8口め
ローブのサイズを整えてもらい、裾を引きずることも、袖をまくり上げてスプーンを握らなくてもよくなった。素足だった足下もブーツを履かせて、ネロはどこにでもいるヒトになる。
まわりと意志疎通が――――仔豹のときもまぁまぁできていたが、よりコミュニケーションがとれるようになって、ロイユの口数は格段に増えていった。
『ぼくも手伝う!』
『ロイユ、なにしてるのー?』
『いただきますっ』
仔豹だった頃の愛嬌はそのまま。
『ちょちょちょちょ!』
『うん?』
『さすがにロイユちゃんと一緒に寝るのは、よろしくないと思う』
ぷすん、と口を尖らせて拗ねるところも。
『じゃあ――』
仔豹に戻れば大丈夫だよね、とあざとい部分も、可愛らしくてたまらなかった。
*
「まーだ酒が残ってんのかね。おチビちゃんがヒトに見えらあ」
昼過ぎに起きてきたキリュウは自分の目を疑うも、その前に言わなければならないことがあった。
「……警備の件、悪かった」
「それはいい。俺にも落ち度があった」
特別な数時間を犯行に使った2人組はヒトなのか。
新月ではそれすらも曖昧で、純血で一儲けしようと企む連中がいた中でのネロの正体に、なにがなんだか。
――――今となって魔術師は超稀少。
寿命の問題でヒトと争い、長寿の源として〈愛〉を強要された彼らは減るばかりの存在だった。
ヒトにも好意的ではなく、しかしシロガネから話を聞くかぎり、ネロのおかげでロイユが無事なことは確かだ。
当人は机に並べられたマスクのレプリカ、簡単に着脱できる土産品をつけたり、外したりしていた。
「なにしてるんだ、おチビちゃん」
「ロイユと外に出るときはふしぎなにおいだから、ヴァンパイアになる!」
話しかけるキリュウに物怖じしないあたり、彼もネロと認識する。
――魔法が使えることで捕らえられていたようだ。四肢と、首にも枷の痕がある。
できるだけ目立たないようにしなければと、幼子が警戒するほど酷い扱いだったことも。
「そりゃじいさんも歓喜もんか」
ついこぼれた一言に、シロガネが怖い顔をするが、
「過剰に警戒するこそはないぞ、おチビちゃん。あのじいさん以外、ノア教のやつらは新月にしか街に来ない」
――災厄が訪れる。
――世界はまた劫火に包まれる。
――あぁノア様っ……。
――我らを火種に、新たな世界をお作りくださいっ……。
じいさまの狂言が嘆きに変わって、数日が経った頃。
「たっだいまー!」と、ベルミリオが帰宅する。
金貨とブラッドコインを持って、ほっくほくな顔をしていた。
「いやぁ、やっぱ共存区域の方が太っ腹だよー」
マモノ討伐の依頼をこなして、その報酬と討伐した際に残るブラッドコインはベルミリオの好きにしていい、と。
「これで上物の血が買ーえるっ」
“ベルミリオたちヴァンパイアは、ヒトの血で足りない命を補っている”
この世の理を、ネロも徐々に理解していった。
外出時はヴァンパイアに紛れ、屋敷ではロイユについてまわったり、本を読んだり。
「なに読んでるの?」
「おほしさまをあつめるお話! かなしみにくれるかみさまのために、いろんなところに冒険に行くのっ」
なかなか読み応えのある、活字の物語だった。文字が理解できるようになって、読み進めていくのが楽しくて仕方がないらしい。
本に夢中のネロの邪魔をしないように、ロイユは晩ごはんの支度に取りかかった。
キッチンに向かうと、少し開いた窓とそのそばに転がる手紙に目が行く。
表にはなにも書いてなく、蝋封が施された手紙の差出人だけ。
“ダズリン”――知らない名だ。
心当たりもなく、新月の不審者が頭を過る。
シロガネとキリュウが探しているが、足取りは掴めていなかった。
立派な門構えが刻印されており、紙質まで高級感が漂ってくる手紙の内容は、こうだ。
