第五十七話『あなたは誰?』
その夢は、
あまりにも鮮明だった。
◆
暗いライブハウス。
煙草の匂いとアンプの熱。
耳鳴りみたいな歓声。
ステージ袖。
ギターを抱えた自分。
◆
『智樹、
次ラストな』
直人の声。
知らないはずなのに、
自然に理解できた。
◆
『ミカ、
いける?』
『誰に聞いてんの』
黒瀬ミカが笑う。
妖しい光を宿した瞳。
その視線が、
真っ直ぐこちらを見る。
◆
『智樹』
名前を呼ばれる。
その瞬間。
胸の奥で、
何かが大きく揺れた。
◆
「っ――!」
カナタは飛び起きた。
荒い呼吸。
汗ばんだシャツ。
まだ耳の奥で、
歓声が鳴っているような感覚。
◆
「……智樹」
無意識に、
その名前を口にしていた。
その瞬間。
頭の奥へ、
白いノイズが走る。
◆
ギター。
ライブ。
曲作り。
ミカの声。
遥。
ステージ照明。
知らない記憶が、
一気に流れ込んでくる。
◆
「っ……!」
頭を押さえる。
苦しい。
吐きそうなくらい。
でも。
止まらない。
◆
『絶対売れるぞ』
『世界を変えてやる』
『俺達ならいけるさ』
知らない声。
それなのに、
全部、
自分の感情だった。
◆
「……なんだよ、
これ」
呻くように呟く。
怖い。
本当に。
自分が、
誰なのか分からなくなる。
◆
昼休み。
屋上前。
澪はカナタを見るなり、
小さく息を呑んだ。
◆
「……一体何があったの」
カナタは答えられない。
ずっと頭が痛い。
現実感が薄い。
世界が少し遠い。
◆
「……俺」
掠れた声。
「多分、智樹だった」
風が止まる。
◆
ひまりが目を見開く。
澪も、
静かに固まっていた。
◆
「夢を見たんだ」
「でも、
あれは夢じゃなかった」
紡ぐ言葉に自分でも恐怖している。
「分かるんだよ」
「ギターも、
曲も、
ライブも」
「俺、
全部知ってるんだ」
◆
沈黙。
白い空。
遠くの蝉の声。
その中で。
澪だけが、
静かにカナタを見ていた。
◆
「……カナタ」
声をかける澪。
カナタはその声に、
うまく反応できない。
頭の奥で、
別の感情が暴れている。
◆
『UNDEFINED』
『ERROR』
『TRACE』
バンドの曲名。
観客の歓声。
ミカの歌声。
全部が、
胸の奥へ流れ込んでくる。
◆
「……じゃあ、
俺は誰なんだよ」
気づけば、
そう呟いていた。
◆
「永瀬カナタ?」
「智樹?」
「一体どっちなんだよ」
その声は、
少し震えていた。
◆
ひまりは何も言えない。
ただ不安そうにカナタを見ている。
◆
澪が、
ゆっくり立ち上がった。
そして。
静かにカナタの前へ来る。
◆
「……顔上げて」
小さな声。
カナタはゆっくり顔を上げる。
灰青色の瞳。
そっと、カナタを抱きしめる。
◆
「私は、
智樹がどんな人か知らない」
静かな声。
「404NOTFOUNDも、
映像でしか知らない」
風が吹く。
白い空。
◆
「だから」
澪が続ける。
「私が一緒にいたのは、
永瀬カナタだよ」
その言葉が。
白いノイズの中で、
やけにはっきり響いた。
◆
「ギター弾いて」
「くだらない事言って」
「シュワシュワサイダー飲んで」
「私に“大丈夫”って言う」
澪が少しだけ笑う。
◆
「私は、
そんなカナタを知ってるよ」
その瞬間。
胸の奥のノイズが、
ほんの少しだけ静かになる。
◆
カナタは言葉を失う。
次の瞬間。
視界が大きく揺れた。
◆
ブツッ。
白いノイズ。
ライブ会場。
歓声。
ミカの笑い声。
『智樹』
呼ばれる。
頭が割れそうになる。
◆
「っ……!」
カナタが膝をつく。
「先輩!」
「カナタ!」
遠くで声がする。
もう。
どっちの自分が、
呼ばれているのか分からなかった。




