第二十話 『消えた痕跡』
掌の上の赤いギターピック。
小さな傷。
削れた角。
見覚えがある。
昨日まで、
確かに悠真が使っていたものだ。
「……っ」
強く握る。
胸の奥が痛い。
世界中が、
“何もなかった”
みたいな顔をしている。
それなのに。
これだけが残っている。
◆
翌朝。
教室。
「おはよー」
いつもの空気。
いつもの朝。
カナタだけは、
違う世界を見ていた。
教室の後方。
本来なら悠真の席があった場所。
そこには今、
別の生徒の机が置かれている。
「……なんだよそれ」
誰も違和感を持っていない。
クラス表も。
ロッカーも。
全部最初からそうだったみたいに、
自然に再構築されている。
「先輩?」
ひまりが不思議そうに近づく。
「なんだか顔色悪いですよ」
「……ひまり」
「はい?」
言葉に詰まる。
どう聞けばいいのか。
ただ、
聞いた瞬間、
本当に悠真がいなくなる気がしてしまう。
「……何でもない」
ひまりは少しだけ首を傾げた。
◆
昼休み。
カナタは一人で、
校舎裏の階段に座っていた。
赤いピックを見つめる。
ノイズはない。
世界も静かだ。
そうだ。
静かすぎる。
「……残っちゃったんだ」
声。
澪。
白いカーディガン。
静かな足音。
「……朝霧」
澪はカナタの隣へ座る。
そして。
ピックを見る。
「物理痕跡」
「……?」
「改変後も、
たまに残るものがある」
カナタはピックを握る。
「……なんで、
俺だけ覚えてるんだ」
澪は少し黙る。
風が吹く。
「カナタ、
改変に引っ張られてないから」
「意味分かんねえよ」
「……普通なら、
全部忘れるの」
澪は静かに空を見る。
「でもカナタは、
音で繋がっちゃってるから」
また、
その言葉。
繋がる。
残る。
感情。
全部、
少しずつ輪郭を持ち始めていた。
◆
放課後の音楽室。
ギターを抱えても、
今日は集中できなかった。
いつもなら全く気にならない、弦を押さえる指が何故か痛い。
胸の奥も痛い。
「……先輩」
ひまりだった。
でも今日は、
いつもの明るさがない。
「なんか、
変なんです」
カナタが顔を上げる。
「……何が」
ひまりは少し迷ってから、
静かに言った。
「私…
昨日泣いてた気がするんです」
心臓が跳ねる。
「でも、
理由が思い出せなくて」
ひまりは困ったように笑う。
「…変ですよね」
その笑顔が、
少し苦しかった。
「……あと」
「?」
「なんか、
誰かと話してた気がするんです」
空気が止まる。
「先輩じゃない、ギター持ってる人」
カナタの呼吸が止まりそうになる。
「でも顔だけ、
思い出せなくて」
ひまりは目を伏せる。
「私、
変になっちゃったのかな」
「……違う」
反射的に言っていた。
ひまりが少し驚いた顔をする。
「違うから」
その声は
遮るように強かった。
◆
夕暮れ。
窓の外。
オレンジ色の光。
静かな音楽室。
澪がぽつりと呟く。
「……違う」
カナタが振り向く。
「これは、
クロだけの改変じゃない」
空気が止まる。
「……どういう意味だよ」
澪は窓の外を見たまま、
静かに言った。
「もっと大きい何かが、
動き始めてる」
その瞬間。
ブツッ。
音楽室のスピーカーが、
一瞬だけ小さくノイズを鳴らした。
ほんの微かに。
誰かの歌声みたいなものが、
混ざっていた気がした。




