70話 コルジキの解放者
「ロロフ殿!!」
ドラグは私たちを下ろすと、その獣化の民に駆け寄った。
手枷をはめられ、首輪から伸びた鎖は天井に繋がれていた。
ドラグがロロフの頭を抱えるが、意識はないようだった。
「なにが十二魔導の統一じゃ! ただの隷属じゃ!」
エフロシーニャが吐き捨て、ロロフに魔導陣を開く。
そのまま文言を書きながら、回復の詠唱を始めた。
「消耗しているが……元気になるじゃろ……」
私も魔導陣を開き、ロロフにかけられている魔導陣を呼び出す。
「……抉られている」
私が強制拘束契約をかけた獣化の民だとわかった。
もちろんあの忙しい中、顔は覚えていない。
戦闘奴隷契約は解除されているが、私がかけた拘束の魔導陣はまだ生きていた。
だけど、私の背中が震えた。
抉られたのは、私の署名……
ロロフの体の獣化の魔導陣は消えたまま。
今の私には、拘束魔導陣の上に薄く貼られた神の魔導陣が見える。
神の魔導陣が、拘束魔導を護っている。
でも、神の魔導陣の上からどうやって抉ったの……?
「ロロフ様!!」
エフロシーニャの回復魔導を受けたロロフが唸り声をあげた。
ドラグが叫んで、揺さぶるとロロフの目が薄く開いた。
「神の魔導陣の上から抉るとは……そして魔導をかけようとした名残がある」
エフロシーニャも拘束魔導陣を確認し、ため息をついた。
「恒久的な魔導は神の魔導陣があると、かからぬようじゃな」
確かに魔族の魔導反応が残されているのがわかる。
「エフロシーニャ師……なんの魔導をかけようとしたのでしょう?」
「おそらく、侵蝕の精神支配……じゃが、まずは鎖を外そうかの」
「……はい」
手枷や首輪は魔導でロックをされていた。
私が拘束具に向けて魔導陣を開くと、神の魔導陣はロックを解除する。
ドラグは拘束具を外し、ロロフに呼びかけた。
「ロロフ殿……一体なぜ、このような?」
「……ドラグか。……なぜ、ここにいる?」
ロロフは少し咳き込み、顔を上げた。
その視線が私を捉え、大きく目が見開かれた。
「……シルニキのメス?」
「解放者です。ロロフ様」
「……解放……者?」
訛りの強い大陸語は、私にはところどころ聞き取れない。
ドラグはロロフに獣化の民の解放について説明をしているようだった。
「何が起こった? なぜここで捕まっているのじゃ?」
エフロシーニャがロロフに問いかけた。
突然、北方の地から王都への移動命令が出て、魔導の強い獣化の民だけ、城の地下に連れて行かれたとロロフは説明した。
「誰に抉られた? 何をされた?」
エフロシーニャが重ねて訊く。
「魔族……ムラークチュマと呼ばれた者……我に侵蝕の刻印を刻もうとした……」
その場面を思い出してか、ロロフの目に恐怖が宿った。
「……やはり」
「悪魔の魔導陣を消すとムラークチュマは言った……我の魔導の魂に闇を当てた……少しずつ抉ると……」
ロロフの声と手が震えた。
この地下牢は獣化の民が同じように繋がれている。
「おそらく実験場じゃろうな」
エフロシーニャが苦々しく呟いた。
「侵蝕の魔導を得たら、同じように抉ることができると……」
やはり、あの魔猫、ボルゾイの魔導陣を抉ったのは、侵蝕の魔導を与えられた魔導師……
「ふむ、時間が惜しい」
エフロシーニャは扉の外を窺いながらロロフに声をかけた。
「解放の契約をかける。相互契約じゃ。ロロフとやら、ドラグのように解放を望むか?」
それを聞いてロロフの目に疑念が浮かんだ。
困惑の表情でドラグと私の顔を見る。
「古き言い伝えの”神の魔導陣”です。ロロフ様」
ドラグが頷いて、背中の翼を見せた。
「……大鷲の……翼? 神の……魔導陣? 悪魔の魔導陣ではなく?」
ロロフの目に光が灯った。
ドラグがもう一度問いかける。
「ロロフ殿、解放を……望まれますか? ロロフ殿の魂を護ったのは神の魔導陣です」
「……望む。シルニキのメス」
その呼び名に、私は息を呑んだ。
その目には見覚えがあった。
最初に所長と行った契約局での蛮族案件。
私が詠唱を噛んだときの獣化の民。
「……強制契約は、体が引き裂かれるような苦しみだが……シルニキの契約は、違った……」
ロロフは私を見ながら、ゆっくりと言った。
それにドラグが首を横に振った。
「シルニキのメスではありませぬ。神の魔導陣を持つ、神の使いヴェーラ」
「神……? ヴェーラ?」
ロロフの目に畏怖の光が浮かんだ。
「神でもないし、神の使いでもないです……」
「時間が惜しい、ヴェーラ。ロロフに拘束の解放と……神の魔導陣を与える契約をかけよ」
私は慌てて否定したが、エフロシーニャのため息混じりの声が被さった。
「!?」
神の魔導陣を与えることなんて、できるの?
