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契約魔導師のレシピ帖  作者: タキ マサト
五章 ブリヌイの誓い

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82話 拉致


 右足がなかった?


 あの王宮の地下で闇に削られた柱や壁を想起する。

 闇に消えたザイェツ少尉のことも……


 魔族の侵蝕魔導。

 あの侵蝕魔導に所長はやられて足を奪われた。

 怒りと恐怖で体がこわばるのを感じた。


「ムラークチュマ……」

「……ムラークチュマという魔族がやったのね?」

「……それで所長は、北の地に単独で向かったと思いますか?」


 マリーナはまた私を見つめた。


「ヴェーラは、追いかけるのね?」

「だって、右足がないんですよ?」


 腰を浮かせかけた私にマリーナはため息をついて言った。


「その闇市の店を教えてあげる」

「!」


 マリーナはノートに地図と店名を書いて渡してくれた。


「自分で確かめて。その店はもぐりの刻印魔導の店。義足を注文していたようよ」

「ありがとう! アイカ行くよ!」

「バウッ!」


 私は立ち上がった。


「絶対に無茶はしないでね……って、行っちゃった……」

「マリーナも無理しないで!!」


 マリーナの声を背後に聞きながら、私は振り向いて叫んだ。


 所長……


 右足の治療と義足を作るためにこの街に来たんだ。

 そして義足ができて、北の地に向かってしまった?


 エフロシーニャに宿で待ち合わせと言われたけど、この地図があればすぐに目的の店は見つかる。

 自分で確かめないと気が済まなかった。


 私はバスに乗ってまた宿の近くまで戻った。

 地図を頼りに人混みの中を分け入っていく。


 やがて石炭とドブ川のすえた匂いが鼻をつく一角に出た。

 川沿いに小工場が立ち並び、橋を渡ると雑居ビル群が見える。

 人の群れはそこに向かっていた。

 その雑居ビルが入り組む路地にアーケードがあり、そのどこかに闇市があるらしい。


 アーケードに入ると屋台で焼くシャシリクやブリニの香ばしい匂いが鼻口をくすぐった。 


 エフロシーニャ師とドラグが来ているはず。

 ドラグは目立つ。

 ドラグの身長だったら頭一つ以上抜けているはずだけど、人々に埋もれて見渡せなかった。


「エフロシーニャ師……ドラグはどこ? アイカはどこにいるかわかる?」

「くうん」


 アイカは私を見上げて首を振った。

 リードをしっかりと持っていないとすぐにはぐれてしまいそうだった。


 心細さが押し寄せる。

 ちらほらと灰色魔導師のローブが見える。

 でも黒色の国家魔導師の姿は見えない。


 それでも魔犬を連れた私には好奇の目が向けられているのを感じた。

 黒色だったら、もっと目立っていた。


 人気の少ない路地裏に魔導神の石碑を見つけた。

 人混みを抜け出してようやく一息つく。


 闇市なんてどこにあるかわからない。

 冬が近づくこの時期は、誰もが忙しそうに大きな荷物を持って行き来している。


 誰かに聞くことを諦めて、マリーナからもらったメモと地図を開いた。


「ええと……今はここだから……」


 魔導神の石碑の近くで一人でぶつぶつ言っているときに、アイカが唸り声を上げた。


「アイカ?」

「グルル……」

 

 灰色の魔導師が人混みの中から、路地に向かって歩いてくるのが見えた。

 振り返ると背後からも二人の灰色のローブが近づいてきていた。


 挟まれた……!


「な、なに?」

「バウバウッ!!」


 私は後ずさった。

 明らかに軍ではない。

 

 だったら……?


 灰色のフードから覗く褐色の目に敵意がこもったのが見えた。


 魔族? いや、魔族の手先……


 その殺意に膝から震えがきた。


 やはりドラグの魔導反応が見つかってしまった……?

