そして八時の鐘が鳴る
レニーは電話のあらましと今晩の約束をBBに話した。
「今晩、俺も行くぜ、レニー」
BBが力を込めて言うと、レニーは口元に小さく笑みを浮かべた。
「いや、いいよ、俺ひとりで。第一、クリスマス・イヴが台無しだろ。俺がドリスにどやされちまうよ」
ドリスはBBの妻の名前だ。レニーも彼女とは仲がいい。BBが何か言いかけるのを、レニーは手を挙げて押しとどめた。
「それより、アイアランドの家を知りたいんだ」
BBがいぶかしげに眉をひそめた。
「先手を打つのか? アイアランドが約束の場所に来ないとでもいうのか?」
レニーはかすかに首をかしげた。
「いや、彼の娘はどうなるんだろう、と思って。アイアランドよりその子の方が心配だからさ。保護した方がいいだろ?」
ふん、とBBが鼻を鳴らした。
「確かにな、ホワイトなら何をやらかすかわからないからな。裏の世界に知り合いも多いようだし」
レニーはうなずくと、BBの手元のノートパソコンを指差した。
「SSN(社会保障番号)からはもうたどれないかもな。別の手でたどれないかやってみてくれる?」
「お前は?」
すでにレニーはしなやかに身体を起こし戸口へ向かっていたが、肩越しにひらひらと手を振った。
「制服組に応援を頼んでくる」
そんなわけで、レニーは今この公園をさまよっていた。いや、目的ははっきりしているが、さまよう、という感じがどこかにつきまとっている。
結局、SSNではアイアランドの現在の住まいはわからなかった。アパートへ行ってみたら、とっくの昔に引っ越したと大家に言われたのだ。
BBは、レニーを一人で公園へやることをしぶりながらも制服警官を二人従えて、引き続きアイアランドの行方を追っている。
レニーにも制服警官が二人ついて来てはいるのだが、めだたぬように公園の外に車を止めて待機してもらっていた。
そしてレニーの革コートには、ボディカメラがとりつけられている。これから話す会話と画面は、すべてパトロールカーと本部に共有されるはずだ。何か危険な事態になったら、すぐに警官たちが飛んでくることになっている。
だが、レニー自身は、いまのところ危険は感じていない。アイアランドが、いまさらレニーに何か危険な行動を起こすとは考えにくい。
レニーを葬るつもりなら、わざわざ過去の事件を蒸し返して名乗る必要などないのだ。
アイアランドが、本当に渡したい何かを持っているとしか考えられない。とすれば、身体が危険なのはむしろアイアランドのほうだった。
「それにしても、アイアランドの奴、今になっていったいどうして」
レニーは、すでに何度目かになるどうしても解けない問いを小さく声に出してみた。
もう五年になる。その間、ホワイト上院議員がテレビに出ていたことは何度もある。久々に顔を見かけて思い出したわけではないだろう。
では、本人も言っていた、隣の州のウォートンであった別の少女の殺人、あれだろうか。
それはもしかしたら、あるかもしれない。ホワイトはグリンダの殺人で最後にする、とアイアランドに誓ったのかもしれない。だから、最後に一度だけ自分のためにアリバイを証明してほしい、と。
だが、病気は治まらなかった。あの類の異常な性的嗜好は、治そうと思って治るものではない。なぜ、アイアランドはホワイトの言葉を信じたのだろうか?
レニーはそれも少し疑問に思っていた。
長い付き合いだと言っていたのだ。ホワイトのことはよく知っているだろう。いまさら、ホワイトの病気、異常嗜好が治るなどというたわごとを信じたはずがないような気がする。
そして、もうひとつ、レニーには気にかかっていることがあった。
それはアイアランドのあの言葉だ。
「あんたは俺の、俺たちの希望なんだ」
なぜ彼は言い直したのだ?
