87話 白銀の戦いへ
エフロシーニャは左手を掲げた。
オルロフを引きずり出す……?
エフロシーニャが詠唱を呟くと、魔導陣が床に広がっていき、刻まれた文言が輝いた。
断絶魔導だ……
断絶魔導は霧を払っていく。
魔導灯が古びた木の床を照らした。
見上げると丸い影が天井近くに現れた。
そしてその影が薄まっていくとオルロフが現れ、叫びながら床に落ちた。
落ちた先には、所長が倒した侵蝕の魔導師が横たわっていた。
「ドラグ! 捕まえるのじゃ!」
「おう!」
ドラグはエフロシーニャの声を聞くまでもなく、突進するとオルロフを羽交締めにした。
「この建物の中ではもう魔導陣は開けん」
エフロシーニャはため息をつき、懐から丸薬を二つ取り出した。
一つを自分の口に入れ、もう一つを私に手渡す。
「ほれ、今のうちに回復しておくのじゃ」
「……はい」
私は目を閉じて必死に噛み砕く。
でも、さっきのよりはまだ味はマシだった。
飲み込むと魔導の流れとともに体が楽になっていくのを感じた。
上空で所長の魔導反応とムラークチュマの魔導反応が激突したのがわかった。
まだ神の魔導陣を使っていない。
でも、今の私には何もできない。
それよりもこのオルロフから聞き出さないといけないことがある。
私はドラグに拘束されているオルロフを見下ろした。
「ぐ……」
エフロシーニャはオルロフの側でしゃがみ込んでいた。
「ドラグの膂力には敵いはせんぞ。殺すなよ、ドラグ」
「わかった」
オルロフはドラグに首を締められ、顔を真っ赤にしていた。
エフロシーニャはオルロフの懐を探り、魔導銃を取り出した。
「ふむ。良い銃じゃな」
「……!」
オルロフは憎悪を込めた褐色の目でエフロシーニャを睨んだ。
「お主は、魔族に操られておるのではないか?」
エフロシーニャは銃を突きつけ、首を緩めるようにドラグに指示を出した。
「……利用し利用される。当たり前であろう……」
「開き直っておる」
「私が神聖魔導帝国の皇帝となることは合意の上だ」
「お飾りじゃな」
「だからこそ悪魔の魔導陣が必要なのだ。魔族を支配するために……ぐっ!」
「……」
口調がぞんざいになりつつも、目には力があった。
オルロフの手が懐に入ったとき、またドラグが首を締め上げた。
「……くそ」
「さすがというべきか……」
エフロシーニャは再びオルロフの懐を探り、もう一つの小さな銃を取り出した。
「ほれ、ヴェーラ、持ってろ」
「は、はい」
走り寄って受け取る。
私の手の中に小さなリボルバーがあった。
弾は五発、装填されていた。
だけど弾にどんな刻印が施されているかはわからない。
「さあ、どんな企みじゃ? 侵蝕をスズダールの人々にかけるだけではないじゃろう?」
エフロシーニャは銃でオルロフの頭を小突いた。
「他の魔族は、どこにいる?」
ドラグはまた少し腕を緩めた。
「もう無駄です。計画は止まりません」
「なんじゃ? せっかくご高説を賜ろうと思ったのじゃが」
「……」
「ここに非力な魔族が来ても、魔導は使えぬ。アイカだけでも対処できる」
「グルル……」
エフロシーニャは魔導陣を開く仕草をしてみたが、断絶されたこの場では当然開かない。アイカは扉の方を向き、臨戦体制のままだ。
私は呼吸を整えながら、魔導の流れに集中した。
今晩、絶対にまた魔導を使うことになる。
いつでも使えるように、流れを整えておかなければ。
「どんな計画じゃ? ほれ、話さんか」
「……よろしい。そんなに聞きたくば、話しましょう」
オルロフはドラグに首を締め上げられ、観念したかのように話し始めた。
「ヴェーラ師の確保、そしてドミトリ師をおびき出しての抹殺、スズダールの掌握……同時に行う計画です。ヴェーラ師が……村から出てくるのを待っていたのです」
エフロシーニャは首を横に振って胡座をかいた。
「他の魔族はどこにいる?」
「ドミトリ師の息の根を止めるために動いています」
「!」
「もうじき魔族の総攻撃に遭うでしょう」
「罠……」
私は思わず上を見上げた。
でも、まだ他の魔族の反応はない。
「ムラークチュマには大規模魔導陣を展開してもらわなければなりませんから」
「エフロシーニャ師!」
私は所長が心配になった。
助けに行きたい。
でもエフロシーニャは目配せをして、私を押し留めた。
「ならば、なぜまだ来ない」
オルロフは歪に口角を上げた。
「もうじきこの街は魔獣の群れに包囲されます。その準備をしているのでしょう」
「!」
「悪魔は大規模魔導陣で、全ての力を使い果たします。だから今しかないのです」
「くそがッ!」
「そして新たなしもべとなる侵蝕の魔導師たちとともに王都、いや帝都に向かうのです」
オルロフは勝ち誇ったように嘲笑した。
エフロシーニャは持っていた銃でオルロフを殴りつけた。
「ぐっ……」
「ヴェーラ! ドミトリの奴を救いに行かねばならん!」
「はい!」
私は勢いよく同意した。
もう魔導の流れは回復してきていた。
今なら、この魔導銃でムラークチュマごと悪魔を葬り去ることができる。
いや、やるしかない。
「おや? 助けに行って大丈夫ですか? まもなくオゴン少将もこちらに来る手筈ですよ」
「ドラグはアイカとともにオルロフを見張れ! 絶対に殺すな」
「……エフロシーニャ師。危険だ」
ドラグはオルロフをがっしりと拘束したまま首を横に振った。
そしてエフロシーニャは私に着いてくるように促した。
「ここではしばらく魔導は使えん。魔族が来ても大したことはできん。オルロフは王都までしょっぴいて罪を受けさせなければならん」
「ドラグ! アイカ! 待ってて! お願い」
「……わかった」
オルロフを外に連れ出して強制拘束をかけて縛っておくこともできるが、オゴンに奪回されたら同じことだ。
オルロフを一人にしておいたら、アイカがいても奪われる。
所長を助けに行くのにドラグの翼がないのは痛いけど、エフロシーニャならなんとかする。
「無駄です。そろそろ魔族が魔獣とともに現れるでしょう」
オルロフの高笑いを背に、私とエフロシーニャは建物の外に出た。
建物の外は霧で真っ白だった。
同時に街の周囲から数えきれない魔導反応が出現していた。
「魔獣! 魔族も……」
「急がねば」
吐く息が霧と同化し、街路の魔導灯の灯りがそこだけをぼんやりと橙色に染めている。
石畳は霜が降りたように凍っていた。
そんな中、エフロシーニャの魔導陣が開いた。
干渉魔導!
