75話 夜明け
「……!!」
「!!」
音一つない霧の中、迫りくる悪魔の巨体を見つめた。
絶叫する声も響かない。
ぶつかる!!
そう思ったとき、目の前に火花が弾けた。
それは悪魔の体に穴を開けていく。
ドラグだ!
下の銃座のドラグが魔導機関銃を撃っていた。
悪魔は身をよじり、次の瞬間、倒れた。
間一髪で悪魔の巨体に直撃を避けた空船は、ガクンと平衡を取り戻した。
必死にイリアはレバーやハンドルを操作していた。
そして空船は急上昇し、重力が体を押し潰していく。
霧から抜け、星空が広がるとともに、音が戻ってきた。
『……損傷42%。ドックニ寄港セヨ……損傷42%……』
警報音が鳴り続け、プレートが赤く点滅していた。
「はあはあ……死ぬかと思った……」
「ドラグ! 助かりました」
「いや。まだぞ」
エフロシーニャが目を回しながら指摘したとき、下から大きな魔導反応が二つ上がってきた。
「ッ! 所長ーッ!!」
空船の上昇が止まり、再び下降したときに視界を阻む霧が月明かりに青白く照らされていた。
その霧から黒いフードが飛び出した。
それを追う所長の体が銀色に光った。
まとわりついた霧が、黒いローブに霜がおりたように輝く。
黒と銀が闇夜で交差した。
離れた瞬間、その間をドラグの魔導機関銃が赤く引き裂く。
「ぼけっとしとらんで、はよ、悪魔にトドメをささんかッ!!」
霧の向こうでまた巨大な影が立ち上がった。
空船はぐらぐらと揺れながら、その影を通り過ぎた。
そのとき、周囲の気温が一気に下がった。
空船が旋回して悪魔と再び向き合う。
その悪魔の赤い目がこちらを捉えた。
吐く息が白く染まる。
まるで故郷の冬のような寒さが一気に押し寄せ、霧がキラキラと悪魔の体で輝く。
霧が氷へと変わり、それは中のものを凍らせているようだった。
同時に音が戻ってきた。
「霧氷じゃ……」
悪魔は足元から白くなっていく。
穴の開いたその体から、また唸るような詠唱が始まった。
魔導陣ごと下から凍結していく。
「イリア師……撃て……」
「……わかった」
イリアが照準をつけると、悪魔の体は一瞬にして炎に包まれ、粉々に砕け散った。
「所長は?」
「神の魔導陣を得たドミトリのやつは、無敵じゃ」
そのとき魔族の魔導反応が大きくなったかと思うと、闇の中に飛び込んだ。フードから覗く左手が魔導陣を展開し、右腕はフードごと消えていたのが一瞬だけ見えた。
確かに所長の魔導反応はそれまでとは違った。
神々しくも、どこか嫌な予感がした。
「所長!!」
所長は、こちらを見た。
一瞬だけ、確かに目が合った気がした。
その口が何かを伝えるように開いた。
「所長……?」
すさまじい魔導反応が立ち上る。
次の瞬間、所長も飛び去った。
お話の中の疾風ヴォルトのように一瞬にしてこの場から消えた。
「ドミトリさま!!」
「どこに行ったの!?」
メドヴェドは暗号魔導通信を複数開いて、通信していた。
ひっきりなしに暗号が行き交っている。
「エフロシーニャ師……レオニード連隊が窮地に陥っています」
「所長は? 所長はどこに行ったのですか!?」
エフロシーニャは大きく息を吐いた。
「あの魔族を追っていったのじゃろう」
諦めに似た疲れた声だった。
「ヴェーラ。……連隊が全滅してしまっては、魔族が王都に来てしまう」
「……」
「イリア師、レオニード連隊の救援に向かうぞ」
「……ヴェーラ?」
私は思わずイリアの腕を取っていた。
王宮であの魔族と所長の魔導反応がまた現れている。
「大丈夫だ。中佐だったら、必ずあの魔族を倒す」
「……はい」
