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契約魔導師のレシピ帖  作者: タキ マサト
五章 ブリヌイの誓い

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86話 侵蝕計画


「この霧、ドミトリ師……ようやく穴蔵から出てきましたね」


 オルロフが周りを見回して唇を歪めた。

 私は両腕を黒ローブに掴まれ、引きずられるように前に進んでいく。


 霧が冷気をさらに運んでくる。

 手足の感覚が鈍くなってくる。


 所長……


 まだ、スズダールにいてくれたんだ……

 だけど、思い出したくないあの反応も強くなっていた。

 

「……ムラークチュマ」


 私は黒ローブに掴まれた両腕を振り解こうとした。

 でも、全くびくともしない。

 霧は足元から徐々に上がってきている。

  

「ドラグ! 今ぞ!」

「おおう!!」


 エフロシーニャがそう叫んだときには、白煙に遮られ、オルロフの顔が見えなくなっていた。


「ヴェーラを取り戻せ!」

「バウバウッ!!」

「ヴェーラ師を確保せよ! 奪われるな!」


 オルロフが叫び、魔導陣を開いた。

 でもそれより前にドラグの体から凄まじい魔導反応が立ち上る。

 次の瞬間、霧を割ってドラグの大きな手が伸び、二人の黒ローブの頭を掴んだ。


「ぐっ!」


 私の両側にい黒ローブが頭ごと持ち上げられる。

 フードがめくれ、その顔が露わになった。

 魔族特有の青白い肌ではない。


「! 魔族じゃない?」


 まさか侵蝕の魔導を得た人間……?