「ヴェーラ! 行くでな!」
「はい!」
エフロシーニャは右手を伸ばし、その手を左手で握った。
その瞬間、体が浮いた。
目指すはムラークチュマと所長の魔導反応。
「きゃ……」
「ヴェーラ、ほんの少し魔導を流せ」
「はい……きゃあ!」
私が左手に魔導を流した瞬間、私たちは霧の中を猛スピードで上昇した。
魔導を流した左手はエフロシーニャの右手と磁石のようにくっついていた。
あっという間に霧を抜け、星空が上空に広がった。
「ほんの少しと言っておろうが!」
「すみません」
四方から魔族の魔導反応が近づいてくる。
私は魔導の流れを絞った。
「所長! どこですか!?」
そう言った瞬間、霧の中から所長とムラークチュマが飛び出てきた。
黒と白銀が交差し、闇と氷が上空でぶつかり合った。
「所長!」
「ヴェーラ、来るぞ!」
「はっ!」
魔族の反応が急速に迫る。
近い!
「でも私、左手が塞がっています!」
左手はしっかりとエフロシーニャに繋がれている。
魔導陣は左手でしか開けない。
私が流した魔導は、繋いだエフロシーニャの右手から少しずつ取り込まれていくのがわかる。
「問題ない。ヴェーラの魔導を借りるでな」
「はい」
こんなに少しでいいんだ……
「本来なら、自分で魔導の制御のコツを掴むものじゃが」
エフロシーニャは私が流した魔導を、自分で調整していた。
私が普段流す魔導が大河だとしたら、エフロシーニャが私から取り込む魔導の流れは大河の源流、森の奥でちょろちょろと流れる湧水のようだった。
私は必死に魔導の流れを絞った。
大河だった流れが、小川ほどにまで細くなっていく。
「そうじゃ。もう少し制御せい」
「はい!」
エフロシーニャは魔導陣を開いて文言を素早く刻んだ。
「霧よ。侵蝕の魔導へまとわりつき、全てを凍らせよ」
魔導陣が光り輝き、最初に近づいてきた魔族へ向かって銀色の光が網の目のように飛んだ。光が直撃した魔族は、驚愕した表情のまま白銀に凍りつき、墜落していった。
「ヴェーラの魔導はやはり規格外じゃな……」
エフロシーニャはその威力に、自分でも驚いたようにそう呟いた。
「……エフロシーニャ師、後ろ!」
後ろから猛然と迫る魔族の魔導陣から闇が現れ、空間が爆ぜた。
それをエフロシーニャは上昇して躱す。
「所長!」
所長に向かって魔族の反応が十。
私たちに四つ。
所長は防戦一方になった。
魔族に追われて逃げ回っている。
ムラークチュマはさらに上空に飛び、魔導陣を開いた。
その瞬間、悪魔から凄まじい魔導反応が起こり、ムラークチュマに集まってくるのがわかった。
「駄目ッ!」
私は懐から魔導銃を取り出した。
「きゃ!」
エフロシーニャはまた闇の爆発を避けるため、霧の中に入っていく。
魔族が四体、追ってくる。
「霧よ! 侵蝕の魔導師を凍らせよ!」
しかし白銀の光は魔族に当たらず、霧の中を貫いていく。
「エフロシーニャ師! あれ!」
私は見た。
霧を通してもわかる地表に描かれた巨大な魔導陣の魔導反応。
「文言が刻まれていく……」
「ヴェーラ! ムラークチュマに向かうぞ!」
「はい!」
私はあふれ出る魔導を制御しきれなくなっていた。
右手に持つオルロフのリボルバーの引き金に指をかける。
片手で魔導を流せるかわからないが、撃つしかない。
ムラークチュマの巨大な魔導陣が、ゆっくりと完成に近づいていく。
間に合わない。
それでも撃つしかない。
私は銃口をムラークチュマに向けた。