私はイリアから手を離した。
空船は警報を鳴らしたまま、レオニード隊と魔族の魔導反応が飛び交う戦場に向かった。
私は操縦室の窓から見える殺戮をぼんやりと眺めていた。
悪魔化した魔獣が数体、巨大な影を揺らがせている。
魔導装甲車が悪魔に火を吹き、干渉魔導師の魔導が火花を放った。
空船は次々と悪魔へ主砲を叩き込んでいく。
暗号魔導通信とメドヴェド、イリア、エフロシーニャの声が響く。
でも、私の意識は王宮の魔導反応に飛んでいた。
所長の神の魔導陣だけを追い続けていた。
大きくなったり、小さくなったりするたびに心臓がバクバクした。
朝日が東の山脈から覗く頃、戦場の悪魔と魔族は空船に蹂躙された。
「おい! 嘘だろ……?」
『損傷70%。魔導機関停止……』
空船はガクンと揺れた。
ゆっくりと傾きながら、下降していく。
「……ヴェーラ! ヴェーラ!」
「……はい?」
「何、ボケッとしてる! 早く神の魔導陣で何とかせい!」
「……え?」
気がつくともう眼下に森が広がっていた。
私は神の魔導陣を開いてみたが、なんの反応もなかった。
「きゃあ!!」
空船は木々を薙ぎ倒しながら、墜落するように着地した。
「……どうなったんですか?」
私は呆然としながら、周りを見ていた。
「最後の悪魔の破壊魔導に巻き込まれた」
「……レオニード隊は? 魔族は?」
「知らん」
エフロシーニャが疲れ切った声を出した。
『損傷85%……機関停止』
プレートの光が消え、ベルトが外れた。
「魔族は撃退したようです。我が軍は被害甚大ですが……」
メドヴェドは暗号魔導通信を交わしながら口を開いた。
「所長は? 王都はどうなったんですか?」
「レオニード大佐ともドミトリ中佐とも、連絡が取れません」
「ドミトリさま……」
神の魔導陣はもう感知できなかった。
「早く、王都に行かないと」
私は椅子から立ち上がったが、体がふらついた。
「バウバウ」
「アイカ」
アイカが私の足元で心配そうに見上げた。
「ここは、どこですか?」
「王都から北に魔導車で半日といったところです」
「……半日」
私はまた神の魔導陣を開いた。
でも空船は沈黙したまま。
移動手段はない。
歩いていったら何時間、何日かかるかわからない。
目の前が真っ白になった。
あのムラークチュマと呼ばれた魔族を思い出す。
片腕を奪われても、まだ魔導反応は強大だった。
「レオニード連隊に救助を求めています」
「! いつ来るんですか?」
メドヴェドは首を振った。
「連隊を編成しつつ、魔族の追撃に移るようです。ここは追撃ルートから外れています」
「機甲部隊がくるまで、休もうかの」
エフロシーニャが立ち上がった。
「カーシャでも作ろうかの」
「いや、俺が作る」
「私も手伝います」
イリアとスヴェトラーナも立ち上がった。
「エフロシーニャ師は休んでくださいませ」
「ほれ、ヴェーラも少し休め」
「でも……」
私は立っているのもやっとだった。
エフロシーニャに睨まれた。
「……はい」
私はベッドに倒れ込み、眠りにつく前に神の魔導陣を開く。
その瞬間、所長の神の魔導陣と接続した感触があった。
「所長?」
その魔導陣から、求めていた声が聞こえてくる。
「……ヴェーラか? もう少し待っていてくれ」
「所長!?」
「無事だったか……必ず、戻る」
「所長! 約束ですよ」
「ああ、約束だ」
神の魔導陣からの応答が消えた。
所長……必ず戻ってきてください……
私は少し安心して魔導陣を解いた。
まもなく強い睡魔が襲いかかり、抗うことも出来ずに眠りに落ちていった。




