63話 レオニード大佐
「別荘の執事と料理人を連れてきています」
スヴェトラーナが何かを思い出したように微苦笑を浮かべながら言った。
「この船を見て、固まってしまいましたけれども」
エフロシーニャもため息をついた。この船に乗せるのが大変だったと、小さく呟いた。
「情報と食材と食器を持ってこさせた」
「そろそろ出来ている頃でしょうか?」
私たちは食堂に向かうことにした。
テーブルにはカトラリーが並べられている。
「お嬢様。まさか、神話の竜が船だなんて、思ってもみませんでした……」
執事は中年の品の良い男性で、信じられないという顔で首を振った。
「信じられないのは、オルロフです。お父様は無事と聞きましたけれど……」
「はい。旦那様は夏の別荘に滞在中で、お嬢様のことがありましたので、すぐに身を隠しました」
「王都はどうなっておる?」
執事はお茶を注ごうとして、ドラグを見て再び硬直した。
「……蛮族。と、すみません。王都はお嬢様たちが逃亡されたあと、オルロフによって封鎖されました。下町で悪魔化が発生しましたが、すでに鎮圧されています」
ソコル少佐たちの王都防衛部隊が出動し、悪魔化は鎮圧したらしい。だが被害が大きかったとのことだった。
「事務所は? ドミトリ事務所は、無事だったんですか?」
「分かりません。ただ、南区の外れだとか」
その言葉に少しほっとした。事務所があるのは西区だ。
王都民は放送がなくても家に引きこもっているらしい。
小さな音で流れるラジオが、また同じオルロフの勅を繰り返した。
周波数を変えてみるが、すべての局が同じ内容だった。
「オルロフ……正気の沙汰ではないな……」
イリアが拳を握りしめて吐き捨てた。
執事がスープを皿によそっていく。
薄い琥珀色のウハーだ。香草と魚の香りがふわりと立ち上がり、食欲を刺激する。
そこに黒パンが添えられた。
ドラグは片手で皿を掴むと口をつけて一気に流し込んだ。
執事が嫌な目をして首を振った。
「お嬢様、レオニード大佐ですが……逃亡した模様です」
「!」
私はスプーンを運んだ口を押さえた。
レオニード大佐がオルロフに反旗を翻した?
もしも、レオニード大佐に協力してもらえれば、心強い味方になる。
「竜が悪魔を倒したと情報があったあと、オルロフは王城を占拠し皇帝を僭称しました。王都は混乱にあります」
「……それで、オルロフは手が回らないのか」
「王都の混乱のせいか、この屋敷の見張りもすでに撤退したようです」
「うちの情報網は優秀ですから」
スヴェトラーナは自慢した。
いくつもの契約事務所を所有し、多くの魔導師を抱えている。
その魔導師たちからの情報です、と執事は付け加えた。
「レオニード大佐と連絡は取れないものか……」
エフロシーニャは黒パンをかじりながら呟いた。
「……所在は不明です」
執事はウハーを下げると次に魚のソテーを皿に盛り付けていく。
セレブリャンカ湖の名産だ。
スープもソテーも優しい味付けで、どこかほっとする味だった。
ドラグはまじまじとソテーを見つめ、おもむろにつまむと上を向いて一口で飲み込んだ。
「王都が封鎖されている以上、魔導車では潜入できません」
スヴェトラーナが口を拭いてから、エフロシーニャに言った。
「空からじゃな……」
「だが雲から出た瞬間、見つかるぞ」
「この船で攻撃したら王都は灰になるわな」
エフロシーニャは考え込んだ。
強すぎる船だからこその問題。
「お嬢様。ドミトリ様やグロモフ局長、ほかの方々も王城に囚われている可能性が高いです」
執事はそう言って首を振った。
この竜が王城上空に姿を現したら、たちまち攻撃されてしまうだろう。
私たちは無事だとしても、王城は大混乱に陥り多くの被害が出る。
「……」
執事は温野菜とパイ包みを乗せた皿を並べた。
食事は美味しいけれど、食べている場合じゃない。
でも、食べられるときに食べておかないと。
あまり食欲はなかったが、温野菜にフォークを突き刺した。
そのとき、肉の切れ端を与えられていたアイカが唸り出した。
「アイカ?」
「!!」
すぐに分かった。
微弱な魔導師の反応だった。
以前の私だったら気づかない程度に抑えられていた。
イリアはアイカを見下ろし、首を傾げた。
「エフロシーニャ師!」
「見られていたか……」
「俺には、分からん」
上空から、いくつかの魔導反応が近づいてきているのが分かる。
「魔族か? 軍の魔導師か?」
「空から来るのは、魔族か干渉魔導師しか考えられないです……でも……」
魔族の反応ではない。
それを確信できたとき、エフロシーニャが手を挙げて目を閉じた。
「……」
「……いや。この反応……」
エフロシーニャの目が見開いた。
「間違いない。レオニードじゃ」
「レオニード大佐!」
スヴェトラーナが立ち上がった。
「お父様のパーティで何度もお会いしています。レオニード大佐が味方についたら……」
「会いにいくぞ!!」
エフロシーニャはパイ包みを頬張って立ち上がった。
「……スヴェトラーナ嬢、イリア師、着いてこい」
「私も……!」
英雄レオニード大佐と会える。魔像写真で何度も見た憧れの人物だ。
私の心臓が高鳴った。
立ち上がった私をエフロシーニャが制した。
「ヴェーラは留守番じゃ」
「……はい」
エフロシーニャはイリアとスヴェトラーナを連れ立って食堂を出ていった。
私はため息をついてお茶を飲むことしかできなかった。
ドラグは物足りないという顔をして空の皿を見ていた。
「ドラグに何かおかわりは、ありませんか?」
「……はい」
執事はパンとハムの塊を皿に乗せてドラグの前に置いた。
ドラグは目を見開いて私を見た。
私は笑みを作って頷いた。
じりじりした時間が流れた。
「くうん」
「アイカ……」
私はしゃがんでアイカの頭を撫でた。
高まる不安をアイカの体温が解きほぐしていく。
皿を片付け終わった執事が、話しかけてきた。
「ヴェーラ師ですな。お嬢様からお話は聞いています」
「……はい」
「この竜と契約したとか……オルロフは悪魔の魔導陣と言っておりましたが、私は信じません」
「……ありがとうございます」
「こんな可愛らしい女性が、悪魔なわけがありません」
「……」
可愛らしいなんて、今まで誰にも、所長にも言われたことはない。
学院でも、研修でも魔導係数が高いだけの使えない奴と陰口を叩かれてきた。
「……ありがとうございます」
「戻ってきましたな」
間もなく食堂のドアが開いた。
エフロシーニャを先頭にイリア、スヴェトラーナ、後ろに何人かの干渉魔導師が見える。
「スヴェトラーナ嬢。まさか、竜が船だったとは……」
よく通る声が響いた。
食堂の戸が開いた瞬間、空気が変わった。
入ってきた男は、魔像写真でよく見たレオニード大佐だった。
長い金髪に碧眼、白い肌、眉目秀麗な顔。
四十代のはずだが、若々しい艶がある。
それと魔導師のフードを着ていてもわかる分厚い胸板。
男も女もガチムチだと言った所長の言葉を思い出した。
「私はレオニード大佐だ。ヴェーラ・クリューチナ師だな?」
レオニードは私をまっすぐに見た。
そして一歩進んだ。
「ドミトリのやつを封印したという」
魔像写真で見た、憧れだったレオニードが私の前に立っていた。




