84話 危機
「ヴェーラ! しっかりせんかい!」
「バウバウッ!!」
目を覚ますと目の前にエフロシーニャがいた。
エフロシーニャ師……
所長は……?
そう聞いたつもりだったが、声にならなかった。
まだ耳はキーンという特大の耳鳴りがしていた。
でも、意味は通じたらしい。
エフロシーニャは首を横に振った。
直接、頭に手を当てて話しかけてきた。
「ドミトリのヤツは、半月前に義足を受け取って、それから行方が知れん」
「!」
所長……
こんなことになるなんて。
エフロシーニャに言われた通り、宿で待っていればよかった。
頭が朦朧とする。
意識を失ったことで、身体強化の魔導は解けていた。
体が重い。
「ほれ、これを飲まんか」
「……はい」
エフロシーニャは懐から丸薬を取り出した。
「よく噛んで、飲み込みなさい」
「……はい」
私は丸薬を受け取った。
口の中に入れると強烈な苦味と青臭さが口中に広がる。
「……うっ」
吐き戻しそうになる口を手で押さえて必死に噛み砕く。
舌がびりびりと痺れ、胆汁に腐ったミルクを混ぜ合わせたような味に、食道が飲み込むのを拒否する。
私は必死になって噛み砕いた。
頭が少しはっきりとしてくる。
耳鳴りも収まってきた。
どろどろになった薬をやっとの思いで飲み込んだ。
「回復魔導でも薬でも、魔導素までは回復できぬ。ドラグ、ヴェーラを抱えよ」
「……わかった」
私はドラグに抱え上げられた。
「早くせんと軍と魔族が来る」
廊下に出ると灰色のローブを着た魔導師が倒れているのが見えた。
「灰色のローブを着ているが、侵蝕の魔導師じゃ」
「……オルロフの部下?」
「十五人ほど倒れておる」
「!」
「やりすぎじゃ」
エフロシーニャがため息をついた。
それよりも非常事態だったことを思い出した。
「エフロシーニャ師……トイレにいきたいです」
「……早くせい」
エフロシーニャはため息をついて許可してくれた。
ドラグに指示してトイレの前で私を降ろさせる。
「間に合った……」
ふらつく足と霞む頭でなんとかトイレに駆け込んだ。
口の中はまだ痺れているが、魔導の流れが落ち着いてきたように感じた。
「バウバウッ!!」
トイレの扉の前にいるアイカが吠え立てた。
トイレから出たとき、すさまじい魔導反応が出現した。
悪魔……!?
忘れもしない、あのおぞましい魔導反応……
「ヴェーラ! 早く逃げるでな」
「……はい」
「軍は悪魔に向かうじゃろう。ドラグ」
私たちは再びドラグに抱えられた。
アイカはエフロシーニャがしっかりと胸に抱く。
階段をドラグに抱えられて登っていく。
「アイカがわしらを探し出して、ヴェーラが連れ去られたことを知ったのじゃ」
「……アイカ」
「バウッ!」
アイカはドラグの前を駆け上っていた。
「ドラグには気になる魔導反応があったので、行ってもらっておった」
「……ドラグ?」
「……魔族かわからんが、一人殺した」
「……!」
「ヴェーラを探しておったのじゃが……」
階段を三つ上がってもまだ地下だった。
「アイカの鼻を持ってしても、場所が特定できなかった」
エフロシーニャの回復魔導と丸薬のおかげで体は少し楽になってきていた。
でも、まだ魔導の流れは安定していない。
「ヴェーラがいたのは地下十階じゃ。匂いはこの建物の近くで消えておった」
「地下……十階?」
観測魔導で地下にいたことはわかったが、そんなに深かったとは。
ドラグに抱えられて私たちはひそひそと言葉を交わし合う。
ドラグは私たちを抱えたまま暗い階段を三段飛ばしで登っていく。
「ここは魔族、いやオルロフのアジトじゃな。やはりスズダールを狙っておったか」
「……この、タイミングで?」
「ヴェーラが鍵じゃ」
「!?」
なんで?
「あの空船を見られたからの。神の魔導陣を手に入れたいのじゃろう」
また、私のせいで周りを危険に晒す?
伝説の疾風ヴォルトもこの神の魔導陣のせいで暗殺された。
改めて、この力は危険すぎると身震いする。
「魔族は……神の魔導陣を知っているのですか?」
「おそらく……」
エフロシーニャはそこで言葉を切った。
「魔族を北の地に追いやった憎むべきヴォルトと同じ魔導陣じゃ。話くらいは伝わっておろう」
「では、私が村から出てくるのを待ち伏せてた……?」
久しぶりの街で活気のある人々を見て、浮かれすぎていた。
「宿で待っているように言っておったじゃろうに。まあ、わしの見通しが甘すぎたことが原因じゃ」
エフロシーニャが疲れた声を出した。
地上に近づくにつれて悪魔と軍の魔導反応が大きくなっていく。
ようやく一階に到着したときは、窓の外は真っ暗だった。
地下から上がった瞬間、冷気が押し寄せてきた。
人通りはない。
扉を開けると普通の魔導具を扱う商店の倉庫のようだった。
一段と悪魔の魔導反応が強くなる。
最初の悪魔への対処に軍の魔導師たちが集まっているのがわかった。
『西地区で魔獣の悪魔化確認! 直ちに避難せよ! 繰り返す!』
西地区って反対側だ。
地響きと轟音が響き、けたたましい魔導警報が夜空に鳴り始めていた。
「グルルル!」
「こりゃアイカ!」
前方でアイカが警戒したように唸り出した。
魔族!?
「早すぎる……」
建物の近くに侵蝕の魔導反応がいくつか現れた。
同時に悪魔の魔導反応が別の場所でも起こった。
「悪魔が増えた……? ヴェーラはまだ魔導は使えん」
「……どう……するのですか?」
頼みの軍は悪魔への対応で手一杯になる。
私は薬で回復したといっても、次、大きな魔導を使ったらまた倒れてしまうかもしれない。
「軍はこちらには来られない……?」
「じゃが、ムラークチュマの反応がないのが救いかの」
「……」
「時間を稼ぐしかない……」
時間を稼ぐって、もたもたしていたら悪魔の魔導でこの街が灰になる。
でも、エフロシーニャは何かを確信したかのように頷いた。
援軍が来るの?
倉庫を抜け出して地下へと続く廊下に出た。
「あの場では挟撃されるでな」
エフロシーニャは魔導陣を開いた。
文言を書き連ねていく。
「わしの孫に手出しはさせぬぞ」
魔導陣が光り輝き、私たちの周りに光の粒子が踊った。
「これで侵蝕魔導に対抗できるはずじゃ」
さらにエフロシーニャは魔導陣を開くと文言を刻む。
「ドラグ。身体付与した。わしらを降ろせ」
「わかった」
「グルル……」
この建物の周りを侵蝕の魔導師たちが囲っているのがわかる。
逃げられない。
私は床に降ろされるとペタリと座り込んだ。
力はまだ入らない。
アイカが私の前で唸り声をあげた。
エフロシーニャがさらに魔導陣を開いたとき、建物の中に複数の魔族が入ってきたのがわかった。
まっすぐにこちらに進んでくる。
「ヴェーラ。これを飲んで体力と魔導の流れを回復させるんじゃ」
「……はい」
私が別の丸薬を受け取って口に含んだとき、建物に侵蝕の魔導師たちが入ってきた気配がした。
魔族が来る?
私は必死になってその丸薬を噛み砕いた。
味がどうのこうのと言っていられない。
早く。
早く、魔導の流れを回復させないと。




