不穏な電話
ツリーのてっぺんの星をなんていうか、ねぇ、知ってる?
あれはね、ベツレヘムの星っていうんだよ!
キリスト様がお生まれになった日に出ていた星なんだって。
ねぇ、知ってた? レニー。
あの星をつかむと幸せになれるんだって。
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クリスマス前夜の公園は、すっぽりと雪に覆われて真っ白になっていた。気温は低いが雪の少ないこの地方に、いつにない大雪が降ったのは先週末のことだ。最初は六インチ、くるぶしの上あたりまでだったが少し融けかけた頃に、今度は膝下あたりまで一フィート以上も降り積もったおかげで、街は半分がた雪に埋もれたようになっていた。
子供達や犬は喜んでいるように見えるが、大人達もこの時季の雪なら歓迎するかもしれない。
なにしろ明日はクリスマスなのだから。
実際のところ、街を歩く人々は、油断したら滑って転びそうな足元に緊張し、寒さに身を縮めてはいたものの、どこか浮かれている感じがする。
今夜はとにかくクリスマスを待ち構える夜なのだから、それも当然のことなのかもしれない。
だが、人気のない公園の中に足を踏み入れたレニーの顔は、浮かれているとはほど遠かった。
すでに夕闇は過ぎ去り、いつもなら真っ暗になっているころあいだが、今にも雪が降りそうな白い空と雪のフードを目深にかぶった木々のおかげで、あたりはほの明るい。街から流れてくる喧騒も雪の壁に吸われ、少し重たげで柔らかなざわめきに変わっていた。
日が落ちて闇が深くなるにつれて、少し風が出てきた。寒さで軽くなった粉雪が風に舞い、いっそう夜を白くしている。
昼間が暖かだったからと、薄着をしてきたのをレニーは後悔し始めていた。
ジーンズと薄手のセーターの上に黒い革のコートを羽織っただけで、首にオレンジ色のマフラーを巻いてはいるもののあまり暖かいとはいえなかった。
腕のクロノグラフに目を落とす。時計の針はじきに八時をさそうとしている。そろそろ、約束の時間だった。
街の殆ど中心にあるこの公園は、8の字を描くように大小ふたつの円からできている。ニューヨークのセントラルパークと同じ名前を持ってはいるが、規模はもっとずっと小さい。
二つの円の中心には、それぞれ噴水があるが、夏と違って今は水も止められ、ただの丸いくぼみになっているだけだ。その噴水の回りには熱心なジョガーや愛犬家によって、大人なら3人ほどが肩を並べて歩けるくらいの道ができている。
レニーはもっときつくマフラーを巻きつけなおし、ポケットから革の手袋を出してはめた。ゆっくりと大きい方の噴水目指して歩く。
歩くたびに足元の雪にブーツの底模様がくっきりと残った。まださほどは寒くない。もっと気温が下がれば、雪はこんなに綺麗に固まらないのだ。風さえなければ、もっとましな夜だったかもしれない。
レニーは、はぁっと大きく息を吐いた。気が重い。これから会う相手のことを考えると。なぜ今になって、彼がレニーを指名して会いたいなどと言ってくるのか。
レニーは頭を振った。
まったくなんてクリスマスだ。
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その電話が鳴ったのは、すでに太陽が傾きはじめた午後四時近く、もうじきぽつぽつと外灯が点き始める時間になろうか、という頃合いだった。署内電話の外線に出たのは、クリスマス・イブの電話番にもそろそろうんざりし始めたボリス・ブリントン刑事ことBBだった。
「殺人課かい? クラウン刑事を呼んでくれ」
少しかすれた男の声に、BBの眉があがった。
「レニー・クラウンのことか? あんた誰だ?」
電話の相手がいらだったような声をあげた。
「俺なんか誰でもいい。レナート・クラウン刑事を呼べ」
男は、レニーの本名を区切りながらに正確にゆっくりと発音した。
BBは、それ以上余計な言葉を発せず、ケードの机で油を売っていたレニーを呼んだ。
レニーはちょっと驚いたように振り向き、BBの顔色を瞬時に読むと、それまで笑っていた顔を引き締めて飛んできた。
「ミスター名無し、だ」
