76話 決着
「ヴェーラ師? 起きてください」
「はッ!」
スヴェトラーナに私は揺り起こされて目がぱちっと開いた。
「今、何時ですか?」
私は跳ね起きた。
「もう夕方です」
「王都はどうなりました?」
スヴェトラーナは首を横に振った。
よく見ると顔色が悪く、眉間に深い皺が寄っていた。
「……スヴェトラーナさん、まさか」
「……オルロフと魔族は逃げたそうです」
「……え?」
逃げた……?
その言葉に体が固まった。
所長は?
所長の戦いは、まだ終わらない……
「ドミトリさまは、魔族を追いかけて……」
その言葉を聞くとすぐに、私は神の魔導陣を開いた。
所長の魔導反応は感じない。
音声魔導通信……
どうやるのか、わからない。
軍の極秘の魔導だ。
神の魔導陣は何も応えない。
「……所長。返事してください!」
「ヴェーラ師……」
「……所長が追っていったムラークチュマ……必ず探しだします」
私はエフロシーニャの隠れ家を思い出した。
あそこで観測すれば、見つけることができる。
「ヴェーラ師。魔導陣を閉じてください」
「はっ!」
気がつくと自分の体から強い魔導反応が漏れ出していた。
「ヴェーラ! なに不穏な魔導陣を開いているのじゃ!」
エフロシーニャが部屋の扉を開けて入ってきた。
手にはお玉を握っている。
「はよ、起きんかい」
そしてため息をついて、首を横に振った。
「今後について、少し話し合いじゃ」
食堂には全員揃っていた。
目の前のカーシャが怪しげな匂いを放っている。
メドヴェドがじっとその皿を見つめていた。
「食べながら、情報の共有じゃ」
「その後、我が連隊は魔族を追撃しましたが、見失いました。王都に向かう予定です」
メドヴェドがカーシャを一口食べて顔をしかめながら言った。
私もカーシャを一口飲み込む。
薬草の苦味と青臭さが口中に広がるが、体の中で暴れている魔導の流れが落ち着いていくのを感じた。
その私の表情を見て、イリアが肩をすくめた。
食事の準備を手伝うことは無理だったようだ。
「今、機動部隊がこちらに向かっています。そろそろ到着するとのこと」
「王都は……所長はどうなったのですか?」
私はそれが気になった。
「レオニード大佐はオルロフを追い詰めましたが、逃げられました」
「所長……ドミトリ中佐は?」
「単独でオルロフと側近の魔導師、そしてあの魔族を追っていきました」
エフロシーニャは私を見ながら顎を撫でた。
「魔族に協力していたのは、オルロフだけではないということじゃ」
「あの……観測魔導師?」
「我が北方師団のオゴン少将もオルロフに与していたそうです」
「……」
沈黙が落ちた。
まだ終わっていない。
「国王陛下は……?」
スヴェトラーナが震えた声で呟いた。
「国王陛下の死亡は確認されています」
「うっ……」
スヴェトラーナは声が詰まり顔を伏せた。
「グロモフ局長たちはどうなった?」
イリアが疲れた声で絞り出すように声を上げる。
「オルロフに捕らえられた魔導師たちは、魔導陣を抉られていますが無事です」
イリアは長い息を吐いて天井を見上げた。
「ですが侵蝕を受けた魔導師は、本来の魔導陣が戻るかどうかはわかりません」
「魔導師でない人々は、精神に異常をきたしているそうじゃ」
「私が行けば……!」
私が思わずそう言ったとき、エフロシーニャに睨まれた。
「ヴェーラが行ったら面倒なことになる。あとは国の魔導師に任せるべきじゃろ」
「でも、所長が戻ってくるかも……」
エフロシーニャは私をじっとみつめた。
「エフロシーニャ師?」
「まだ王都は危険じゃ。魔族の手先が潜んでいる可能性がある」
イリアが同意するように頷いた。
「ヴェーラ一人で、オルロフのクーデターを潰したようなもんだからな。相当恨まれてるに違いない」
「それに王都に出現した多数の悪魔化した魔獣により、下町はかなりの被害を受けました」
「!」
メドヴェドが続けた。
「獣化の民と王都防衛魔導部隊により、魔獣が悪魔になる前に鎮圧していますが……」
メドヴェドが淡々と情報を伝えていく。
オルロフが悪魔を制御することができたとラジオで語ったことを思い出した。
悪魔は王都を包囲するように郊外へ出現したため、獣化の民の規格外の魔導が迎撃に大きく貢献したという。
獣化の民はロロフ族長とレオニードにより全て解放されたという。
「魔族の影響下にある魔導師は王都にまだ潜伏しているようです」
メドヴェドが私を見て、エフロシーニャが頷く。
「ヴェーラが王都に行くと危険な理由じゃ」
「ヴェーラ師がいなければ最初の悪魔の攻撃でレオニード隊は全滅。獣化の民も救えず、王都に魔族が入り、ペット魔獣の悪魔化で、我々の王都の侵入は難しくなっていたでしょう。かなり以前から計画されていたようです」
