88話 大規模魔導陣発動
魔族は執拗に追ってくる。
ムラークチュマを狙う照準が定まらない。
このままでは、発動してしまう。
「あ……」
魔族の闇魔導が至近で爆ぜたとき、右手からリボルバーが弾け飛んだ。
間一髪、闇魔導の範囲からエフロシーニャは避けた。
でもリボルバーが……
「しつこいでな」
「エフロシーニャ師! 後ろ!」
「わかっておる!」
エフロシーニャは霧の中を縦横無尽に飛び回る。
四体の魔族は代わる代わる闇を展開した。
一つでも当たれば、死ぬ……
ムラークチュマを狙撃するところではなかった。
魔族の魔導は、侵蝕を受けた魔導師とは桁が違った。
漆黒の魔導は空間を抉り、掠めた闇はローブを一瞬で灰にした。
エフロシーニャは避けながら飛び回りつつ、魔導陣を展開していっていた。
霧の中に魔導陣が一つずつ残されていく。
まるで罠を張るように。
「今ぞ! 魔導の解放じゃ!」
「はい!」
私は魔導を思いっきり流した。
それは調整されてエフロシーニャの右手に吸い込まれていく。
そしてエフロシーニャが何やら呟くと後方の霧が爆ぜた。
霧がまるで細かな機雷のように次々と爆発が連鎖していく。
氷の爆発。
振り返った私の目に、氷の槍に貫かれた魔族がそのまま白銀に凍りついていく。
霧の中を飛び出したとき、四体の魔族の反応は消えていた。
「……すごい」
「ヴェーラ! 行くでな」
「はい!」
エフロシーニャは懐から魔導散弾銃を取り出した。
それはオルロフから奪ったものではない。
「闇市で手に入れた代物じゃ」
エフロシーニャは上空にいるムラークチュマに向けて発砲した。
爆裂魔導散弾!!
激しい魔導弾の魔導反応とともに視界が黄金に染まった。
しかしムラークチュマの反応は健在だった。
「射程が短い! 寄るぞ!」
詠唱の声がする方へ、エフロシーニャは飛んでいく。
再び魔導散弾銃が火を吹いた。
それでもムラークチュマは詠唱を止めない。
いつの間にか、さらに魔族は増えていた。
周囲の魔族が盾となり、闇を展開して爆裂魔導散弾を受け止める。
魔族は身を盾にしてムラークチュマを守った。
ムラークチュマを守るようにさらに集合していく。
所長を追っていた魔族もムラークチュマの元に集まった。
この街全体への侵蝕魔導。
そう簡単ではない。
悪魔からの魔導反応は絶えずムラークチュマに流れていく。
それは地上の巨大魔導陣に収束されていく。
一文字ずつ文言が光を放ちながら刻まれていく。
このままでは、もう完成してしまう。
「エフロシーニャ師! どうしたら!?」
「わしが残りの魔族を引きつける。ヴェーラはドミトリと合流じゃ!」
「え?」
次の瞬間、私は空中に放り出された。
「……エフロシーニャ師?」
両手が自由になったエフロシーニャが、魔導銃に散弾を込めているのが視界の端に見えた。
重力が体を地面へと引っ張る。
霧の中を落下していく。
「きゃ……」
次の瞬間、私は抱き上げられた。
目の前に所長の顔が見えた。
「し、所長……?」
「エフロシーニャ師……無茶をする」
「わ、私は、どうすれば?」
所長は私を抱えたまま霧の上に出た。
「ムラークチュマを倒すぞ」
「はい」
所長は私を右腕に抱え直した。
次いで左手で魔導陣を開いた。
私は所長の右手に少しずつ魔導を流していく。
私のお腹を抱える所長の右手に力が入ったのがわかった。
所長も私の魔導を調整しながら受け取っている。
「神の魔導陣!」
追ってくる魔族に向けて所長の白銀の魔導が月にきらめいたとき、目の前が凍りついた。
悲鳴とともに氷が刺さった魔族は墜落していく。
霧の上ではエフロシーニャが爆裂散弾銃を当たり構わず撃ち続けていた。
リロードも手慣れたもので、二発ずつ間髪入れずに装填している。
それは最初より威力を増していた。
爆発で魔族が吹き飛び、戦列が崩れる。
「あの弾からは、ヴェーラの魔導反応を感じるな」
「!」
「ヴェーラ。魔導制御が上手くなったな」
「はい!」
所長が冷静にあの頃のように褒めてくれたのを聞いて、なんだか嬉しくなった。
エフロシーニャは乱れた隊列の魔族に向かって爆裂魔導散弾を打ち込んでいた。
魔族はエフロシーニャの威力の上がった魔導散弾を闇魔導で防いでいる。