「エフロシーニャ師……? 神の魔導陣を与えるとは?」
エフロシーニャは頷いた。
「侵蝕の魔導も与えられるのと同様。神の魔導陣も与えられる。もっとも魔導係数が低いものには扱えないが……」
そう言って、エフロシーニャはロロフに魔導陣を開いて見せて頷いた。
「大丈夫じゃ。ロロフ殿とやらに、囚われた獣化の民の戒めを解いてもらう。ロロフの体に神の魔導陣を刻み、使用契約をかけよ」
「はい……」
私は神の魔導陣を開いた。
でも、文言は自動的には刻まれない。
「何をしている。早く解放を刻まんか。まずは解放からじゃ」
「はい」
《一つ、この者の魂を解き放つ。この者の意志を尊ぶ。この者との誓約を平等に結ぶ。ヴェーラの名において、解放の契約とする》
そして詠唱。
「一つ、蜂蜜を温めよ。層を重ねよ。時間をかけて馴染ませよ。甘く仕上げよ」
詠唱が終わった瞬間、ハチミツと香ばしい甘い匂いが漂った。
メドヴィク……
私の詠唱は、メドヴィクのレシピを唱えたらしい。
昔、母が作ってくれた特別な日の特別なケーキ。
そうか、私、お母さんみたいにいろいろな料理やお菓子を作りたいと思ってたんだ。
でも、なんで、まだレシピ詠唱になるの……?
ほどなくしてロロフの体に拘束し封印された魔導陣が現れ始める。
「お、おお……奪われた魔導陣が……」
ロロフは魔導陣が浮き出た自分の体を見下ろして、涙声になった。
「ヴェーラ……神の魔導陣の使用契約じゃ」
「あ……はい」
《一つ、神の魔導陣をその体に刻み、ヴェーラの名において、使用許可を与える》
エフロシーニャが言う通りに神の魔導陣に文言を刻む。
文言は短ければ短いほど、魔導抵抗が強い。
悪魔化禁止の魔導を刻んだあのときのように、一文字一文字に強い抵抗がかかった。
それに負けないように左手に魔導をさらに流す。
ここ数日、全く魔導を通さなかった流れが奔流のように溢れ出る。
意識が遠くなる。
あのときのように倒れたら所長を救えなくなる。
流れを制御しないと。
魔導の流れを研ぎ澄ます。
ホースの先を絞るイメージで左手の出口を細くしていく。
その途端、猛烈な勢いで魔導が迸った。
ダメだ。
体内の魔導の流れを落ち着かせないと、また倒れる。
私は一つ深呼吸をすると、セレブリャンカ川を思い浮かべた。
幅の広い悠々とした川。
さざ波立つ川面、滔々たる急流、セレブリャンカ湖に流れ込む穏やかさ。
また魔導素低下症になる——そう思ったとき、何か壁のようなものを超えた。
神の魔導陣が文言を受け入れるように、すっと抵抗が抜けた。
よし、詠唱。
文言のまま読み上げる。
「一つ、粉にバター、砂糖に卵、ふくらし粉をさっくり混ぜて、型に抜いて、おいしく焼き上げよ!」
「……コルジキのレシピじゃな」
香ばしい匂いが再び地下牢の空気を満たし、エフロシーニャが苦笑した。
「なんで、まだレシピ詠唱なのですか……?」
「ほれ、わしらはドラグとドミトリのやつを探さなければならん」
「! はい!」
私は立ち上がりドラグを呼んだ。
「ロロフよ。神の魔導陣を開けば、捕えられた獣化の民は救える」
「ロロフさん。仲間を救ってあげて、そして逃げてください」
私たちはドラグに再び抱え上げてもらいながら、ロロフに声をかけた。
「誇り高き獣化の民よ。お主の獣化の魂は、獅子じゃ」
「神の使いヴェーラ様。このご恩は一生忘れません」
ロロフは片膝をついて跪いた。
その胸に薄く魔導陣が浮き出ている。
獅子の獣化の魔導陣。
そして左手に神の魔導陣が刻まれていた。
「ワシらは、他に囚われた仲間を救いにいく。すべての獣化の民の解放契約はそのあとじゃ」
「左手に魔導を通せば、神の魔導陣が開くはずです。できるだけ多くの人を助けてあげてください」
ロロフは立ちあがった。
「慈悲深きお言葉、必ずや。ドラグよ、ヴェーラ様をお守りしろ」
「は! 族長殿!」
ドラグは翼を広げ、部屋から飛び立った。
「ドラグよ。通路の先じゃ。ドミトリのやつの気配を感じる」
「所長!」
わずかな所長の魔導の気配が、通路の先に灯った。
でも、干渉魔導の封印はすでに解いてしまっている。
もう私の神の魔導陣の防護はない。
所長、どうか、無事でいてください!
抉られたロロフの魔導陣を思い出し、悪い予感が頭を占めるのを止められなかった。