 二人の黒フードの頭はドラグに掴まれ、ごりっと首の折れる音が響き、次いで腕が力無く垂れ下がった。


 その瞬間、オルロフの魔導陣が光を放った。

 霧を裂いて黒い触手のような蛇が伸びる。

 同時に三人の侵蝕魔導師からも黒い蛇が襲いかかった。


 蛇が私に触れた瞬間、エフロシーニャの魔導陣が光った。

 まばゆい光が放たれ、蛇が消える。

 その隙に私はドラグの後ろに隠れた。


「バウバウッ!」


 だが再び霧の中から黒い影が数十本、私たちに迫った。

 その蛇にアイカは機敏に動いて噛みついた。


「アイカ!?」


 アイカに噛まれた蛇はその形を失い、崩れ落ちる。


 エフロシーニャの侵蝕魔導の防御がかかっているアイカは、私に迫った黒い蛇に噛みついていく。もとより魔導抵抗の強い魔獣だ。


 闘争本能を剥き出しにしたアイカは、光り輝きながら蛇を砕いていった。


 それでも蛇は湧き続け、ドラグにも向かってきた。


 ドラグは掴んでいた一人をオルロフに投げつけ、もう一人の事切れた体をそのまま盾代わりにした。

 蛇に触れた魔導師の体は、一瞬にしてフードごと消し炭のように崩れ落ちた。

 盾を失ったドラグに蛇が襲いかかる。


「ドラグ! 逃げて!」


 だけどエフロシーニャが私たちにかけた防御魔導は、侵蝕魔導を打ち砕いた。

 蛇がドラグに触れた瞬間、雷が落ちたように蛇が打たれ瞬く間に消えていく。

 でも、蛇が触れたドラグの体には黒い痣が残っていた。


「ドラグ! 同じ場所には、もう防御は効かぬ!」

「ドラグ! 避けて!」


 再び魔導反応が起こり、次から次へと黒い蛇が霧の中から現れた。

 ドラグはその太い腕を振り回し蛇を叩き落とすが、その度に激痛が起きているようだった。


「ドラグ! 耐えるのじゃ!」


 ドラグの息が粗い。

 エフロシーニャはドラグに回復魔導と防御魔導をかけていく。

 オルロフも魔導陣から触手のような影を繰り出していく。

 その間にも霧は、どんどん立ち込めていく。


「くそっ!」


 ドラグは視界を失った中で、どこから出てくるかわからない蛇に対して飛び出せないでいた。

 ドラグの膂力があれば、魔導師など一瞬で制圧できる。

 でも私のそばを離れることができない。


「バウバウッ!」


 アイカが霧の中に飛び込むとすぐに姿が見えなくなった。

 黒ローブから悲鳴が上がり、まもなく空気を切り裂く鞭が唸った。

 アイカからも悲鳴が上がる。


「アイカ! 戻って!」


 濃霧は敵味方を選ばない。

 わかるのはお互いの魔導反応だけ。


 所長! お願い、早く……来て!


 霧はますます濃くなり、所長の魔導反応はどんどん強くなるのがわかった。

 視界が白く霞む中、蛇が飛び出しその度にドラグが叩き落とした。


「バウバウっ!」

「アイカ! 戻りなさい!」


 アイカの吠え声と鞭が空気を切る音だけが響く。

 やがてアイカは戻ってきた。

 その体は鞭に打たれて傷ついていた。


「オルロフ!」

「なんてひどい……」


 エフロシーニャは回復魔導をアイカにかけた。

 そんな中、オルロフの声が響いた。


「ムラークチュマ! ドミトリ師が来ています。何をしているのですか?」

「オルロフか」


 オルロフは開いた魔導陣に呼びかけていた。

 ムラークチュマの魔導反応もどんどん大きくなっている。


「あなたの右腕を奪った仇です。約束通りおびき寄せましたよ」

「もう少し待て。広範囲魔導の準備にしばし時間がかかる。軍の処理に手間取った」


 ムラークチュマの冷たい声が響いた。

 魔導警報もいつしか止まっていた。


「何をやっているのですか? ヴェーラ師の確保と同時のはずですが」

「オルロフ、貴様も逃さぬように見張れ」

「もう時間がないですね。……やつが来てしまう」


 そう悔しげに呟くと、オルロフは音声魔導通信を切り、別の魔導陣を開いた。

 そして影の中に隠れ、オルロフの魔導反応が消えた。


「影に逃げたか? あのときのように……」


 エフロシーニャはドラグへの回復をしたまま叫んだが、私は別の音に気を取られていた。


 カツーン……カツ……


 不規則な足音。


「所長……?」


 カツンカツッ


「ぐっ……」


 白いもやの向こうで呻き声と黒フードが倒れる音が響いた。

 三人の侵蝕の魔導師の魔導反応が一瞬で消えた。


 所長……


 私は霧の中、前方から響く靴音に向かって駆け出した。


「所長!」

「これヴェーラ! 行くのではない!」


 エフロシーニャが叫んでいるが、止まらなかった。

 夢にまで見た所長が、すぐそこにいる。


 霧の中で大柄な体が浮かんだ。


「……所長?」


 私は立ち止まって声をかけた。

 心臓の鼓動がかつてないほど高まっている。

 そして懐かしい声が霧の向こうから響いた。


「……ヴェーラ。無事だったか」

「所長!」


 すぐそこに所長がいる。

 再び駆け出したけれども、倒れている侵蝕の魔導師につまずいた。


「あ……」


 と思ったとき、逞しい腕に支えられた。


「ヴェーラ」

「所長! 会いたかった……」


 私は所長の体にしがみついた。


 もう離さない。

 離したくない。


 目頭が熱くなった。

 そして顔を上げる。


 霧の向こうに懐かしい所長の顔があった。

 涙でその顔が滲んだ。


「……ヴェーラ」

「!」


 所長と一瞬、目が合った。

 でも所長は視線を逸らすと、私の肩を持って引き離した。

 所長の温もりが離れていく。


「ヴェーラ、まだ終わっていない」

「……はい……でも」


 エフロシーニャがドラグ、アイカとともに近づいてきた。


「ドミトリよ。遅かったな」

「!」

「エフロシーニャ師、ドラグ……ヴェーラを頼む」

「うむ」


 また、所長は行ってしまう。

 ムラークチュマと決着をつけに。


「所長! あの約束は守ってください……」

 

 所長は私の顔を見て、頷いた。


「約束は守る」

「必ずですよ!」


 私がそう言ったとき、ムラークチュマの魔導反応がまた強くなった。

 それとともに四方の悪魔から凄まじい魔導反応が出現した。


「! この反応……何じゃ!?」


 すごく嫌な予感が脳裏を駆け巡った。

 これは破壊の魔導ではない。


 では、何?


