61話 王都へ
夜の帷が完全に降りた。
月が顔を出している中、雲の上を空船は飛行していた。
月明かりが雲を優しく照らしている。
イリアはハンドルから手を離し、地図を取り出した。
青白い魔導灯が地図を浮かび上がらせる。
「時間的には、そろそろだが……」
「イリア師……セレブリャンカ湖に近づいているようです」
スヴェトラーナがプレートを見ながら言った。
「だいぶ、東に流れたか……このまま王都に向かっていいんだな?」
イリアは地図をしまい、船首を王都の方角に向けた。
「エフロシーニャ師。やはりこのまま王都に急襲をかけるのですか?」
私はエフロシーニャに重ねて聞いた。
「ドミトリさまの居場所は、分かるのですか?」
スヴェトラーナも不安な声を上げる。
空船に乗っていれば安全だけど、この船で所長の前に出たら干渉魔導で攻撃されかねない。まさか私たちが乗っているとは思わないだろう。
「王都上空を飛び、ドミトリのやつの魔導反応を探るしかあるまい」
空船は王都に近づいていく。
そのときアイカがぴくと耳を立てた。
「ふむ……王都周辺に軍の干渉魔導師の反応を感じるな」
「はい。……ビリビリしてます」
「かなり集まっておる……今の警戒網では、危険すぎるか」
王都の上空は、雲がかかっていた。
プレートに干渉魔導師の反応が現れる。
雲の下で警戒しているように一定の間隔で飛び交っている。
この中で所長の反応を探すことは、至難の業だった。
「魔族の南下、悪魔化した魔獣、そして悪魔を倒したこの船じゃ。王都は混乱しているじゃろな」
「どうしますか?」
「セレブリャンカ湖でしたら、うちの別荘が山の中にあります」
スヴェトラーナが提案し、イリアが同意して頷いた。
「情報収集が先だな」
「ひとまず、うちの別荘に行きましょう」
「そうさな。……最初の案にするか」
エフロシーニャは当初の予定を翻した。
空船は再びセレブリャンカ湖へ向けて旋回した。
セレブリャンカ湖の周辺には魔導反応は見られない。
魔導車でセレブリャンカ湖から王都に向かうとしたら二、三時間。
とてもこの竜の船で、見つからずに王都へ行くことはできない。
どこかで魔導車に乗り換える必要がある。
それが王都潜入の最初の案だった。
「うちの別荘の辺りは、他の屋敷はありません。好都合です」
「それじゃ、降りるか……」
空船は高度を落とした。
雲を出ると黒々としたセレブリャンカ湖が眼下に姿を現した。
周囲の家の魔導灯の灯りが点在しているのが見える。
街道を魔導車が時折走っていく。
もし、この竜が見られて軍に通報されたら、面倒なことになる。
イリアは雲の中に入り、首だけを外に突き出すように操作する。
スヴェトラーナが席を立ち、私とイリアの間に割って入った。
「魔導車が、いつもより少ないですね……」
スヴェトラーナが眉を寄せて窓から下を覗いて言った。
「あそこが河口。あれが街道でしたら、もう少し東ですわ」
スヴェトラーナが指差す方向には山があった。
山に向かうと上から屋敷が点在しているのが見える。
「あの一番上です」
「分かった……慎重にしないと……」
どうか、見つかりませんように……
イリアは素早く降下していく。
空き地を見つけるとそこに一直線に向かい、ハンドブレーキを引いた。
ガクンと重力がかかり、ふわっとした浮遊感のあとゆっくりと降りていく。
やがて鉤爪が地面に触れた感触がした。
空船は音も立てずに着陸した。
「ふう……昼はタイミングが分からなかったが……うまくいった」
翼が折りたたまれ、座席のベルトが外れた。
「最初に私とエフロシーニャ師で、屋敷に向かいましょう」
スヴェトラーナがそう提案した。
契約局に突撃した装甲魔導車のこともある。
ゾロトワ家は、軍に目をつけられていてもおかしくはない。
「オルロフの手が、こちらにまで来ている可能性があります」
「そうさな。アイカも連れていくかの。ドラグも留守番じゃ」
