第五十三話『黒瀬ミカ』
その名前を、
カナタは何度も頭の中で繰り返していた。
黒瀬ミカ。
404NOTFOUNDのボーカル。
そして。
天音レイに、
よく似た存在。
◆
夜。
部屋。
机の上には、
停止した映像データ。
イヤホン。
飲みかけのサイダー。
カナタは、
何度も同じ映像を再生していた。
◆
ミカの笑い方。
歌声。
視線。
どれをとっても、
レイと重なる。
◆
『ちゃんと、
音楽続けてね』
映像越しの声。
それを聞いた瞬間。
胸の奥が、
妙に苦しくなる。
◆
「……なんなんだよ」
小さく呟く。
レイはもう消えた。
世界から。
記録から。
なのに。
どうしても、
消えた気がしない。
◆
その時。
スマホが震えた。
【朝霧 澪】
『今から会える?』
◆
夜の公園。
人気のないブランコ。
白い街灯。
夏の湿った風。
澪は、
静かにそこへ座っていた。
◆
「……悪い、遅くなった」
カナタが近づく。
澪は小さく首を振る。
「ううん」
◆
少しの沈黙。
遠くで電車の音。
ブランコが小さく軋む。
◆
「……ミカの事、
考えてた?」
澪が不意に言う。
カナタは少し驚く。
「……分かるのか」
「顔見れば」
澪が小さく笑う。
本当に少しだけ。
◆
「……レイに似てる」
カナタが呟く。
「歌い方も、
空気も」
澪は静かに頷いた。
◆
「……多分」
小さな声。
「レイは、
黒瀬ミカが書き換えられた存在」
風が吹く。
白い街灯の光が揺れる。
◆
「書き換え?」
澪は少し黙る。
それから。
「存在消失した人間が、
別の形で再構築される事がある」
「感情だけ残って、
別の人格として成立する」
静かな声。
「レイは、
その可能性が高い」
◆
カナタは言葉を失う。
レイはレイだった。
まさか、
その奥に、
黒瀬ミカがいたなんて。
◆
「……じゃあ」
カナタが掠れた声を出す。
「レイが、
俺の事知ってたのって」
澪が目を伏せる。
「……ミカだったからかもしれない」
◆
静寂。
夜風。
遠くの車の音。
その中で。
カナタは、
レイの最後の声を思い出していた。
『あなたは、
永瀬カナタだから』
◆
「……意味分かんねぇよ」
カナタが小さく笑う。
「知らない奴の記憶があって」
「消えた人が別の人になってて」
「世界線とか言われても」
その声は、
少し震えていた。
◆
澪は何も言わない。
ただ。
隣へ座っていた。
それだけだった。
◆
「……でも」
澪が小さく呟く。
「レイは、
最後までレイだったと思う」
カナタが顔を上げる。
澪は街灯を見たまま、
続ける。
◆
「黒瀬ミカの残響だったとしても」
「ちゃんと、
自分の意思で歌ってた」
静かな声。
「だから、
私はレイが好きだった」
その言葉は
とても優しく紡がれた。
◆
風が吹く。
その瞬間。
澪の髪が頬へかかる。
カナタは反射みたいに、
その髪へ手を伸ばしかけた。
◆
でも。
触れる直前で止まる。
澪がこちらを見る。
灰青色の瞳。
近い。
近すぎる。
◆
「……なに」
小さな声。
「……いや」
カナタが慌てて目を逸らす。
澪は数秒黙る。
それから。
本当に少しだけ笑った。
◆
「……変なの」
その声が、
妙に耳に残った。




