第三話『記憶保持者』
「“改変”って、
聞いたことある?」
夜風が、静かに吹いていた。
コンビニの白い光。
車の走行音。
遠くの踏切。
全部いつも通りなのに、
その言葉だけが妙に現実感を失わせる。
「……何それ」
澪はシュワシュワサイダーの缶を指先で軽く回した。
「そのままの意味。
世界が、少しずつ書き換わってる」
「は?」
「人の記憶とか、
場所とか、
存在とか」
あまりにも自然に言うから、
一瞬だけ本気で信じそうになる。
「いやいや待てって。
そんなの……」
「普通は気づかない」
澪が言葉を重ねる。
「変わったあと、
みんな“最初からそうだった”
って認識に修正されるから」
頭がおかしくなりそうだった。
「……じゃあ俺だけがおかしいって?」
「違うよ」
澪は俺を見る。
静かな灰青色の瞳。
「カナタは、
“ズレ”を感じ始めてる」
名前を呼ばれて、
一瞬だけ胸がざわついた。
「なんで俺の名前」
「同じクラスだし」
「いやそうだけど……」
なんなんだ、この空気。
初対面みたいなのに、
妙に距離が近い。
「……朝霧は、
その改変ってやつ、
前から知ってんの」
「うん」
即答だった。
「ずっと前から」
その言い方が妙に引っかかる。
まるで、
ずっと見続けてきたみたいな。
◆
帰宅後。
部屋の電気をつける。
白い壁。
散らばったコード。
昨日と同じ部屋。
……のはずだった。
「……あれ」
机の上。
置いていたはずの黒いピックがない。
いや、
違う。
代わりに赤いピックが置かれている。
昨日買った記憶なんてない。
でも、
ケースの中を見ると、
同じ種類の赤ばかり並んでいた。
「……なんだよこれ」
気味が悪い。
スマホを開く。
WAVE。
『夜を越える前に』
再生数。
5,203。
「……は?」
増えすぎだろ。
通知欄が埋まっている。
『歌詞が頭から離れない』
『なんでか泣きそうになる』
『これ聴いたあと、
景色変わった気がした』
指が止まる。
『世界、ズレてない?』
息が詰まった。
画面を閉じる。
「……なんなんだよ」
小さく呟く。
でも、
本当は少し分かっていた。
昨日から、
確実に何かがおかしい。
◆
翌日。
昼休み。
屋上前の踊り場。
人が少ない場所を選んで、
ひとりでイヤホンをつける。
再生。
『夜を越える前に』
アコギ。
ピアノ。
自分の声。
なのに、
どこか知らない曲みたいだった。
「やっぱり来てた」
声。
イヤホンを外す。
澪。
白いカーディガン。
風で長い黒髪が揺れている。
「……尾行?」
「違う。
なんとなく分かっただけ」
「何が」
「音が静かだから」
意味が分からない。
でも、
この数日で慣れ始めてる自分が嫌だった。
澪は壁にもたれながら、
じっとこちらを見る。
「……カナタ、
昔の記憶って自信ある?」
「は?」
「昨日と今日、
本当に同じ世界だと思う?」
ぞくり、とした。
「……やめろよ」
「怖い?」
「当たり前だろ」
澪は少しだけ目を伏せた。
「うん。
最初はみんなそうだった」
「みんな?」
その瞬間。
澪の表情が、
ほんの少しだけ曇った。
「……ごめん。
今のは忘れて」
「いや待てよ」
「まだ早いから」
まだ早い。
その言葉が、
妙に冷たかった。
◆
放課後。
音楽室。
誰もいない部屋に、
西日だけが差し込んでいる。
カナタはギターを膝に置いたまま、
ぼんやり窓を眺めていた。
「ここ好きなの?」
いつの間にか、
澪が隣に立っていた。
「……静かだから」
「そっか」
澪はゆっくり部屋を見回す。
それから、
ピアノに触れた。
ぽぉん、と。
柔らかい音。
「……変わってない」
「何が」
「この音」
澪は少しだけ笑った。
本当に小さな笑みだった。
「全部変わっていくわけじゃないんだね」
その言葉が、
なぜか少しだけ嬉しかった。
窓の外。
夕焼け。
静かな光。
その時だった。
――ブツッ。
突然。
世界の音が途切れる。
「っ……!」
耳鳴り。
白いノイズ。
視界が揺れる。
澪が立ち上がる。
「……まずい」
次の瞬間。
窓の外の景色が、
一瞬だけ別の色に見えた。
知らない街。
知らない空。
そしてすぐ戻る。
音も戻る。
静寂。
カナタは息を呑んだ。
「……今の、
何だよ」
澪は窓の外を見たまま、
小さく呟く。
「改変が、
大きくなる前兆」