「バウッ!」
アイカが私を見上げた。
「イリア師とヴェーラは、もしワシらが帰ってこないか、軍の連中が来たらすぐに空に逃げろ」
「軍の魔導反応は今のところありません」
「分かっとる。では、行くぞ」
エフロシーニャは立ち上がった。
「まあ、もし軍が来ても、ワシの魔導でひよっこどもには指一本触らせんがの」
「はい。でもお気をつけて」
そう笑うと、エフロシーニャはスヴェトラーナとアイカを引き連れて操縦室を出ていった。イリアとドラグと私の三人で残された。
「……そういえば、グロモフ局長が、エフロシーニャ師をババア呼ばわりしていました」
「確かに。あれではババアと呼ばれても仕方がない」
「局長にも、あんな感じで指図していたんでしょうね」
最初にグロモフ局長に会ったときのことを思い出し、それをイリアに話した。
あのグロモフ局長をあの調子でこきつかったのかと思うと、おかしくなった。
二人でひとしきり笑った。
「……局長もエフロシーニャ師と繋がっていて、ヴェーラのことも知っていたか」
「はい……ゾロトワ大佐も……」
「……シルニキの詠唱か」
「……」
ふとイリアの顔を見ると真面目な顔になっている。
イリアはキリルが発見した私の謎の魔導陣——神の魔導陣については、知らないはず。
でも私の異常な魔導の力、悪魔を倒した魔導銃の威力を知っている。
イリアは私の魔導のことを、どう思っているのだろう。
視線が合い、なぜか気まずくなり顔を背けた。
「……」
「……」
ドラグは後ろの席で腕を組み、目を閉じていた。
沈黙。
イリアは契約局を辞めて、その後どうするのだろう?
ふと、疑問が浮かぶ。
でも、それは口に出来なかった。
どうしてもイリアの視線を意識してしまう。
私もその後、どうすればいいんだろう?
契約局で、また以前のように働く?
故郷の村に帰る?
でも、一番はドミトリ事務所に戻りたい……
首を振った。
——鍵……
エフロシーニャの言葉を思い出す。
私の鍵は、私の中にある?
でも、もう鍵は開いているのではないだろうか?
ふと、頭をよぎる。
国家魔導師試験に合格し、研修で初めて魔導展開を実践した、そのとき——
魔導陣は発動しなかった。
ドミトリ所長と出会う前までは。
そのあとの刻印魔導研修で、たまたまマリーナの乗った魔導単車のブレーキを直した。
あれは、偶然同じ内容を研修でやっていたから。
あのときは、まだ発動する時と、しない時があった。
私の詠唱は、まだレシピになる。
でも、契約魔導は発動する。
レシピのままでもいいじゃないか、とも思う。
鍵が開いたら、どうなってしまうのだろう。
もの思いに沈んでいく。
「……ヴェーラ。ヴェーラ?」
イリアに起こされた。
いつの間にかうとうとしていた。
「イリア?」
「出発じゃ」
エフロシーニャの声が響いた。
「……帰ってきたんですね」
「王都は大変なことになっておる」
「?」
スヴェトラーナは持ってきた携帯魔導ラジオをつけた。
『……こちら帝国戒厳司令部である。……皇帝の勅命により、帝都全域に戒厳令を施行する。帝都民は外出を禁ずる、自宅に留まり、軍の指示に従え。繰り返す……』
雑音混じりの音声が響いた。
「?」
「帝国……? 戒厳令……?」
帝国ってどこの話?
王都で、何が起きているの?
——まさか……
悪い予感が高まる。
あのオルロフの顔が思い浮かんだ。
「……屋敷に、軍はいたのですか?」
「屋敷の執事に聞いたのですが、私たちが契約局に行った次の日には軍が来たそうです」
スヴェトラーナが報告を始めた。
「それから王都はオルロフの手によって、戒厳令が敷かれたとのことです」
「!」
「神聖魔導帝国……」
エフロシーニャがぽつりと言って、信じられぬと首を振った。
「神聖魔導帝国?」
「さきほど、オルロフが、初代神聖魔導帝国皇帝を名乗ったらしい」
「!!」
「……クーデターか!?」
私たちは驚愕のあまり言葉を失った。




