純白氷槌
翌日、朝食を終えたエリスは、ヤトオウドの頼みで道場に来ていた。
「それで、頼みと言うのはなんですか?」
「一人、問題児と言う訳ではないのだが。厄介な門下生がいてのぅそいつの鱗を砕いてやってほしいのだ」
「鱗を、砕く?」
エリスは聞いた事が無い言葉で、その意味を文字通りに受け取っていたが、実際には少し違う。
爬魔族のことわざのような物で、自慢できないようにするという意味がある。
日本風に言えば「天狗の鼻を折る」だろうか。
「今日あたりに帰って来ると思うが、奴は竜族の出でのぅ。ここの門下生では太刀打ち出来んで困っておったのだ」
その門下生の名前は、ステルヴィオ・ドラ・ドラゴネッティ。この道場ではステルと呼ばれているらしい。
彼は爬魔竜族の正統後継者であり、爬魔三大武門の一つ、竜機道場の跡取り息子。
因みに、三大道場の正統後継者達は、キュウが生み出した魔族原種でもある。
蛇を元に想像した、ヨルの血。竜を元に想像した、ドラの血。鰐を元に想像した、アリの血。
今ではその他にも混ざり合って新たな血族が生まれているようだが、古くから続く血が色濃く残っているのは、全魔族の中でも爬魔だけだろう。
「おじさんではダメなんですか?」
昨日の雑談で、小父さんと呼ぶ事を許されたエリスは、気兼ねなくそう呼んでいた。
魔国広と言えど、彼をこう呼べるのはここに居る三姉妹くらいだろう。
「うむ、ワシでは負けて当然。自分がどこまで高められたかを知るには当然の敗北だと思っているみたいでのぅ」
武闘家として優秀なのかもしれないが、武術家として圧倒的に足りない物が一つ。心だ。
力を求めすぎるうちに、力を求める心ばかりが成長し、敵を思うという心を忘れてしまったのだろう。
真に心を会得しなければ、その先に待つのは死と言う名の敗北。
エリスは思い浮かべていた、自分が命を奪った、力に溺れた哀れな獣魔の事を。
「わたしが、その方を救えるのなら、やります」
「そうか、やってくれるか!・・・ありがたい」
そう言って頭を下げたヤトオウドは、試合の準備に取り掛かった。
エリスの目に移るのは、誰かを救いたいと言う、新たな信念。
問題児が帰って来るまでの間、エリスはキュウに指南を受けていた。
ヌエの部屋で一枚の鉄板に描かれた術式を指でなぞりながら、術式の展開を想像していく。
今回の試合で必要なのは、圧倒的な力を持って、圧倒的に勝利する事。
その為に必要な準備をしているのだ。
「固定術式と変則術式の併用と、臨機応変な対応。魔力の二重操作になるが、このくらいなら今のお前でも十分使える筈だ」
「えっと、ここの術式を展開させて、固定と、こっちがこれに接続されて、あれ?ここはこれでいいんですか?」
「そこは擬似移動させて退路を無くし、最終式に繋ぐ所だ、威力は必要ない」
「なるほど、氷鎖の応用みたいなものなんですね」
準備と言っても、エリスはそこまで気負いしている訳ではない。
そもそもキュウに指導を受けるのは好きであるし、自分の可能性を広げていける機会は有効に活用していく、というのがキュウの指導方法でもある。
たとえ、それによって一人の武術家がどうなろうと知った事ではない。
敗れてなお立ち上がる者でなければ、キュウの望む想像には届かないからだ。
試合での方針も定まった頃、ヌエがエリスを呼びに来た。
「姉者、ステルが帰ってきましたので、紹介を・・・。お取り込み中でしたかな?」
「大体の方針は決まったので大丈夫です。行きましょう」
鉄板を胸ポケットに入れ、立ち上がる。
道場の中に入ると、そこには多くの修行者とヤトオウド、二本の短槍を背負った一人の男が立っていた。