 スズダールまではドラグの翼では来なかったけど……


 やっぱりエフロシーニャと待ち合わせをすればよかった。


「ヴァンヴァンヴァン!!」


 アイカが目の前の灰色魔導師に吠え立てている。

 後悔と見通しの甘さが、今さら胸を締め上げた。


 ドラグ! エフロシーニャ師! 助けて……


 所長ッ!!


「う……」


 そのとき、背後に人の気配がした。

 ローブの袖から腕が伸びてきて、布で口と鼻を覆われた。

 甘い薬草の匂いと思ったときには、意識が薄らいでくる。


 アイカの吠え声が遠くなっていく。


 所長……


 私は気を失った。




   *




 どのくらい意識がなかったのかはわからない。

 気がつくと後ろ手に縛られて猿轡と目隠しをされていた。


 体を動かそうとしたが、手足の感覚はなかった。口も痺れているようで唸り声すら出ない。


 朦朧とした中で現状をなんとか把握しようとした。


 遠くから人の話し声が聞こえる。

 埃っぽい場所。

 木の板のざらざらした感触が顔に当たる。


 風はない。

 淀んだ空気。


 地下だ……ここ。

 アイカは?


 耳を澄ましてもアイカの吠える声は聞こえてこなかった。


 扉が開く音がして、ビクッとする。


「あの薬を嗅いだばかりだ。二日は目覚めん」

「確かにヴェーラ・クリューチナだ。……良くやった」


 入ってきたのは二人。

 そのうちの一人に髪の毛を掴まれるが、抵抗もできない。

 片割れはしわがれた男の声だった。


 薬を嗅いだばかり……?

 じゃ、捕まってからそんなに経っていない?


「……オルロフ様からは殺すな、と言われている」

「北部で捕えた蛮族の拘束契約を解除させるのだな?」

「詳しくは聞いていない……」


 しわがれ声で感情はこもっていない。


「それよりも、あのドミトリをおびき寄せるエサになろう」

「例の計画には、この女と奴が障害となる」


 二人はそう言いながら部屋を出ていった。

 そして扉に封印の魔導がかけられた。


 スズダールの制圧?

 所長をおびき寄せるエサ?


 私が……?


 二人の話を聞きながら、あの嗅がされた薬草を思い出した。


 エフロシーニャの夜のカーシャにいつも少し入っている。ごく少量ならば筋弛緩効果があり、良い眠りへ誘う効果がある。


 子どもの頃から食べさせられ続けた私には、あまり効果はなかった。


 でも動けないのは事実だ。


 動けたら、所長の名前が出たところで起きているのがバレてしまうところだった。


 それよりも、例の計画って何?


 所長がその障害となる?


 早くここから逃げ出してエフロシーニャや軍に伝えないと。


 いや、アイカが逃げているならば、エフロシーニャやドラグと合流して、私の匂いを追ってこの場所を見つけてくれるはず。


 おそらくまだあの市場からそう遠くない。

 もしかしたら、どこかの雑居ビルの地下、闇市の店。


 体は動かないが、思考ができることに少し安心する。

 私は深呼吸をしながら体内を巡る魔導の流れを観察した。

 

 大丈夫。

 滞りはない。


 このまま魔導の流れをゆっくりと、氷を溶かすように循環させていく。

 精神を研ぎ澄ますと、徐々にではあるが皮膚感覚が戻ってきた。

 左手の指が動くようになったら、縛られていても魔導陣は開ける。


 でも今、魔導陣を開いたら、魔導反応であいつらに気づかれてしまう。


 今私が使える魔導は、契約、回復、付与だけ。

 召喚が使えれば攻撃、防御にも使えるけど……


 まずは回復魔導で薬の薬効を解く。

 そして付与魔導で身体強化する。


 きっとアイカがこの場所を見つけ出してくれる。

 タイミングが重要。

 そのときまで、体力と魔導を温存しないと。


 この半年の経験を思い出す。

 今までは助けられてばかりだったけれども。

 不思議と恐怖はなかった。


 私は目を閉じた。

 暗闇の中、魔導の流れだけをひたすら観測していた。

  

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