BBがささやくのへ、レニーが小さくうなずいた。
レニーが電話に出て名乗ると、男が太い息をついた。
「久しぶりだな、アイアランドだ」
レニーの眉が寄せられた。記憶の引き出しが大量に引き開けられ、すばやくフルネームがつかみ出される。
「アイアランド・・・・・。ゴドウィン・アイアランドか?」
「さすがだな。よく覚えているもんだ」
「忘れられない、いや、忘れるもんか。お前のおかげで、殺人犯に逃げられたんだ」
レニーは苦い顔で吐き捨てた。忘れたくても忘れられない。五年ほど前、BBと組む前に手がけた事件だった。
レズリー・ホワイト上院議員。
当時十四歳の少女が殺され、何人かの容疑者が列挙され、その中のひとりに上院議員もあげられていた。
彼は動機と印象だけは限りなくクロに近いグレイだったが、決め手の証拠がなかった。現場は完膚なきまでに焼き尽くされ、犯人の指紋やDNAなど残渣物の物的証拠がいっさい採れなかった。かろうじて、目撃証言と歯型と歯髄のDNAから少女の身元がはっきりしただけだ。
しかも、ホワイト上院議員にはアリバイがあった。それがアイアランドの証言によるものだった。アイアランドは上院議員とは初対面。
その初めて会った第三者による善意の証言、としてそのアリバイは受け入れられた。
だが、レニーは、いや捜査本部は疑っていた。アイアランドは善意の第三者ではないのではないか、と。
しかし、上からの圧力がかかり、結局のところ、レニーたちは歯軋りしながら、真っ黒なホワイトが高笑いしながら逃げおおせるのを黙って見ているしかなかった。
「あれから五年経っている」
電話の奥でアイアランドがくぐもった声で答えた。
「五年しか経っていない。そして、何年経っていようが殺人は殺人だ」
レニーが冷たい声で告げた。
「俺は、間違っていた」
アイアランドは、レニーの声を無視して陰気な声で続けた。
「ホワイトのことか?」
「ホワイトは白じゃない。俺は嘘をついた」
「・・・・・・」
レニーは無言で眉をあげた。
「証拠がある。奴がやったという決定的証拠だ」
「証拠? なぜあんたがそんなものを」
電話の向こうで自嘲の笑いが響いた。
「保険だ」
「保険? 偽のアリバイを証言して、命を守るために、ホワイトから何かをもらった、あるいは奪った、ってことか」
「ああ、自白したテープだよ。画像つきでな」
「なるほど」
本物か、とは訊かなかった。
「なぜ今頃? しかも、なぜ俺にそれを言う?」
「あんたは熱心だった。あんたは権力には屈しない、と言った。俺はそれに賭ける。だから……」
「・・・・・・だから?」
「だから、クラウン刑事。俺はあんたにその証拠を渡す。それを使えば、ホワイトは破滅する」
レニーは軽くため息をついた。
「あんたはまだ俺の質問に答えてないな。なぜ今になってそんなことを?」
電話の奥からレニーと同じ太いため息が聞こえた。
「なぜって? クリスマスだからさ」
ふざけたことを! と、レニーは電話のこちらで叫びだしたいのを我慢した。
それを言うなら、なぜあの時言わなかった。いまさら何を言ってるんだ、と怒鳴りだしたいのをかろうじて飲み込む。
あのとき、復元のしようもないほど炭化し、ただの黒い塊と成り果てた娘の遺体を前にして、娘の両親は立ち尽くしていた。声もなく、涙すら流せずに。
ガラスの向こうの検視台の上に見えるものが、昨日まで可愛らしく柔らかで生き生きと笑いさざめいていた十四の娘だとどうしても認識ができないのだ。やがて、我に返った父親がガラスをばんと拳で叩いた。
「娘はどこです? 刑事さん。あの子は? グリンダはどこなんですかーっ」
目で見ているものが信じられず、黒こげの塊からそれでも目が離せずにいた父親の血を吐くような叫びを、啜り泣く母親の切ない嘆きを、自分は絶対に忘れない。
「あの時、見ないほうがいいと止めた。だが、あの二人は見なければ信じられない、もしそれが自分の娘なら最後まで見届ける親の義務があると言い張ったんだ。あんたにその辛さが本当にわかるのか?」
レニーが何のことを言っているのか、アイアランドにはわかったようだ。電話の向こうからなだめるような静かな声が流れた。
