第三十話『書き換える歌』
天音レイの歌は、
一夜で街を変えた。
◆
翌朝。
空気が違った。
駅前も。
学校も。
街そのものが、
少しだけ優しくなっている。
「……なんか今日、
平和じゃない?」
「分かる」
「朝からイライラしない」
教室では、
そんな会話が聞こえていた。
昨日まで漂っていた、
刺々しい感情が薄れている。
怒り。
焦燥。
不安。
全部が、
少しだけ遠くなっていた。
◆
「……おかしい」
窓際。
澪が小さく呟く。
「何が」
「感情ノイズが減ってる」
その声は、
安心ではなく警戒だった。
「減るのはいい事じゃねえの」
「普通ならね」
澪は静かに窓の外を見る。
「でも、
これは減り方が綺麗すぎる」
意味が分からない。
でも。
確かに今日は、
世界が静かすぎた。
◆
昼休み。
駅前の大型モニターでは、
また天音レイの映像が流れていた。
青白いライト。
静かな歌声。
通行人たちは、
足を止めて見入っている。
しかも。
誰も騒がない。
ただ静かに、
涙を流している。
「……怖」
思わず漏れた。
ひまりも隣で、
少し不安そうな顔をしている。
「でも、
なんか安心するんですよね」
小さな声。
「聴いてると、
苦しくなくなる」
その言葉に、
澪が反応する。
「……ひまり」
「はい?」
「長く聴かない方がいい」
静かな忠告。
でも。
ひまりは困ったように笑った。
「なんでですか?」
澪は答えない。
代わりに、
レイの映像をじっと見つめていた。
◆
放課後。
音楽室。
カナタは『Patch』を流していた。
静かなピアノ。
少ない音。
でも。
今日は、
何かが違って聞こえる。
「……薄い」
無意識に呟いていた。
「え?」
ひまりが振り向く。
「いや……」
言葉にできない。
でも。
昨日まで胸へ残っていた感情が、
少しだけ遠い。
まるで、
別の何かに上書きされているみたいだった。
◆
「……書き換えてる」
澪が小さく言う。
ピアノの前。
白い指先。
「レイの歌、
感情のノイズを整えてる」
「整える?」
「痛みとか不安を、
静かに均してる」
澪は少し苦しそうだった。
「だから、
みんな安心する」
カナタは黙る。
確かに。
昨日より世界は穏やかだ。
でも。
その穏やかさが、
少しだけ不自然だった。
◆
「……それって悪いのか」
カナタが聞く。
澪は少しだけ考える。
「分からない」
静かな声。
「救われてる人、
たぶん本当にいるから」
その瞬間。
ひまりがぽつりと呟く。
「私、
昨日久しぶりにちゃんと眠れました」
空気が止まる。
「夢、
見なかったんです」
その言葉に、
澪の表情が少しだけ曇る。
◆
夕暮れ。
音楽室。
窓の外が青く染まり始める。
その時。
ブツッ。
スピーカーが小さくノイズを鳴らした。
白い砂嵐。
そして。
微かに、
レイの歌声が混ざる。
『――』
柔らかい。
優しい。
なのに。
カナタの胸だけが、
強く痛んだ。
その瞬間。
頭の奥へ、
一瞬だけ知らない景色が流れ込む。
赤紫の照明。
ステージ。
歓声。
そして。
黒瀬ミカの笑顔。
『――智樹』
「っ……!」
ノイズ。
頭痛。
視界が揺れる。
カナタは机へ手をつく。
「カナタ!」
澪の声。
でも。
その奥で。
別の歌声が重なっていた。
レイじゃない。
もっと懐かしい声。
優しく笑う、
黒瀬ミカの声。
次の瞬間。
ノイズは消える。
静かな音楽室。
夕暮れ。
でも。
カナタの胸だけが、
ずっとざわついていた。
◆
帰り道。
駅のホーム。
『まもなく、
一番線に電車が参ります』
いつものアナウンス。
その変わらない声を聞きながら、
澪が小さく呟いた。
「……天音レイは、
世界を救おうとしてる」
風が吹く。
白い光。
「でも、
たぶんやり方を間違えてる」