みんなが私を見る視線が熱を帯びた。
そんなことを言われても、ただ巻き込まれただけ。
改めてオルロフの野望が実現しなくて良かったと心から思うけど……
でも、一人では何もできなかった。
私が何かをしたという実感はない。
ただ神の魔導陣を持っているだけ……
「じゃ、この後はどうしたらいいのですか?」
「魔族の動向を観測するぞ」
「……」
「ドミトリのやつも探さんとな」
「はい!」
「そして、一から鍛え直しじゃ。灰色魔導師としてな」
「……」
私はフードについた紋章のないプレートを見た。
灰色魔導師になったら国家魔導師として契約事務所ではもう働けない。
「俺は、王都に戻る。局長も心配だしな。ヴェーラについて村に行っても、何もできないだろ?」
イリアがため息をついて肩をすくめた。
確かにエフロシーニャがいれば、イリアができることはない。
そしてイリアはドラグを見た。
カーシャをおかわりしたドラグの背中からは、翼が消えていた。
「ドラグはどうする?」
「俺はヴェーラを守る。族長の命令だ」
「頼む」
ドラグは私とエフロシーニャを見た。
「よかろう」
「私も……王都に戻ります。ゾロトワの事務所も心配ですし、お父様たちも心配しているでしょうし……」
スヴェトラーナが俯いて、私を見た。
「必ず、ドミトリさまを見つけてくださいませ」
「……わかりました」
メドヴェドがカーシャをようやく食べ終わって立ち上がった。
暗号魔導通信が不規則な音を刻んでいた。
「我が機動部隊がこちらに到着したようです」
「それでは、出るかの……」
私たちは立ち上がった。
食堂を出て、通路から外への扉を開く。
外は夕方が迫っていた。
木々の間からオレンジ色の光が差し込んでいる。
私は階段を降りると振り返った。
「あ……」
空船は最初に見たゴツゴツとした卵の形に戻っていた。
まるで元から、そこにあったかのように巨大な岩として鎮座している。
扉の向こうだけ不自然に中の機械的な通路を、騙し絵のように映し出していた。
「これでは飛べんの……」
「あの神殿に戻せるのか?」
イリアが悲しそうな顔でエフロシーニャに聞いた。
「無理じゃな」
その岩は半ば地面にめり込んでいた。
これがあの竜だとは、誰も思わないだろう。
私は神の魔導陣を開いて扉を閉じると、それは完全な岩と化した。
「メドヴェド少尉!」
木々の間からレオニード隊の魔導師たちが姿を現した。
その中でドラグほどの巨体の魔導師が私たちの前に立った。
「機動魔導車はここまでは入れず、途中で待機している。無事で何よりだ」
「スロン中尉! 救援、感謝します」
メドヴェドは敬礼を返した。
スロンは私たちの後ろの岩に目を止めてから、辺りを見回した。
「竜は卵に戻りました」
「……あれがか?」
私がそう言うとスロンは目を丸くして、悲しげな顔をした。
もう、あの竜は元には戻らない、そんな予感が私もした。
「ヴェーラ師。あなたは私たちの命の恩人です。レオニード隊を救っていただき誠に感謝しています」
スロンはメドヴェドよりも大きな体で私たちに敬礼をした。
「イリア師とスヴェトラーナ嬢をお頼みしたい」
エフロシーニャが二人を紹介した。
「ヴェーラ師は?」
「わしらは村に帰る」
エフロシーニャがドラグを振り返った。
「ドラグ! またわしらを抱えい」
「……わかった」
これで、本当に別れるの?
でも……私は今の王都には行けない……
所長のいない王都には……
私が侵蝕を受けた魔導師を神の魔導陣で解放できると知れたら、王国の中枢に取り込まれて自由を失い、軍にいいように使われてしまうかもしれない。
それはエフロシーニャが決して許さない。
ドラグは小さく詠唱をして、その背中にまた翼を広げた。
「ヴェーラ……元気でな」
「イリア……今までありがとう。スヴェトラーナさんも」
イリアは本当に良くしてくれた。
そのイリアの想いには気がついていたが、ともに歩む想像はできなかった。
イリアは滲む目をそらして絞り出すように続ける。
「ヴェーラ……ドミトリ師と無事に再会できるといいな」
「はい!」
そして肩をすくめてふっと笑った。
「ヴェーラの頭には、本当にドミトリ師しかいないんだな……」
「……」
「ほれ、暗くなる前に村にいかんとの」
「バウバウッ」
「アイカも」
アイカをしっかりと抱きしめる。
その上からドラグに抱えられた。
イリアとスヴェトラーナの二人の目が潤んだ。
「ヴェーラ師! ドミトリさまをお願いします!」
「ヴェーラ! 落ち着いたら会いにいく!」
「待ってます。イリア!」
私はドラグの逞しい腕にしがみついた。
そして空に舞い上がる。
暮れなずむ森の上を、ドラグの翼は力強く羽ばたいていった。