「女の子の両親には本当に悪いことをした、と思っている。遅いということもわかっている。だが、すべてが遅すぎるわけではない」
レニーは深く息を吸った。
「なぜ、今になってホワイトを裏切るまねをする。あんたの命がかかってるんだろ。奴は異常者だ。失敗したらあんたもただじゃすまないぜ?」
しばしの沈黙。
「・・・・・・俺にも娘がいる。あの時は近くにはいなかった。だが、半年前に別れた妻が亡くなってね。今は俺が引き取っている」
「それならなおさら、今になって蒸し返す? 娘は危なくないのか?」
「危険さ。ホワイトは危険な奴だ。俺だって知っている。だからこそ、いまのうちに何とかしないといけない」
電話の向こうでアイアランドはいったん言葉を切り、小さく息を継いだ。
「クラウン刑事。先月、ウォートンの町で十五歳の女の子がひとり、行方不明になっただろう。あとで近くの川から腐乱した死体がみつかった」
思いがけない指摘に、レニーは息を呑んだ。
「まさか、アイアランド。あれもホワイトだと・・・・・・」
「あんたのとこの管轄じゃないことは分かっているが、話くらいは聞いているだろう。あれが誰の仕業か、俺にはすぐわかった。ホシはあがったか? あがってないさ。奴は今日も元気にテレビで遊説してたからな」
レニーの眉が険悪に寄せられ、声が低くなった。
「なぜ分かる、アイアランド。あれが奴の仕業だと」
受話器の向こうで大しておかしくもなさそうにアイアランドが含み笑った。
「俺はな、ホワイトと付き合いが長いんだよ。初対面の善意の第三者だ? 違うね。俺は奴と幼馴染なんだ」
やっぱりな、とレニーが心の中でひとりごちる。
「あいつは昔からああいう奴だった。なぜときかれても困るんだが、俺にはわかる。あの殺しには独特の奴のマークがついてる。あれは奴の仕業さ」
「なんてことを・・・・・・」
「もう潮時だ。クラウン刑事。今夜八時、ひとりでレインズゲートシティセントラルパークの大きい噴水の前へ来い。奴の告白テープを渡してやる」
「アイアランド」
受話器の向こうで、アイアランドの声が懇願するようなささやきに変わった。
「あんたが俺の、俺たちの希望の星なんだ。何があっても屈するな、クラウン。奴を挙げろ」
「おい、アイアランド」
レニーが追いすがるが、アイアランドの答えはなく静かに電話が切れた。
「切られた」
ちっ、とレニーが乱暴に受話器を戻すと、すかさずBBが机の上のパソコンを指差す。
「噂のホワイト上院議員殿は今、ニューヨークにいるようだぜ」
レニーが渋い顔で画面を覗きこむと、ネットニュースの動画画面には、あたりに手を振りながら満面の笑みを浮かべたホワイトの顔があった。
BBはレニーと違って直接事件にはかかわってはいないが、当時助っ人に借り出されたおかげでグリンダ事件は良く知っている。
アイアランドの名前も覚えていて、話の成り行きから内容を推察してみたのだろう。早速、ホワイトの現在の状況を調べてあった。
レニーは、動画のホワイトを睨みつけるように見つめた。
ホワイトには、まだ上院議員としての任期が残っている。来年の選挙で議席を失うかもしれないが、今夜の時点ではまだ「上院議員」だ。
レズリー・ホワイトは、整った顔立ちに薄茶色の髪を短く刈り込み、高そうなスーツを着込んでいる。そのさまはやり手ながら明るく人当たりのよさそうな人間に見える。キャプションには、妻と娘と共にニューヨークでクリスマスを過ごす予定だと書かれていた。
「こいつはこんなでっかい娘がいるのか。胸糞悪りぃな、おい」
BBが盛大に顔をしかめた。
「しかも児童保護の法案を推進しているってなんだそりゃ、ふざけやがって」
ニュースの画面に本人は出ていないが、インスタには娘の写真も出ていて名門ハイスクールに通う、と書いてある。確かに四十歳の彼に十五の娘がいてもおかしくはない。
「被害者と同じくらいの年頃じゃないか。こいつは何を考えているんだ? 自分の娘と同じくらいの少女を殺したってのか」
自分にも二歳になる娘がいるBBの目の色が変わっていた。
それまで黙って聞いていたレニーが暗い声でつぶやいた。
「そういう病気なんだよ、奴は」




