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契約魔導師のレシピ帖  作者: タキ マサト
四章 コルジキの約束

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60話 難題


 雨雲は軍の広範囲魔導の攻撃で、吹き飛んでいた。

 身を隠せる雲はない。


 空船——いや、神話の竜は、どこまでも空に駆け上がっていく。

 プレートに表示されていた魔族の反応は消えている。


「魔族を追撃したいところじゃが……」


 エフロシーニャはため息をついた。


「ひとまず、北の森に身を隠すか……」

「了解」


 イリアは船首を北の森に向けた。

 人里がないことを確認して山の中に降りていく。


 木々の間の開けた場所を見つけて、イリアはゆっくりと空船の高度を下げる。

 鳥が慌てて逃げるように飛び立っていく。


 木々の中に身を隠すように空船は、轟音を響かせて降り立った。

 翼が折りたたまれ、体を伏せるようにして静止する。

 プレートが再び神の魔導陣に戻った。

 その瞬間、ベルトが外れた。


「やれやれ……少し休むかの」


 エフロシーニャが立ち上がり、ドラグが下から登ってきた。


「ドラグ……よくやったの」

「……ああ」


 私たちは胴体の船室に向かった。

 無言のまま食堂の椅子に腰掛ける。

 なんだか体がふわふわしていた。

 先ほど起きたことの現実感がまるでない。

 まだ夢を見ているようだった。


「茶でも、飲もうかの」


 簡易なキッチンには魔導陣が刻まれたコンロがあった。

 ドラグが背嚢から鍋を取り出し、湯を沸かした。

 イリアがコルジキの袋を取り出す。


 ドラグがアイカに生肉を与えた。アイカは尻尾を振ってドラグにすり寄る。

 アイカはドラグに懐いているようだった。


 茶を飲みながらコルジキをつまむ。

 イリアはほっとため息をついて、地図を取り出した。


「さっき、スズダールの街が見えた。あそこには鉄道の駅がある。だいたい三時間くらいの飛行時間か……」


 そう言いつつ地図を指でなぞっていく。

 北の神殿の辺りから、魔族と軍との激突地、そして王都で指をとんとんと叩いた。

 懐中時計を取り出して飛行距離と時間を計算する。


「まっすぐに行くことができれば、三時間で王都には着きそうだ」

「真夜中なら、そこまで目立たないじゃろ」


 エフロシーニャは茶を啜った。


「ドミトリのやつがいるところに、急襲をかけて救う」

「……!」


 その言葉に、私とスヴェトラーナはエフロシーニャを見つめた。


「大丈夫なんですか?」

「やるしかないじゃろ」


 エフロシーニャは立ち上がった。


「わしは少し休む。夕刻に出発じゃ。……ドラグも休め、寝てないじゃろ」


 ドラグに大陸語で話しかけて、船室に向かう。

 ドラグが無言で立ち上がって、別の船室のドアを開けた。

 食堂に面した部屋は、四つに増えていた。

 

「私も、休ませてもらいますわ。少し乗り物酔いしたみたいです」


 スヴェトラーナも頭を押さえて立ち上がる。

 私とイリアだけが残された。


「……お休み」

「私も、休みます」と言って立ち上がったときに、テーブルに置いた私の手をイリアが握った。


「ヴェーラ……」

「イリア?」


 イリアは私の顔を見つめた。


「ヴェーラ。少し話をしたい」

「……なんでしょう?」


 そのイリアの真剣な顔に、私は再び腰を下ろした。


「この船は、すごいな……」

「イリアは、そればっかり」


 私は少し微笑んだ。


「この船があれば、魔族でも悪魔でもなんとかなる気がする」

「はい……」


 この船の攻撃力があれば、確かに何とかなりそうだ。

 でも、この船で王都の上を飛んだら確実に王都民はパニックになる。


「真夜中に王都に行って、ドミトリ師を救出する」

「……はい」

「魔族を退け、オルロフを失脚させる」

「……」

「蛮族たちの解放契約もする」

「……」


 だんだん無理なような気がしてきた。

 それを、私たちがしなければいけないの?

 なんだか途方もない難題を突きつけられているような気がした。


「どうやるのかは、知らんが」


 イリアが肩をすくめた。


「で、全部思うように進んだら……ヴェーラは、どうしたい?」

「……」


 イリアは私を見つめた。


「平和になったら……俺は、契約局を辞めようと思う」

「え?」

「ヴェーラは、故郷の村に戻るのか?」


 エフロシーニャが「村に戻って鍛え直しじゃ」と言っていた。

 確かに神の魔導陣を持ったままでは、またいつか何かのトラブルに巻き込まれる可能性がある。


 でも、イリアは契約局を辞めて、どうするのだろう?


「……分かりません」


 私は所長とあの契約事務所で働きたい。

 また戻ってくると約束した。

 でも、所長の干渉魔導の封印は解いてしまった。

 もう軍は所長を手放してはくれない……


「……ヴェーラ。俺は……」


 そこでイリアは口を閉ざした。

 続きを待ったが、イリアはため息をついて首を振った。


「……イリア?」

「まずは、ドミトリ師を救出してオルロフと一緒にいる魔族を捕らえないとな」

「はい……」


 そのあとのことは、どうでもいいような気がしてきた。

 私には荷が重すぎる。


「王都が悪魔化した魔獣に滅ぼされる前に、何とかしないと」

「……契約局を辞めるどころではないですから」


 所長を助けたら……すべてが、うまくいくかもしれない。

 きっと、そうなる。

 私は顔を上げた。


 そのときに、今後のことは考えたらいい。


「俺たちも休むか」

「はい」

「しっかり休め」


 私たちも立ち上がった。

 私はスヴェトラーナが入った部屋に向かい、イリアはドラグの部屋に入った。


 スヴェトラーナは寝ていた。

 隣の寝台に横たわる。


 夕方になったら、王都に向かう。

 それまで、寝られるだけ眠ろう。

 きっと、しばらくは眠れない。

 寝返りを打ちながら、でも寝られなかった。


 この空船の圧倒的な攻撃力、所長との約束、エフロシーニャの言葉が代わる代わる脳裏を巡る。


 もしこの船がオルロフ、魔族の手に渡ったらと思うと震えがくる。

 復活させてはいけないものを、もしかして世に出したのでは……

 心臓がドクンと鳴る。


 でも、寝ないと。

 今夜はきっと長い夜になる。

 空を飛び、あまりにも簡単に悪魔や魔族を倒したことへの後味の悪さが、じわりと襲ってきた。


 こんなの、ただの虐殺……


 これが人に向けられたら、と思うとぞっとした。

 初めて魔導銃を持ったときのことを思い出した。


 私は干渉魔導師には、向いていない。

 それは、薄々分かっていた。

 この数ヶ月の悪魔化した魔獣との戦いで痛いほど思い知らされた。

 今、思い出すだけでも震えがくる。


 所長……どうか、無事で……

 怖い……

 私の手で、私の魔導陣がこれを蘇らせた。


 涙が流れた。


 いつの間にか眠ってしまっていたようだった。

 スヴェトラーナに起こされたとき、全員、操縦室に集まっていた。

 夕方の太陽が、木々を赤く照らしている。


「ヴェーラ、魔導陣を開け」

「はい」


 空船は翼を広げた。

 陽が沈む夕闇を、神話の竜は飛んでいく。


 王都に向かって。


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