽になった。
◆
「俺は、
永瀬カナタでいいんだ」
誰にも聞こえないくらい静かに呟く。
それは確かに、
自分自身の言葉だった。
◆
その時。
スマホが震えた。
【朝霧 澪】
『どこ?』
短いメッセージ。
◆
カナタは少しだけ笑う。
『外』
それだけ返す。
数秒後。
『迎えに行く』
その文字を見た瞬間。
胸の奥のノイズが、
また少し静かになった。
◆
十分後。
駅前の自販機の前。
澪が小さく息を切らしながら立っていた。
◆
「……来るの早っ」
「近かったから」
澪が小さく言う。
その額には少し汗が滲んでいた。
◆
「……無理してないか」
「してない」
「嘘つけ」
カナタが苦笑する。
澪も少しだけ笑った。
◆
夜風が吹く。
二人で並んで歩く。
会話は少ない。
不思議と、
その沈黙が苦しくなかった。
◆
「……カナタ」
澪が小さく呼ぶ。
「ん?」
少しだけ間が空く。
◆
「ちゃんと、
戻ってきてね」
静かな声。
泣きそうなくらい優しかった。
◆
カナタは数秒黙る。
それから。
小さく笑った。
◆
「……帰る場所、
あるし」
その瞬間。
澪が、
本当に安心したように笑った。
◆
夏の夜風が吹く。
白い街灯。
ふたつ並んだ影。
その景色は、
今のカナタのものだった。




