3口め
翌朝の――日も昇らぬ早朝にロイユはソヴィータに隠れて、あの親子にごはんを用意した。
一夜明けてもロイユの考え方は変わらなかった。
シロガネを食べなかった親子に、マイナスなイメージはない。
狩りはできないので、大麦のパンやチーズ、干し肉を持って森へ入った。
「行ける?」
「がう!」
ネロがあの親子の元へ先導してくれる。
彼はロイユの考えを尊重した…………確信はないが、よくないと思えば裾を引くだろう。
パンを焼いているときも、バケットに詰めているときも、ネロは全く邪魔をしなかった。
「がうがう!」
あっという間にたどり着く。
昨日は眺めていただけの岩場に、親子は――――いた。
シロガネではない訪問者に、怯えた様子だった。
身構えるでも警戒するでもない。
「初めまして、あの。昨日の人、私の兄で、その」
軟禁されているとは言えず。
「ちょっと手が離せないので、代わりに。パンやチーズなんですけど……」
「……いいんですか?」
「ぜひっ。お口にあえば、なんですがっ」
「ありがとう、いただきます。あなたもいただきなさい」
「うん。ありがと、おねえちゃん」
やっぱり、全然ヒトと変わらない。
普通に食べ物だって食べる。
そんなロイユの認識は、すぐ否定された。
「……」
パンをひとくち食べた、男の子の手が止まる。
母親は干し肉を渡すが、気まずそうに しがむだけ。
「すみません」
先に謝ったのは母親のほうだった。
「私たちには……血のほうがいいみたい。せっかく私たちのために焼いてくれたのに……本当に、ごめんなさい」
「い、いえっ」
「おねえちゃん」
「うん?」
「すこしだけ、ちょうだい」
「えっ」
「手。ちょっと けがしてるとこ」
ここに来るまでに、枝かなにかに引っかかれたようだ。
手の甲に浅い傷が1本。
滲む程度の血。
男の子のきらきらした眼差しを曇らせたくなくて、ロイユは指の腹で切り傷を拭った。
1滴にも満たない量だったかもしれない。
ぱくっと指をくわえられ、身体がびくつくが、「うわぁ、おいしいっ……!!」と、指を食いちぎられはしなかった。
「さぞ高貴なお方なんでしょうね」
ロイユは首を傾げるが、それ以降、血を要求されることはなく。
そうこうしていると、村のほうから悲鳴が――――……。
マモノが現れ、追い打ちをかけるかのように複数のヴァンパイアが奇襲をしかけてきた。
マモノに対して家に籠もることが有効でも、ヴァンパイアには悪手だった。
鼻も利く彼らは袋の鼠状態のヒトをたやすく捕まえては噛みつき、血を奪っていく。
吸って、吸って、吸い尽くして。
干からびたヒトを外に放り、マモノがそれに気を取られている間に、別の民家を襲う。
村長宅にいたソヴィータも捕まり、若くて柔らかい彼女にヴァンパイアは群がった。
首筋が最も吸いやすいだけで、腕や腹、太股にも噛みつき、ソヴィータを貪る。
荒い息遣いで衣服を引きちぎるヴァンパイアたちは、マモノと変わらない。
「こいつは連れて帰ろう。次の村までの繋ぎになる」
「じゃあ、めんたま潰しとくか」
「相手はガキだぞ。そこまでしなくてもいいだろう」
「あんまり怖がらせると不味くなるからな」
こんなやつらを怖くないロイユが、ソヴィータは本当に信じられなかった。
――早く逃げなければ。
――今でなくとも、死ぬ。
――好き勝手に吸われ、弄ばれながら、それを待つだなんて。
しかし、恐怖で身体が動かない。
「歯ぁ折っとくか。道中死なれちゃあ困るからな」
ひとりのヴァンパイアがソヴィータの顎を掴んだ。
「や、めてっ……」
「家畜の分際で口答えす――」
その続きは、ヴァンパイアの二の腕ごと真っ二つ。
切られた箇所から吹き出す、凝縮された血液ごしに、シロガネが現れて――――村の混乱に乗じて物置から脱出した彼は鉈を振り回し、ヴァンパイアたちを灰に帰す。
「同族狩りの裏切り者が!!」
「誰だ、こいつが処分されたって言ったやつは!!」
シロガネがいると分かった瞬間、ヴァンパイアたちは撤退するが、ソヴィータを襲った者どもは逃げ切れず。
あっという間に、小さな灰の山がいくつも。
森の茂みを歩いていたときよりも怖かった。
冷淡だった。
容赦なく殴り、斬りかかっていた。
だって、彼も――――ヴァンパイア、なのだから。
「ソヴィータ、しっかりしろ」
――優しくしないで。
――ロイユのお兄ちゃんに戻らないで。
「いやっ……」
「ソヴィータ」
「来ないでっ」
“シロガネが抑止力になっていた”
“だから、ヴァンパイアが寄りつかなかった”と頭の隅をかすめるが……。
それすらも、ソヴィータは拒絶した。
「森にいたヴァンパイアがアンタを食べなかったのは、アンタもヴァンパイアだったからでしょっ!!」
「……」
「なんとか言いなさいよ!!」
――この村を骨抜きにして、みんなを食べる気だったんでしょ!!