俺たち、とはアイアランドと誰を指しているのだろうか。レニーはぶるっとひとつ頭を振った。いまここで考えていても仕方がない。アイアランドが現れたら、訊けばいいのだ。
八時に公園の傍にある時計塔の鐘が鳴る。澄んだその音は、クリスマスの雪の夜にふさわしいものだといえるかもしれない。やがて鐘は、静かな余韻を残し鳴り終わった。
いつもなら緑鮮やかな針葉樹のささやかな森と、葉が落ちて少し寒々しくなった広葉樹の並木があり、おしゃれな街灯の下には木製のベンチが見えているはずだ。
いまはただ、白い木々と灰色に沈む雪の道がついた一面の雪原が広がるだけに見える。
所々に雪の塊が盛り上がって見えるのは、ベンチだろう。
レニーは雪の小道を歩きながら、辺りの様子に慎重に気を配った。大きい方の噴水で、という約束だったが、どの方角でなのかは聞いていない。
噴水の周りは見とおすことができたが、まだアイアランドは来ていないのか、誰の姿も見えない。
この噴水の周りをゆっくり回るとどれくらいかかるだろうか、とレニーは計算をし始めた。
風が少し強くなり、いっそう寒さが厳しくなってきたような気がした。また、雪が降りだすのかもしれない。
ポケットの中でスマートフォンが震えた。
レニーがため息とともにイヤホンのスイッチ入れると、少しひび割れて途切れがちのBBの声が聞こえた。この雪の影響か、音が重い。
「レニー。俺たちゃこれから、サウスウィンズ通りへ行く。車両登録情報からようやく奴のアパ……を、見つけたぜ」
「そうか、結局遅くなっちまって悪いな、BB。じゃあ、慎重に頼むぜ。彼は罪人じゃないわけだし」
電話の向こうでBBが鼻を鳴らした。
「これも仕事だよ。それよりもう時間だよな。そっちはどうなった? 会えたか?」
「いや、まだ」
「そうか、あとでまた連絡する」
レニーのOKという返事を待たないまま、唐突に電話は切れた。
「まさか電池切れじゃないだろうな」
レニーが苦笑したとき、後ろから声がかかった。
「クラウン刑事さん?」
あまりにも意外な細い声に、レニーはぎょっとして危うく声をあげそうになった。
振り向くと、視線の先には少女が立っていた。
レニーは瞬きを繰り返し、七、八歳くらいに見える少女を見つめた。少しさびしげな白い顔に透き通るような青い瞳。暗い茶色の髪はゆるく肩先でカールしている。
着ているのは、グレイの地味なコートとけばだった紺色のスカートでどちらもサイズが少女にあっていない。高そうなものにも見えなかった。
足元は少女の細い足には、不似合いな黒い大きなブーツを履いている。
そこまでを一瞬で見て取って、レニーは困惑した。まさか、アイアランドは自分の代理に娘をよこしたのだろうか?
少女は、少し首をかしげてレニーを見上げている。
「お兄さん、レナート・クラウン刑事じゃないの?」
何も答えてくれないレニーに、少女は痺れを切らしたようにさきほどと同じ問いを繰り返した。
「あ、ああ、そう。俺がクラウンだ。君は?」
少女はもう一度小首をかしげた。
「金色の髪で天使みたいに綺麗な顔の刑事さん、てパパが言ってたけど本当なのね」
少女が感心するようにつぶやいた。
いつもならそのようなことを言われれば、殴り返すまではいかないまでも、相手が震え上がりそうなほど睨みつけるくらいはしている。レニーは、自分の顔が綺麗だと言われるのが、誉め言葉だとは露ほども思っていないのだ。
だが、少女相手ではそれもかなわず、レニーは苦笑するしかない。
「あのね、クラウン刑事さん。あたしはね、フィリパ・アイアランドっていうの。フィリパって呼んでね」
その口調にレニーはにやっと笑った。アイアランドの娘はなかなかませている。
「やぁ、フィリパ。俺のことはレニーと呼んでくれ」
少女はにこりと笑い、レニーに白い手を差し出した。
「よろしく、レニー。あたし、パパの代理なの」
やはりそうだったのか、と心の中でひとりごちながらレニーも笑い返すと手袋をはずし、少女の手をとった。
フィリパの細い指は、氷のように冷たくなっていた。そういえば、少女の着ている上着もさほど暖かそうなものには見えない。
「寒くないかい、フィリパ。手が氷みたいだけど」
レニーが気遣わしげに尋ねると、フィリパは恥ずかしそうに手をはずして背中に廻した。
「あたしの手が冷たいのは、いつもだから気にしなくていいの」
かまわずレニーは、自分のマフラーをはずすとかがんで、少女の首にしっかりと巻きつけた。
