第二十七話『感情汚染』
『Patch』を公開したのは、
深夜二時だった。
◆
理由は特になかった。
ただ。
今しかない気がした。
静かな部屋。
白い画面。
アップロードボタン。
一瞬だけ迷う。
でも。
結局、
カナタは公開を押していた。
【K - Patch】
投稿完了。
その瞬間。
ブツッ。
部屋の照明が、
一瞬だけ小さく揺れた。
「……っ」
最近、
こういうのに慣れ始めてる自分が嫌だった。
◆
翌朝。
学校。
空気が少し変だった。
「……昨日、
寝れなかった」
「分かる」
「なんか、
ずっと曲頭に残ってる」
教室のあちこちで、
『Patch』の話が聞こえる。
しかも。
みんな妙に感情が不安定だった。
笑っていたと思えば、
急に黙る。
普通に会話していたのに、
急に泣きそうな顔になる。
教室全体が、
薄いノイズに包まれているみたいだった。
◆
「……早すぎる」
窓際。
澪が小さく呟く。
「何が」
「広がるの」
静かな声。
「今回、
共鳴が深い」
カナタはスマホを見る。
WAVE。
【Patch】
再生数:急上昇
コメント欄。
『理由ないのに泣いた』
『昔の夢思い出した』
『誰か思い出せそう』
『聴くと苦しい』
『でも止められない』
胸がざわつく。
「……俺のせいかよ」
「半分くらい」
「半分何なんだよ」
澪は答えない。
代わりに、
静かに窓の外を見た。
◆
昼休み。
廊下。
突然、
怒鳴り声が響いた。
「だから違うって言ってんだろ!!」
男子生徒同士が揉めている。
周囲がざわつく。
どこか違和感があった。
理由が、
あまりにも些細だった。
「お前、
昨日既読無視しただろ!」
「は!?
そんなことで――」
「そんなことじゃねえよ!!」
感情の温度が異常だった。
怒り。
焦燥。
苛立ち。
全部が必要以上に膨らんでいる。
「……っ」
カナタは胸を押さえる。
空気が重い。
感情そのものが、
空間へ滲んでいるみたいだった。
◆
放課後。
音楽室。
今日はひまりもいた。
でも、
様子がおかしい。
「……ひまり?」
呼びかけても反応が遅い。
窓際で、
ぼんやり外を見ている。
「……あ、
すみません」
「大丈夫か」
ひまりは少し笑う。
でも。
その笑顔はかなり無理していた。
「なんか最近、
人の感情が近いんです」
空気が止まる。
「……近い?」
「みんなの気持ち、
分かる感じ」
ひまりは自分の腕を掴く。
「悲しい人いると、
苦しくなるし」
「怒ってる人いると、
怖くなるし」
声が少し震える。
「私、
変になっちゃったのかな」
澪が静かに立ち上がる。
「……違う」
小さな声。
「感受性が、
同期してるだけ」
「同期……?」
ひまりは意味が分からない顔をする。
当然だ。
本来、
そんな現象は存在しない。
◆
その時。
ブツッ。
音楽室のスピーカーが、
一瞬だけノイズを鳴らした。
白い砂嵐。
そして。
微かに、
誰かの歓声が混ざる。
「……っ」
カナタと澪が同時に顔を上げる。
次の瞬間、
ノイズは消える。
静寂。
夕焼け。
ひまりだけが、
小さく呟いた。
「……また、
あの歌」
空気が止まる。
「ひまり?」
ひまりは自分でも驚いた顔をしている。
「なんか、
知らないライブの夢見るんです」
静かな声。
「青いライトで」
「みんな泣いてて」
「でも、
すごく綺麗で」
澪の顔色が、
ほんの少しだけ変わる。
◆
帰り道。
駅前。
巨大ビジョン。
藤崎クロが興奮した声で喋っている。
『Patchマジやばくね!?』
『感情持ってかれるんだけど!』
コメント欄。
『分かる』
『泣いた』
『怖い』
『でも救われる』
『Kって何者?』
その熱が、
街全体へ広がっていく。
ゆっくり。
でも確実に。
そして。
巨大ビジョンの端へ、
一瞬だけ見慣れない文字列が浮かぶ。
【同期率:52%】
ブツッ。
ノイズ。
次の瞬間には、
もう消えていた。