ソヴィータの追求は、戻ってきたロイユにも聞こえてきた。
半壊した村長宅を始め、他の家屋には火が放たれて。
「がうがう!」
「ソヴィータっ、兄さんっ、早く外にっ!!」
半ば強引に彼女を引っ張って、村の外に連れ出した。
赤々と、静かに燃え広がって、崩れていく。
3人と1匹以外、もう誰も。
楽しかった思い出すらも、炎が飲み込んでいった。
「これがヴァンパイアなのよ……。マモノよりも……ずっと残酷じゃないっ……」
これでもまだ彼らの肩を持つのか、と嘆くソヴィータの涙は枯れていた。が、その憎悪をシロガネにぶつける気力は、彼女にはない。
シロガネもまたそれを弁解するつもりなど さらさらなく、ソヴィータを置いて、ロイユの手を引いた。
「兄さんっ」
――せめて、人里までは一緒に。
そんなロイユの心配は、ネロの一声で解決する。
「がう!」
遠くの足音と、かすかに聞こえる「大丈夫か!!」「生存者はいるか!!」の雄叫び。
騒ぎを聞きつけた反共存派の部隊――――なら、大丈夫だろう。と、ロイユはネロと共に、シロガネに続いた。
心なしか、安堵する彼の背中は、やっぱり逞しくて。
――貴女のことを思って、彼はなにも言わなかったのね。
シロガネが猟に行くのは、村を狙うヴァンパイアをあしらうため。
今に始まったことではなく、あの親子のような――非力なヴァンパイアには獲物を分け与えていたようだ。
――私たちも動けるまで。そう約束してたの。
反共存派の地で風当たりの強い中、シロガネに救われたという親子。
どこまでも優しい兄に、ロイユは必死についていく。
道中、足元の小石に気づかず、躓き、前のめりで転けそうになれば、シロガネは すかさず全身で受け止めてくれて。
「大丈夫か、ロイユ」
ほっと安堵する顔は、いつも見る兄――――優しい仮面をかぶっているだけ、なのだろうか。
油断させておいて、がぶり。
なんてのが当たり前の世界で。
でも。
それこそ、いつでもできたこと。
恐怖で縛り付けることも、強制的に血を摂取することだってできたのに。
シロガネはいつも優しく、兄として、ロイユのそばにいた。
だから彼がヴァンパイアであろうが、怖がる理由はない。
「くぅん」と、ロイユを心配するネロだって、シロガネに対して威嚇したことはないのだから。
「おぶろう。道のりは長い」
「がう!」
「すまないが、おまえは歩いてくれ、ネロ」
ん。と、しゃがみ込むシロガネをやんわりと断って、ロイユはどこに行くのかと尋ねた。
「モルグ、と呼ばれている街に行こうと思う」
「もるぐ……」
「南の方角に山を下りて、東よりの平野に中立の商業都市がある」
「……えっと」
まだまだ世情の把握はできていないが、中立という体制が、どこかふわっとしていて。
「兄さんを受け入れてくれるところのほうが……」
西へ行けば、共存派の街。
どんなに遠くても兄とネロがいるなら たどり着ける、とロイユもシロガネを気遣う。が、共存派の闇を知る。
「あの親子は、そういうところから逃げてきた」
大半が、ヒトの血をちらつかせて強制労働。
食料を必要としない、血さえ与えておけば、それなりに動く若いヴァンパイアたちを労働力にしているのだ、と。
「だから、どちらでもない街へ行くが……ひとつ約束してほしい。俺や他人がどんなに調子が悪そうでも、絶対に血を与えないこと」
「分かった」
「怪我をしたら、すぐ薬草を塗りたくって包帯を巻くこと」
「うん?」
「あと、満月の夜は絶対に外へ出ないようにしてほしい」
「……3つ、だけど」
「がうがう」
それだけロイユのことが心配なんだよ、とネロに言われて、シロガネも苦笑した。
八重歯が見えないよう、故意に口数を減らしていた彼は、この日を境に口を開けて喋るようになる。