「レニー?」
フィリパは、少し不思議そうにマフラーを見ていた。それからそれをはずそうとしたフィリパの手をレニーが押しとどめた。
「だってレニー、あなたが寒いよ」
「遠慮しなくていい。俺は男だし大人なんだから、君よりはずっと寒さには強いさ」
フィリパは、恥ずかしそうな笑みを浮かべ、それでもはずすとは言わなかった。
「素敵なマフラーね。夕焼けみたい」
確かにグラデーションが少しかかったオレンジは、夕暮れの空の色に見えなくもない。もの珍しそうにマフラーをいじりまわしていたフィリパが顔をあげた。
「パパもこんな綺麗なのを買ってくれればいいのにな。うちにはお金がないの。だから、着ているものも全部、教会からのお下がりなの。こんな色のコート、嫌いなんだけど」
フィリパは、顔をしかめて見せた。
「きっと、サンタクロースも来ないんだよね。サンタクロースは、お金持ちが好きなんだって」
レニーをみあげる青い目には、いっぺんの曇りもない。
ただ悟ったように淡々とおのれの人生を語っている少女に答えるすべを持たず、レニーは言葉を失った。
「レニーには、サンタクロース来る?」
そんなレニーに無邪気な顔でフィリパが問いかけた。
レニーは、え? と思わず聞き返し、それから少し笑った。
「いや。どうだろう。たぶん、来ないんじゃないかな」
フィリパは首をかしげた。
「だって、レニーはお金持ちでしょう? 違うの?」
レニーは苦笑するしかない。
「いや、全然違うよ。それに大人のところには来ないものなんだ」
そう? とフィリパはまたマフラーの端っこをつかんでいじりまわしている。
レニーはフィリパの前にかがみこんだ姿勢のまま、その白い顔を覗きこんだ。
「で、フィリパ。パパに何を頼まれてきたの? 何かもらってきただろ?」
ようやく、レニーはフィリパに一番訊きたかったことを尋ねた。
フィリパはレニーの顔を見つめた。彼女の目の奥には、不思議な青い光が宿っているようにレニーには思えた。
フィリパは、レニーの問いにまっすぐは答えなかった。
「レニーは、ツリーのてっぺんの星をなんていうか知ってる? あたし、パパに聞いたの。あれはね、ベツレヘムの星っていうんだよ」
レニーは、いささかがっかりした気持ちで子供の扱いに不慣れな自分に腹を立てた。いつまでもこの寒いところでフィリパの話を聞いているわけにはいかない。アイアランドがいたいけな娘を一人で夜の公園によこしたのには、何か理由があるに違いないのだ。すぐにでもフィリパを暖かいところに保護して、アイアランドに会わなければならない。
「ああ、そうだね、そういうね。あのね、フィリパ……」
「あれはね、キリスト様がお生まれになった日に出ていた星なんだって。ねぇ、知ってる? レニー。あの星をつかむと幸せになれるんだって。パパが言ってたの」
それからフィリパは、グレイの上着のポケットから大事そうに金色の何かを取り出した。それがディスクかなにかのように見えてレニーはほっとした。しかし、レニーの期待は見事にはずれた。フィリパが取り出したものは、なにかの厚紙を切って包み紙を貼った金色の星だったのだ。
「ね、これはベツレヘムの星なの」
たぶん、自分で切りぬき、金紙を貼ったのだろう。星自体も金紙も少し歪んでいる。
「レニーにあげる」
フィリパが、にっこり笑ってその星をレニーに向かって差し出した。
レニーは少しうろたえた。
「でも、フィリパ。これは君んちのツリーにつける大事なベツレヘムの星なんだろう? 俺がもらったら君が困るよ?」
フィリパは笑顔のまま、無言でかぶりを振った。
その手は迷いなく金色の星をレニーへ向かって突き出していて、引っ込めそうには見えない。指の先が少し赤くなっていることに気がつき、胸の奥が痛んだ。少し迷った末に、フィリパのほうへレニーが身をかがめ受け取ろうと手を伸ばした、そのときだった。
闇をつんざく鋭い銃声が辺りの空気を震わせた。
弾はレニーの頭があったあたりをかすめ、後ろの雪の中に吸い込まれた。続けてすぐにまた銃声が起こったが、既にそのときにはレニーはフィリパを抱きかかえ、近くにあったベンチとおぼしき雪の塊の後ろへと転がりこんでいた。
ベンチの後ろへフィリパを隠すと、ベルトの後ろに挟んだ銃を取り出し安全装置をはずす。更に何発か銃声が響き渡った。弾が飛んでくる方向からすると、敵は一人ではない。
「フィリパ! ここにいて。動くんじゃないよ」
フィリパは無言のまま、うなずいた。




