第二話『違う世界』
「……何の話だよ」
夕焼けに染まる廊下。
朝霧澪は窓の外を見たまま、小さく首を傾げた。
長い黒髪がオレンジ色の光を反射している。
「たぶん、まだ実感ないよね」
「だから何が」
「そのうち分かる」
静かな声だった。
感情が薄いわけじゃない。
ただ、波が小さい。
そんな喋り方。
「……意味分かんないんだけど」
澪は答えない。
顎先に人差し指を当てたまま、少しだけ考え込む。
それから。
「気をつけて帰ってね」
それだけ言って、歩き去っていった。
残されたのは、妙な違和感だけだった。
◆
帰り道。
駅前の景色を見た瞬間、また足が止まった。
「……あれ」
昨日まであったはずのCDショップがない。
いや、正確には違う。
そこには昔ながらの喫茶店があった。
木製の看板。
黄色い照明。
見覚えがない。
「……こんなのあったか?」
スマホを取り出す。
地図アプリ。
店名検索。
普通に出てくる。
レビューもある。
“創業二十年”
意味が分からない。
胸の奥がざわつく。
通り過ぎる人たちは、誰も気にしていない。
自分だけが世界から少しズレてるみたいだった。
◆
ホームに電車が滑り込む。
『まもなく、二番線に電車が参ります』
アナウンス。
いつもの声。
それを聞いた瞬間だけ、不思議と少し安心した。
変わってない。
ちゃんと、いつものままだ。
電車に乗り込み、窓にもたれる。
夕焼けが流れていく。
イヤホンを耳につける。
再生履歴の一番上。
『夜を越える前に』
自分で作った曲なのに、妙に他人みたいに感じた。
WAVEを開く。
再生数。
1,842。
「は?」
思わず声が漏れた。
昨日まで二桁しか行かなかったアカウントだ。
コメント欄を開く。
『なんか昔の記憶思い出した』
『怖いくらい泣ける』
『これ聴いてたら、一瞬音消えなかった?』
『夢みたいな曲』
背筋がゾクっとした。
「……なんなんだよ」
指先が少し震えていた。
◆
翌日。
教室に入っても違和感は消えなかった。
黒板横の時間割。
担任の名前。
窓際の掲示物。
全部、ほんの少しだけ記憶と違う。
でも誰も気づいていない。
「永瀬ー、プリント回して」
「あ、悪い」
普通だ。
みんな、いつも通り。
なのに俺だけが世界に置いていかれてる。
窓際を見る。
朝霧澪。
外を眺めている。
白い光の中で、やけに静かだった。
ふと、澪がこちらを見る。
一瞬だけ視線が合う。
その瞬間。
妙に安心してしまった自分に気づいて、嫌になる。
◆
放課後。
音楽室前の廊下。
ドア越しにギターの音が漏れている。
立ち止まる。
「やっぱり来た」
声。
振り向く。
澪が壁にもたれていた。
「……何」
「昨日、何か投稿した?」
心臓が止まりそうになる。
「……なんで」
「音、揺れてたから」
「音?」
「世界って、
大きく変わる前に少しだけノイズが入るんだよ」
淡々と言う。
冗談を言ってる顔じゃなかった。
「……意味分かんねえ」
「うん。
普通はそう」
澪は小さく笑った。
初めて見た表情だった。
◆
帰り道。
コンビニの自動ドアが開く。
冷たい空気。
蛍光灯。
炭酸コーナーへ向かう。
シュワシュワサイダーを手に取る。
その時。
隣から同じ缶を取る手が伸びてきた。
「あ」
澪だった。
彼女は少しだけ目を丸くする。
「……同じなんだ」
「いや、別に」
澪は缶を見つめたまま呟く。
「前の世界だと、
パッケージ青だった」
「……は?」
澪は静かにレジへ向かう。
俺は動けなかった。
前の世界?
なんだそれ。
なんでそんな当たり前みたいに言える。
店の外。
夜風。
炭酸の缶を開ける。
小さな音。
澪は夜空を見上げたまま言った。
「“改変”って、
聞いたことある?」
その言葉だけが、
妙に冷たく耳に残った。




