80話 ブリヌイの平穏
スズダールまでは馬車を乗り継いで二日かかる。
乗合馬車が二日に一回、早朝に村の広場から出発する。
小さめの背嚢に旅支度を整え、翌朝治療院に向かった。
スズダールの街に着いたら銀行に行ってお金を下ろして、マリーナのいるタイムズの支社に顔を出して、そして所長の詳しい消息を聞く。
久しぶりの休日。
楽しみだけど。
「ドラグに乗せていってもらうかの」
「……わかった」
「……」
やっぱりドラグに飛んでいってもらうのね……
エフロシーニャは笑顔でそう言うけど、私は苦手だった。
でも一日も早く、所長の消息を知りたい。
マリーナもまだいるか分からない。
不安と焦りと期待。
ドラグは灰色魔導師のローブを繋ぎ合わせた外套を身につけていた。
その袖は外され肩甲骨が覗いている。
ドラグが詠唱を始めるとそこから翼が持ち上がった。
そして荷物を大量に積んだ大きな背負子を背負った。
「ドラグ……寒くない? 重くない?」
「大丈夫」
「街についたら、マントがあるでな」
「必要ない」
ドラグは簡単な王国語の受け答えができるようになっていた。
アイカをハーネスで固定して私が抱え、リードをドラグに巻きつけた。
私たちはドラグに抱えられて、重い雲が立ち込める山奥の村から飛び立った。
「快適じゃのう」
「ドラグ、ゆっくりね……」
冷たい風が肌を刺しローブをバタバタとなびかせる。
ドラグに運ばれることにも慣れた。それでも空を飛ぶのは怖い。
でも太い腕はびくともせず、不思議な安心感があった。
村から隠れ家までは一時間もあれば着くけど、スズダールまではドラグに飛んでもらうわけにはいかない。
ドラグの翼があればあっという間だけど。
あのオルロフのクーデター未遂事件。
イリアたちと別れたあと、王都近郊からドラグに村まで運んでもらったときのことを思い出した。
あのときは、休みながら一日かかった。
まだ暖かかったからよかったけれど、今はローブを被っていても北風が容赦なく体温を奪っていく。
やがて針葉樹林に覆われた山が眼下に広がった。
もう半月もすれば一面の雪景色になる。
「ドラグ。寒いです」
「分かった」
ドラグは道を見つけ高度を下げた。
木々の間に入っていく。
空から行くと本当にすぐに着く。
二時間も飛ぶと、少し大きめの集落が見えてくる。
村外れにドラグを下ろしたが、それでも何人かの村人たちに見られてしまった。
「エフロシーニャ師のところの蛮族だ……」
「でかい」
村に入るとざわついた。
ドラグの体躯はどうしても目立ってしまう。
「朝食にしようかの」
「バウバウッ!」
この村は近隣の集落から人が集まるため宿や食堂がいくつかあり、市場が立つ。
スズダールの街までの乗合馬車は二日に一度出るが、乗客が多いときはここから毎日出る。
冬前のこの時期は、人が増えていた。
私たちは混み合う一軒の食堂に入った。
ドラグはシルニキ、エフロシーニャはカーシャを選び、アイカには腸詰を頼んだ。
私はブリヌイを注文した。
「これなら作れるかも……」
薄焼きクレープ生地にジャムとサワークリーム。
甘塩っぱい生地に酸味と甘味が口いっぱいに広がる。
隠れ家ではエフロシーニャの薬草カーシャばかりだったので、その味にほっとする。
「夕方には着くじゃろ」
「どのくらい街にいるのですか?」
エフロシーニャは食後のお茶をすすって言った。
「二、三泊じゃな。知り合いの宿に泊まるでな」
「銀行に行っても大丈夫でしょうか?」
エフロシーニャはジロリと睨んだ。
「大丈夫じゃろ。もう指名手配は解けている」
「そうですよね」
「ここからは馬車じゃ」
スズダールの南側には軍の施設がある。