「この一年で見違えたな、ステルよ」
「んぉ?ヌエイラトじゃないか!久々だな!」
振り向いたステルヴィオは精悍な顔立ちを持つ青年だった。
緑がかった髪に、透き通るようなエメラルドの瞳。竜族特有である耳の付け根から伸びた角が特徴的だ。
彼は久々のヌエとの再会に喜び、大手を振って喜んでいたが、エリスの姿を見た瞬間、その表情が一変した。
「なぁおい、なんでこんなところにヴァイスが居るんだ?」
その発言に、辺りの空気が凍りついた。
これは比喩表現などでは無い、その言葉を聞いたヌエの殺気が、周囲に居た者を飲み込んだ。
「貴様、今なんと申したか?」
「おぉい、おっかねぇな。もう一度言うぞ?ヴァイスと言ったんだ」
刹那、ヌエの腕がステルヴィオの頭を掴もうと迫り、彼はそれを紙一重で避けた。
武術の腕前だけで言うならばヌエと互角、力では劣るものの、速度では勝っていると言ったところだろうか。
「貴様であろうと姉者を愚弄する事は許さん、今すぐ謝罪するのならばこの手は治めよう」
「はぁ?こいつが姉?・・・これはなんの冗談だ?」
その発言にヌエの怒りが頂点に達したのか、突き出した腕が赤く光を帯びていく。
マズイと思ったのか、ヤトオウドがヌエの腕をつかみ、無理やり引きさがらせた。
先のヤトオウドとの戦いでも見たこの現象は、爬魔族が激昂状態になった時にのみ現れる「逆燐」と呼ばれているものだ。
体内に保有する固有魔力が肉体と反応し、通常時の数倍もの力を発揮する。
その反動として、肥大した肉体が外殻の鱗を押し広げ、隙を生みだしてしまう。
逆燐は長く続かず、極端な魔力切れを起こしてしまい、まともに動けなくなってしまう欠点もある。
一番の問題は、この現象が感情の高ぶりによって引き起こされると言う事だ。
個々に発動条件は変わって来る。
ヤトオウドのように強い相手と対した時の「高揚感」。ヌエのように極度の怒りによる「憤怒」。など様々だが、一様に自身では制御できないのだ。
「ステルよ、他者を見た目で判断するなど、武に生きる者として恥ずべき事だがのぅ」
ヌエを抑えたヤトオウドは至って冷静だ、エリスの実力を知っているからこその余裕があるのかもしれない。
「そうは言われましても、俺はヴァイスって奴らにほとほと嫌気が差したんすよ」
そう言ってエリスを見た彼の目は、いつも感じていた蔑むような視線とは少し違っていた。
一番近い感情を上げるとするなら、軽蔑。
「ヴァイスって奴らはみんなそうだ、自分の生まれに嘆いて前に進もうとしやしない、いつも人の視線に怯えて逃げて、どいつもこいつも行き着く先は賊だ。だから俺は、どんな事があろうとヴァイスだけは信じないって決めたんすよ」
そう言って握られた彼の拳は、見ている方が痛みを感じる程、きつく握られていた。
彼とヴァイスの間に何があったのか、それを知る事はできない。
今のエリスにできる事はただ一つ、彼の凝り固まった思いを砕く事、ただそれだけだ。
「姉者は貴様が思っている者とは違う!それは拙者が一番・・・」
ヌエの想いはエリスの手によって遮られた。
ここまで頑なな相手に言葉は必要ない、心で信じてくれる人が居るのなら、技で自身を示すしかない、そうすれば自ずと一体となって丸く収まる。
「わたしを軽蔑するのはいいです、勝手にしてください。でも、私を信じてくれる家族と、私に生き方を教えてくれた師匠を軽蔑されるのは嫌なのです。だから、あなたを砕きます」
エリスの放った魔力は全てを凍りつかせ、パキパキという不快な音と共に世界を侵食して行く。
「おぉっと?お前も力を振りかざすのか?やっぱり山賊と変わんねぇな!」
