第十七話『消失前夜』
昨日の騒ぎが嘘みたいに、
今日は静かだった。
教室も。
廊下も。
SNSですら。
みんな、
“何もなかった”
みたいに笑っている。
その方が、
逆に気味悪かった。
◆
「昨日マジやばかったよなー」
「一瞬音消えたやつ?」
「なんかもう普通じゃね?」
笑い声。
軽い会話。
でも。
どこか薄い。
まるで、
感情に透明な膜が張っているみたいだった。
カナタは窓際を見る。
澪。
白い光の中。
静かな横顔。
目が合う。
澪は少しだけ安心したみたいに、
小さく目を細めた。
その瞬間。
教室のドアが勢いよく開く。
「永瀬ー!」
柊悠真。ひまりの兄だ。
ギターケースを背負ったまま、
片手を上げる。
「今日暇?」
「急だな」
「スタジオ空いてんだよ」
「また?」
「また」
軽い調子。
いつも通り。
その“いつも通り”が、
今は妙にありがたかった。
「……行く」
「よし」
悠真は嬉しそうに笑う。
◆
放課後。
小さなスタジオ。
古いアンプ。
埃っぽい空気。
ギターを肩に掛ける。
弦を鳴らす。
その瞬間だけ、
頭の奥のノイズが静かになる。
「……やっぱいいな」
悠真が言う。
「お前とやると落ち着く」
「告白か?」
「違ぇよ」
笑い合う。
コードを鳴らす。
即興のセッション。
夕方の空気。
最近ずっと、
世界がおかしかった。
でも。
今だけは、
少し普通の日常に戻れた気がした。
◆
「……なあ」
悠真がギターを鳴らしながら言う。
「Kってお前だろ」
手が止まる。
「……は?」
「いや、
絶対そうじゃん」
「なんで」
「音」
悠真は笑う。
「分かるって」
心臓が少しざわつく。
「別に言いふらさねえよ」
「……だったら聞くな」
「認めてるじゃん」
「うるさいな」
悠真は楽しそうに笑った。
その笑い声を聞いていると、
妙に安心する。
◆
スタジオを出る頃には、
空は夜になっていた。
駅前。
コンビニの白い光。
「なんか買ってく?」
「シュワシュワサイダー」
「また?」
「また」
悠真は呆れたように笑う。
「好きだなお前」
「お前も前飲んでただろ」
「え?」
悠真が少し止まる。
「……俺?」
「文化祭前とか」
悠真は少し考え込む。
「……いや、
飲んだっけ」
その瞬間。
ほんの一瞬だけ。
カナタの頭にノイズが走る。
白い砂嵐。
知らないライブハウス。
笑い声。
すぐ戻る。
「……いや、
気のせいか」
「なんだよそれ」
悠真は笑う。
でも。
どこか少しだけ、
遠い。
◆
帰りのホーム。
夜風。
蛍光灯。
『まもなく、
一番線に電車が参ります』
いつものアナウンス。
その声だけは、
何も変わらない。
「なあ永瀬」
悠真が夜空を見上げたまま言う。
「もしさ」
「?」
「周りのやつが急に誰かいなくなったりしたら、
どうする?」
心臓が止まりそうになる。
「……なんだよ急に」
「いや、
最近変な夢見るからさ」
悠真は少し笑う。
でも、
その笑顔はどこか寂しそうだった。
「なんか、
みんな忘れてく夢」
風が吹く。
電車の音。
ホームの光。
「……忘れねえよ」
反射的に言っていた。
悠真が少し驚いた顔をする。
「おお、
なんか熱いお言葉」
「うるせえ」
悠真は笑う。
そして。
「じゃあ安心だ」
静かに、
そう言った。
その時。
ホームの照明が、
一瞬だけ小さく明滅した。
ブツッ。
ほんの小さなノイズ。
でも。
カナタだけが、
なぜか嫌な予感を覚えていた。