貴女の母・クオレは、貴女が兄と慕う男に殺された。
身を守る見返りとしてクオレの血を貪り尽くし、次は貴女を狙っている。
純血狂いのヴァンパイアから、一刻も早く逃げなさい。
忠告、と捉えるべきなのか。
兄しか頼れない状況は危険、だと。
(……そんなこと)
自問自答するロイユに影が生まれる。
【どうしてヴァンパイアだってこと隠してたんだろう】
(村がヴァンパイアに対してよく思ってなかったからっ)
【妹――もう違うけど、一緒に住んでいる私には教えてくれてもよかったのに。そう思ったこと、なかった?】
(それはっ……)
【吸わない方がおかしいって、ベルミリオさんが言ってたよ。私が寝静まったとき、もしかしたら――】
「やめてっ!」
張り上げた声に、ネロが慌てて駆けつけた。
「ふしんしゃっ!?」
「ち、違うのっ。ちょっと、うんっ。虫がっ。こっちに向かってきた、からっ……」
「どこっ、ぼくがつかまえる!」
「逃げた、と思うっ……。大丈夫だよ、ごめんね。驚かせちゃって……」
「ううん。本に夢中になってて、ごめんなさい。ぼくもごはん手伝う!」
「ありがとね、ネロ」と笑ってみせるが、咄嗟に隠してしまった手紙とその内容に、ロイユの影は曇るばかりだった。
母のことはシロガネしか知らない。
本人に聞くのが1番でも、彼は足取りを追うので帰りは夜中、朝も早くからで――――村でのすれ違いが、また。
【……兄さんのなにを知ってるの?】
心の影が広がりかけた、ある昼下がり。
市場にいるシロガネを見つけた。
「兄さん!」
軽く手を挙げてロイユに気づく、いつもと変わらない兄の姿だった。
「ひとりで買い出しか?」
「ネロとだよ。今、本を返しに行ってるの」
「そうか。なるべく、ひとりにはならないでくれ。怪しい奴は突っぱねてもらっているが、安全ではないんだ」
「うん」
言葉尻は厳しくても、ネロが戻ってくるまではシロガネがそばに。
「スープ、美味しかった」
マスクの構造上、小さなスプーンしか通らず液体ばかりになってしまう、シロガネの食事。食べる必要がなくても、ないと分かってからも、彼は家族との食事の時間を大切にしていた。
「芋粥はいらなかった?」
「いや。夜中、ネロが起きてきてな。寝とぼけながら、美味しい美味しいと食べられてしまった」
「晩ごはん、たくさん食べてたんだけどなぁ」
「仔豹の頃から好物だったからな。腹がはち切れないか、ひやひやものだったな」
「げっぷするまで寝るんじゃない、って話しかける兄さん迫真だった」
2人で懐かしんでいると、ふとロイユに影が囁いた。
【――なんでネロが起きたんだろう】
「ロイユ?」
「兄さん……」
「ん?」
「ダズリン、さんって……知ってる?」
今度はシロガネの表情が曇った。
「どこでその名を」
怒っているような、焦っているような。
「え、あっ。その、最近、市場でよく、耳にする、なって……」
ロイユやネロと会話をするときは滅多に寄らない眉間の皺が深々と。キリュウと話すときよりもうんと低い声色に、ロイユは逃げるように市場を後にした。
「ネロ、遅いねっ。ちょっと様子、見てくるっ」
追ってこなかった兄に、また影が落ちる。
【両親はヴァンパイアに殺されたって】
【純血欲しさに、兄さんが】
無限に広がろうとするのを、シーリングスタンプが阻んだ。
ロイユの足下にころころ転がってくるそれは、前を歩く人が落とした物のよう。何気なく拾い上げれば、スタンプの柄が――――立派な門構えは見るに新しく、路地を曲がる人を見失わんと急いで追いかけた。
「あの、落としましたよっ」
手紙の差出人を知っているかもしれないその人に気を取られ、路地に入ってしまったロイユに魔の手が忍び寄っていた。