「広範囲侵蝕魔導ですよ。ヴェーラ師」

「オルロフ!」


 霧の中で声だけが響いてきた。

 影の中にいる……?


「オルロフ! 隠れとらんと出てこんかッ!」


 エフロシーニャが左手をかざし叫んだ。


「広範囲魔導って……なんの魔導……?」


 その私の疑問に嘲笑が返ってきた。


「悪魔を四方に配置した理由が分かりますか?」

「……」


 体が震えてきたのは、決して寒さのせいだけではなかった。


「この街全体へ侵蝕の魔導を施すためです」

「侵蝕の魔導……? まさか、強制的に……?」

「そうです。悪魔の魔導素を触媒にし、この街全ての人に侵蝕の魔導を授けるのです」

「!!」

「灰にするのは、いつでもできますから」


 あのクーデターのとき、悪魔が王都を囲むように現れたと聞いたことを思い出した。

 あれはまさか、王都の人々に侵蝕の魔導をかけるために配置されていた?


「なんということ……」

「エフロシーニャ師! ヴェーラを頼む!」


 その言葉を聞いた次の瞬間、所長は霧の中に姿を消した。


「所長?」


 私は呼びかけたが、返答はなかった。


 また、行ってしまった。

 でも、必ず戻ってくる。

 私はエフロシーニャを見た。


「どういうことですか? エフロシーニャ師。所長が来ることを知っていたのですか……?」

「ヴェーラ。ドミトリの僅かな魔導反応を察知したのは、少し前じゃ」

「エフロシーニャ師?」


 私には所長の反応がわからなかった。

 エフロシーニャはため息をついて言った。


「わずかな、わずかな反応じゃ。気のせいかとも思った。確信はないほどのな……」

「……」

 

 それでも所長に気づけなかった私には悔しさがこみ上げた。


「ヤツの右足を見たじゃろう。足を引きずっておる。じゃが、まだヤツの神の魔導陣は健在じゃ」

「!」


 私には神の魔導陣を感じ取ることができなかった。

 わずかな所長との邂逅でエフロシーニャはそれを見抜いた。

 もし所長が神の魔導陣を開けば、すぐにわかっただろう。


「やつの抉られた魔導陣は回復しておるが、本調子ではない。そのような状態ではムラークチュマには太刀打ちできぬ」

「!」


 確かに所長の魔導陣は神の魔導陣ではなく、本来の魔導陣の反応だった。

 でも、神の魔導陣を使えば……


「やつは制御しておる」

「使い分けですか……」


 流す魔導の差で発現する魔導陣が変わる。

 私にはまだできない……


「神の魔導陣を開けば、あっという間に魔導の流れが底をつくでな」

「だから温存している……」


 私は上を見上げた。

 不安が押し寄せてくる。


「ムラークチュマを討つには、神の魔導陣を開く機会が必要じゃ」

「だけど……たった一人で」


 霧はますます深くなっている。

 オルロフはどこかにいるはずだが、私には探知できなかった。


 周囲にも魔族や侵蝕の魔導師の反応はない。

 ただ四方の悪魔の反応と、おそらく上空、街の中心にいるムラークチュマの反応だけ……


「わしらはわしらがやれることをやろうかの」

「やれること?」


 エフロシーニャは再び魔導陣を開いた。

 上空で所長の魔導陣が展開されたのを感じた。


「オルロフを引き摺り出す」

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