85話 包囲
「エフロシーニャ師……」
「ヴェーラ。時間を稼ぐぞ」
「何か策があるのですね?」
「!」
エフロシーニャが答えようとしたとき、扉が開いて口をつぐんだ。
ドラグが身構える。
黒ローブ姿の魔導師がフードの奥から褐色の目で私を見据えた。
魔族……?
その感情のない目に震えが走る。
こんなところで、所長にも会えないまま……
最悪の事態……
私は左手を前に出した。
魔導の流れを整える。
でも魔族は私を生かして捕らえたいはず。
エフロシーニャの策が何かを知らないが、時間を稼がなければ。
エフロシーニャは左手に魔導陣を開いている。
「これはこれは、北の魔女、いやエフロシーニャどの」
五体の黒ローブの後ろから、忘れもしない声が響いてきた。
「オルロフ……!?」
オルロフは勲章をたくさんつけた軍服に、黒いローブをマントのようにひっかけていた。オルロフは黒ローブたちに、下がるようにと鞭を上げた。
黒ローブがオルロフに道を開けた。
「ヴェーラ・クリューチナ師……ようやく村から出てくれましたね」
「……」
「今日はあの物騒な魔導銃は持っていないようですね」
じろりと私たちを一瞥し、薄い唇を歪めて一歩近づいてくる。
それにドラグが射線を遮るように私の前に立ち塞がった。
「この街は四体の悪魔に包囲されています」
「四体……?」
東と南にも立て続けに悪魔の反応が湧き起こったのを感じた。
「ヴェーラ・クリューチナ師。この街の人間を助けたければ、我々に協力しなさい」
「街ごと人質にとるか! オルロフ!」
エフロシーニャが叫び、それにオルロフは悲しげな顔をして首を振った。
「私がいなければ、この街はとうに悪魔に滅ぼされていたのですよ」
「え……?」
どういうこと……?
「私はこの身をもって、この国の人々を魔族の脅威から守っているのです」
「何を言うか! 魔族を手引きした裏切り者めが!」
エフロシーニャが怒鳴り声を上げた。
「騙されるでないぞ……ヴェーラ」
エフロシーニャは左手を掲げたまま、鋭い声で私に声をかけた。
「魔族が人々に何をするか知っておろう……」
「侵蝕の魔導を得られれば、すべての人々が十二魔導の一員になるのです」
オルロフの声が陶酔したように、うわずった。
「魔導の使えない人間が魔族に虐げられていたのは事実。しかし誰もが魔導師になれるのです。もう魔族に怯えることはありません」
「狂っておる」
「……エフロシーニャ師」
「その根拠はないでな」
エフロシーニャの言葉にオルロフは薄く微笑んで手を広げた。
「私は魔族と誼を結びお互いを理解し合ったのです。私が無事な理由、それこそが根拠です」
「……騙されておる」
「魔族は北の不毛な地に追いやられて困窮しているのです。十二魔導の融和により魔族の脅威から我々は解放されるのです」
「……」
エフロシーニャの言うように、オルロフはきっと騙されている。
私もそうは思うが、魔族も人間、そう獣化の民のように……
もしかしたら……分かり合える?
私は故郷の厳しい冬を思い出した。
それよりさらに北の厳しい土地。
困窮しているというのは事実だろう。
「……魔族にも話のわかる人物はいるのです。だが、そうではない魔族もいるのも事実」
オルロフの目が怪しく光った。
でもやはり……危険だ。
「この街の人々は神聖魔導帝国の臣民で同じ魔導師になるのです。無闇に虐殺するつもりはありません」
「ならば、悪魔化した魔獣を元に戻せ。はよ」
オルロフはエフロシーニャの物言いに少し苛立ちを見せた。
「魔族は、この街を滅ぼしてもよいと言っているのです。それを私が、私一人が食い止めているのですよ?」
「その魔族への見返りが……ヴェーラなのじゃな?」
エフロシーニャは私の目を見た。
その目は時間を稼げ、と言っている。
黒ローブは感情のない目でオルロフとエフロシーニャの言葉を聞いている。
それが不気味だった。
「私は何をすればよいのですか? 本当にあの四体の悪魔を制御できるのですか?」
「もちろんです。ヴェーラ師。そうでなくば、我々も死んでしまいますから」
オルロフは優しく語りかけた。
確かに四体の悪魔は不気味に沈黙したままだった。
そのうちの一体に軍が攻撃をしている魔導反応を感じた。
「ヴェーラの魔導陣が目的じゃな?」
「そうです……ヴェーラ師が持つ悪魔の魔導陣、それはかの英雄、疾風ヴォルトと同じものです……」
「!」
私の目が見開いたのをオルロフは目ざとく見つけて、優しく微笑んだ。
「かのヴォルトが不慮の死を遂げたのは、私の家のものが関わっているのです」
そして秘密を打ち明けるように、声をひそめて私に話しかけた。
「王宮の地下に悪魔の魔導陣を持つ者でないと開けられない扉があります」
「……え?」
「ヴォルトは我々に黙って、その扉を開けようとしたのです」
「……それで、暗殺したのじゃな?」
そのエフロシーニャの疑問をオルロフは無視した。
「見たくはないですか? その奥に何があるのかを……」
「……」
エフロシーニャの隠れ家では神話の竜が召喚された。
ヴォルトは更なる力を得ようとして殺された?