ドラグの強大な魔導反応はすぐに探知され、トラブルになりかねない。
エフロシーニャは食後に組合に寄り、残っていた最後の一台の馬車を契約した。
「ドラグで街までは行けんでな」
「私たちが街にいることが、わかってしまいますから……」
あのときも——
隠れ家に初めて行ったあの日、ドラグの魔導反応を探知した軍が飛来してきた。
「メドヴェド少尉に頼んでおいたのが、やっときたから大丈夫じゃ」
エフロシーニャはレオニードにドラグの軍籍を抜いてもらうように働きかけ、さらにグロモフには、ドラグに灰色魔導師のライセンスを出すように手配してもらっていたのだった。
「そこの不審な魔導師ども! こちらは北方師団警戒班だ! 直ちに着地し魔導を閉じよ! 繰り返す!」
干渉魔導師の警告が響いてきた。
契約局からの逃亡の指名手配は解除されているはずなのに……
ここで捕まったら、所長を探すところではなくなる。
「やはり来よったか。降りるぞ」
「バウバウッ!!」
「アイカ……ヴェーラ、大丈夫じゃ」
私たちはその場で指示通りに着陸した。
「エフロシーニャ師? 本当に大丈夫なのですか?」
私の不安な声を聞いてエフロシーニャは安心させるように囁いた。
「まあ、こうなるとは思っておったからの。わしにまかせておけ」
「何者か!?」
「ば、蛮族!? 逃亡蛮族か!?」
軍の魔導師は五名。
私たちに続いて降りてきた。
「魔導陣が復活しているぞ! 気をつけろ!」
「魔族の手先か!?」
「いや……そこにいるのはヴェーラ・クリューチナだな?」
干渉魔導師と付与魔導師からなる小隊は、魔導ライフルを私たちに突きつけた。
軍の魔導師たちの顔には緊張が見えた。
私たちは両手を上げ、抵抗の意思のないことを示した。
「ここにレオニード師団長とグロモフ魔導局長官の手紙があるが……」
「レオニード少将閣下!? グロモフ長官だと!?」
軍と魔導局の実質的トップ二人の名前が出て、魔導師たちは困惑した表情を浮かべた。
エフロシーニャは懐から手紙を取り出した。
小隊長が手紙を受け取り、読み上げ始める。
「訓示。北方師団所属、獣化の民ドラグの軍属を解く……? 尚、軍用魔犬アイカ号はエフロシーニャ師の護衛任務とする。第一師団長レオニード。……確かに師団長の魔導刻印が入っている……」
「ほれ、逃亡ではないぞな」
「だが、蛮族……いや獣化の民は、協定により南の地に全て戻ったはずだが……?」
もう一通の手紙を小隊長は開いた。
「獣化の民、ドラグに灰色魔導師(獣化)のライセンスを与える。なお、獣化魔導は特例につきドラグのみとする。魔導統合局長官グロモフ……」
「ほれ? 何か問題でも?」
「し、失礼いたしましたッ!」
小隊長は敬礼をして非礼を詫び、それにエフロシーニャは鷹揚に声をかけた。
「このドラグの魔導反応は強すぎる。お主らが出張ってくるのも仕事のうちじゃ」
「その……無用なトラブルにならないためにも、今後はあまり大きな街では獣化の魔導を使わないようにお願いします」
「そうじゃな」
エフロシーニャは笑って同意した。
「抑止力としては、まあまあじゃな。もし魔族が来ても時間は稼げるじゃろ」
エフロシーニャは去っていく軍を見送りながら、小さく呟いた。
それからは軍が出てくることはなかった。
心配していた魔族の襲撃も……
そういうわけで馬車でスズダールに向かう。
この集落まではドラグの獣化魔導での行動の許容範囲とエフロシーニャは言っていた。
そんなやりとりを思い出しているうちに、馬車は大きな街を見下ろす丘に出た。
煙突が立ち並び、鉄道の路線が見える。
煙突から立つ白煙が穏やかに夕日に染まっている。
スズダール……
所長……まだ、この街にいますか?