「今がチャンスだ」
所長は速度を上げた。
神の魔導陣が白銀に光り輝いた。
魔族に所長の氷の嵐が容赦なく襲いかかった。
ムラークチュマを取り囲む魔族の集団を通り過ぎたとき、魔族は凍りつき墜落していく。
でも、ムラークチュマには届かない。
氷の中から数体の魔族に守られたムラークチュマが現れた。
だけど一瞬、詠唱は途切れた。
「所長! 大規模魔導陣が!」
ムラークチュマは最後の詠唱を終わらせた。
一時的に止まった地上の魔導陣は光り輝きながら、最後の一文字を定着させた。
「大丈夫だ。あの詠唱に楔を打ち込めた。ぎりぎりだったが……」
所長の魔導はムラークチュマの詠唱に、微かであるが爪痕を残した。
所長が示した一点だけ文言が黒く欠けていた。
しかし大規模魔導陣は発動した。
「え?」
ぞわぞわと背筋が凍った。
侵蝕の魔導が体にまとわりついていく。
「な、何?」
気持ち悪い……
ぬめっとしていて、焼けて骨まで凍みるようなおぞましい冷気が襲ってくる。
体が硬直していく。
「あ……」
「不完全だ。俺の魔導陣を抉った魔導に比べたらな」
所長が顔をしかめて左手で私の頭を撫でた。
まとわりついた侵蝕の魔導は、私の神の魔導陣に触れた瞬間、霧散した。
所長の右手の暖かさにほっとして目を閉じる。
「……所長……これが侵蝕の魔導? エ、エフロシーニャ師は?」
「大丈夫だ。この程度、問題ない」
すでに悪魔の魔導反応は役目を終えたかのように消えていた。
エフロシーニャは再び爆裂魔導散弾銃をムラークチュマに向かって撃ち続けていた。
「さすが、エフロシーニャ師。我々もムラークチュマを討つぞ」
「……だ、大丈夫なのですか? 街の人は?」
不完全だったら、街の人は無事……?
でも所長は一瞬、霧を見下ろして首を横に振った。
「……ダメだろうな」
「!」
私はスズダールにいるはずのマリーナのことを思った。
あの笑顔が頭をよぎった。
今頃、マリーナも苦しんでいる。
私でさえ、あんなに気持ち悪かった。
普通の人なら耐えられない。
許せない。
こんな気持ちの悪い無差別強制契約なんて……
かつて獣化の民に言われたことを思い出した。
強制契約は死ぬほどの苦しみだが、お前の契約は違った……
強制魔導って、こんなに気持ちが悪くて苦しいんだ……
「街の人々の心配をするのは、ムラークチュマを討った後だ」
「はい……」
「ヴェーラ! 魔導を流せ!」
「はい!」
私を抱える所長の右手を、私は両手で包んだ。
そして魔導の流れを、祈るように所長の右手に注ぎ込む。
どうか、ムラークチュマを倒して、みんなを元に戻して……
気がついたとき、ムラークチュマが目前に迫っていた。
その顔の口角が不気味に上がった。
その左手から特大の闇が広がる。
私の魔導の流れが奔流となって所長に流れ込む。
所長が開いた神の魔導陣が再び光り輝いた。
「死ね! 神の魔導陣もろとも!」
ムラークチュマが左手をかざして咆哮した。
そのローブの右袖が風に煽られていた。
「!!」
「光よ! 闇を覆い尽くせ!」
所長の詠唱とともに神の魔導陣が発動した。
月の輝きを集めたように光は増幅し、闇を薄めていく。
「!!」
まるで冷たい太陽が星空の下を照らしたかのようだった。
目の前が真っ白になり、光の中を所長とともに飛び抜けていく。
「目がああ!!」
振り返ると、光の中でムラークチュマの影が踊った。
右袖はだらりと垂れ下がり、魔導陣を開くべき左手は目を覆っている。
生き残った魔族も目を覆い、のたうち回る。
それを無慈悲にエフロシーニャが撃ち落としていった。
「ムラークチュマ! 愛するものを奪った仇!」
所長の魔導陣から氷の槍がムラークチュマに突き刺さった。
光の中でムラークチュマは目を見開き、左手を宙に伸ばす。
「侵蝕の魔導師どもよ! 今こそ立ち上がるとき……」
最後にムラークチュマの魔導反応が立ち上り魔導陣と詠唱が終わったとき、その体は左手まで凍りついた。
凍りついた魔導陣とともに霧の中へ、ムラークチュマは落ちていく。
「死んだ……?」
ムラークチュマの魔導反応はもうなかった。
でも最後の魔導陣は、発動していた。
街の人が侵蝕の魔導師となって魔族に支配される……?