見たくはない、と言ったら嘘になる。
でも、そんな力なんていらない……
「それは古代魔導帝国の復活の鍵なのです」
「!」
「オルロフ家の極秘文書に、そう記されていました……」
「……」
「危険すぎる……これまでじゃな」
エフロシーニャは左手に魔導を込めた。
でも私たちに選択肢があるとは思えない。
西の方で明らかな魔族の反応がいくつか起こった。
軍の魔導反応が一つずつ消えていく。
断るとどうなるのだろう。
新しく出現した悪魔は、まだ動かない。
何を企んでいるの?
いくらドラグの力が強くてもエフロシーニャの魔導が規格外とはいえ、四体の悪魔がこの街を襲ったら、みんな灰になってしまう。
それに目の前にいる五体の黒ローブ……
私たちが不穏な動きをしないように見張っている。
「悪魔の魔導陣で王宮の扉を開けることができれば……私は皇帝として、争いのない平和な世を作ることができるのです」
「……」
「それが、目的か?」
私は五体の黒ローブを見た。
皇帝になると言ったオルロフに対して無反応だった。
それに不気味な感じがした。
魔族もその力を手に入れたい?
私の体の奥底で強い魔導の流れが湧き起こる。
古代魔導帝国の力。
その力で魔族とオルロフを止められるなら……
いやいや、そんな誘惑は危険だ。
力を得ようとしたら私もヴォルトのように殺されてしまう?
たとえ罠でも、今はオルロフの言葉に縋るしかない。
この街と、エフロシーニャたちを守るためには。
少なくともオルロフには理想と思想はある。
それにここまで情報を漏らしたのだ。
無事に帰れるとは思えない。
「どうです。古代魔導の力……あの竜を支配したヴェーラ師だったら、わかるでしょう?」
「ヴェーラ! 聞くのではない」
オルロフがまた一歩踏み出した。
「バウバウッ!!」
「ヴェーラは俺が護る」
エフロシーニャ、アイカ、ドラグが私を止めるように声を上げた。
力はいらない。
でも、みんなを守りたい。
「……私が行けば、必ず、この街は守られるのですね? エフロシーニャもドラグもアイカも無事に帰ることができるのですね?」
喉がカラカラになっていた。
絞り出すようにオルロフに尋ねた。
抵抗しても、助かる保証はない。
魔導の流れは回復してきたが、魔族相手に強制契約はかかるとは思えなかった。
あの大きな魔導反応は、ムラークチュマ……
私が行けばみんなを救える。
するとオルロフは、満面の笑みで答えた。
「もちろんです」
「……ダメじゃ……ヴェーラ」
エフロシーニャが諦めたような声を出した。
エフロシーニャも悪魔に包囲されムラークチュマが現れたこの状況に決め手がないようだった。
でも、一つだけ気になることがあった。
「あの魔族、ムラークチュマもその王宮の地下の秘密を知っているのですか?」
「当然です。悪魔の魔導陣の力は悪魔の魔導陣を持つものしか使えません。あの空船のように……今ではあなたが来ることを心待ちにしています」
嘘だ……オルロフの目が雄弁に語っている。
「ムラークチュマが約束を破ることはないのですか?」
「私が説得しました。悪魔の魔導陣で古代の扉を開けることを了承しています」
あの私に向けられた殺意のこもった視線を思い出して身震いする。
「もし空船のようなものが出てきても、起動させたらその場でお払い箱にならないという保証は?」
「そのような心配は必要ありません。我が帝国の姫として厚遇することを約束します」
オルロフは薄く口角を吊り上げて手を伸ばした。
「さあ……」
「グルルル……」
オルロフに促され魔族が二人、前に出てきた。
「さあ……行きましょう」
でも……
オルロフの提案に乗ったら、もう後戻りできない。
後ろの三人の魔族から強い魔導反応が現れた。
また一段と冷気が強まった。
「時間はもうありません。悪魔を止めていられる時間は長くはありません」
もし断っても私を強引に連れていき、そして悪魔がこの街を灰にするかもしれない。
私は覚悟を決めて、立ち上がった。
「ヴェーラ。もう少し待て」
エフロシーニャも掲げた左手にさらに魔導を流し始めた。
ドラグが腰を落として詠唱を始めている。
「手荒な真似はしたくありません。従わなければこの街は灰になります」
オルロフが上げた鞭を下ろそうとした。
「待って! 行きます!」
私は一歩踏み出した。
「ドラグ。道を開けて」
「……ダメだ。こいつは悪いヤツだ」
ドラグは大陸語で答えた。
「ドラグ。でも従わないとこの街の皆が死にます。お願い」
「……ダメだ」
「抵抗するのですね」
黒ローブの左手に凄まじい侵蝕の魔導反応が現れる。
もう誰も殺させない。
「ドラグ!! そこをどきなさい!」
私の叫ぶような声にドラグの体がぴくりと動いた。
「……わかった」
時間をかけてゆっくりとドラグが道を開けたとき、オルロフと正対した。
その顔が不気味に歓喜の表情に変わった。
二人の魔族が近づいてくる。
やっぱり、無理だ……怖い……
でも、もう遅い。
私の両腕を魔族に掴まれた。
所長! 助けて!
そのとき、凍えるような冷気が外から押し寄せてきた。
廊下の魔導灯の明かりが、白く霞む。
空気が凍る。
これは、霧……?
まさか……!
この魔導反応……忘れるはずはない。
来てくれた……!