背中から二本の短槍そ抜き取ると、一気にエリスとの距離を詰めるステルヴィオ。
エリスの眼前に槍が迫り、もう一歩というところで槍がピタリと止められた。
「・・・なんで避けない?」
エリスが止めたのではない、ステルヴィオによって止められたのだ。
「今のが一度きりのチャンスです。でも、安心しました」
「なにを・・・ぐふぉっ!?」
一瞬の隙、彼がその笑顔に見惚れていた一瞬の隙に、腹に氷の礫を放った。
勢いよく吹き飛ばされたが、爬魔の肉体に打撃はほぼ通用しない。僅かなダメージを与えただけで消えた氷の礫は魔力となって霧散する。
「不意打ちかよっ!?っておわ!」
顔を上げた瞬間、目の前には新たな氷の礫が迫っており、喋る暇もなく避ける。
だが、避けた先にも氷の礫。さらに避けても、同じ光景。
縦横無尽に飛び回る礫の中を反射神経だけで避けている彼も相当な腕前だが、相手が悪すぎる。
現在エリスが使っているのは魔術式の初歩の初歩である氷の礫。魔術で生み出した礫を的に向かって飛ばすだけの簡単なものだが、そこに咆哮術式を組み合わせる事によって、自由自在に操る「氷の魔弾」へと昇華させている。
この魔法の神髄は自在に操る礫では無く、動きまわる空間を掌握する点にある。
本来魔法は、術者の影響を受けなくなった時点で少しずつ自然魔力へと戻っていくが、咆哮術式によって変則的に命令を与えられる事によって、自然魔力と固有魔力の混ざり合う空間を生みだす。
「ほらほら、逃げてばかりいるのはどちらなんですか?」
「くそぉぅ!魔法は卑怯だろう!」
「実戦では魔法は卑怯なんですか?」
「だぁー!物語の魔王か!絶対泣かす!」
かなり余裕の出てきたエリスが煽る、魔法の操作と言っても、ジャグリングのようなもので、同じ動きを繰り返すだけならば気を抜かない限り簡単だ。
一方ステルヴィオは全ての攻撃を紙一重で避け、時には槍で撃ち落とし、あまり余裕がある状態とは言えなかった。
幾度となく回避する中で彼は気付いた、自分を狙ってくる礫はある程度の法則性を持って動いている。
エリスまでの距離は約20メートル、この距離ならば無傷とは言えなくても勝利する事はできる。
右から来る礫を避け、正面を打ち落とし、背後をわざと喰らう。
「見えた!やっぱりただの見かけ倒しだな!」
一直線にエリスへと向かって駆け抜ける。槍で腹に一撃入れればそれで魔術を続ける事はできなくなり、勝利が確定する。
魔術は繊細な物で、集中力の続かない痛みの中で行使するのは不可能だ。
自らの勝ちを確信したステルヴィオが笑い、戸惑った。
なぜ自分は笑っているのだろうか?あんなにも嫌悪していたヴァイスとの戦いなのに、どうして?
その答えが見えた瞬間、彼は自分の愚かさを悔んだ。
「砕けえぇぇぇ!!」
エリスが放った最後の咆哮は、巨大な氷の鎚となってステルヴィオを押し潰す。
周囲に散った固有魔力が自然魔力を取り込み、本来であれば長い術式が必要な魔法を一瞬で完成させる。
大質量の鎚は大地を揺さぶり、彼の考えと背中の鱗を砕き、その場に鎮座する。
その様子を見守っていた周囲の者も、見た事の無い大魔法に驚き、声を無くした。
静寂に包まれた場所で、魔術操作の緊張から解かれたエリスは一言。
「想像力の、欠如ですね」
そう言うと鎚は砕け散り、魔力となって世界に舞い戻る。
その場には潰された大地と、全身から血を流し、満身創痍となったステルヴィオだけが残されていた。
噛ませ犬って奴だったか・・・。
術にかんしてもっと明記してもいいかな、と思ったのですが、あまりにも長くなりそうだったので少し省略しました。
説明が半分以上の戦闘って・・・。
感想。お待ちしております。




