58話 初陣
「この船は、本当にすごいな」
イリアが呟いた。
「こうすると上昇下降。速度調整、ブレーキはこのペダル……」
イリアの声が徐々に明るくなってきた。
イリアがハンドルを回すと、その通りに空船は反応する。
「イリア師……楽しそうですね」
「このボタンはなんだ? 硬くて押せないな」
イリアはハンドルについているボタンを押すが動かないようだ。
「このレバーが同じ色だ」
操縦席に並んでいる左側の赤いレバーを引くと、ぐわっと窓から見える口部分が広がった。
目の前のプレートの船首が赤色に光った。
「イリア……これ、なんでしょう?」
「分からんが、嫌な予感がする……」
もしかして神話の竜って、この空船のこと?
神話では口から火を吐き、広範囲魔導を使い、街ごと焼き尽くしたという。
「ヴェーラ……神話の竜みたいだな」
「……そうですね」
不安な顔でお互いの顔を見た。
「まさしく、神話の竜じゃな」
「……やっぱり」
エフロシーニャの声は高揚していた。
イリアはそのレバーを戻した。
プレートの点灯が消える。
「……このレバーはなんだ?」
イリアは別のレバーを引いた。
その瞬間、空船は急下降を始めた。
「きゃっ!」
「いけねっ」
イリアはレバーを戻し、空船は再び空中に静止した。
アイカが抗議するように吠えて、私の足元で身を低くした。
「このレバーはサイドブレーキか……」
イリアが独りごちたとき、アイカの耳がぴくりと動いた。
低く唸り出す。
「アイカ……?」
「イリア師、遊んでないで。ほれ、魔族が見にきよったぞ」
エフロシーニャがそう言ったとき、魔族の魔導反応が近づいてくるのを感じた。
目の前のプレートの点が五つに増えているのに気がついた。
「魔族が来ます!!」
スヴェトラーナが叫んだ。
そのとき、下からドラグの雄叫びが飛んだ。
「うおおお!!!」
それとともに乾いた破裂音が響き渡った。
「魔導機関銃もあるのか?」
「倉庫に弾丸があった。昨晩、装填しておいた」
エフロシーニャはニヤリと笑った。
「六十年前には、ワシも村を守るために戦っておったからの」
そんなこと初めて聞いた。
普段、穏やかだったのは相当猫を被っていたのに違いない……
断続的に破裂音が響いている。
「ほれ、イリア師、近づいてやれ」
「……分かった」
イリアが船首を巡らすと、窓の外に黒いフードが浮かんでいるのが小さく見えた。
それに向かってどんどん進んでいき、あっという間に黒フードを通り過ぎた。
魔導機関銃が火を吹き、黒フードの一人を貫いた。
血が飛び散り、墜落していく。
フードが風圧で外れ、驚愕に目が見開いたのが見えた。
イリアは再び旋回し、黒フードに向き直った。
「もっと驚かせてやれ」
イリアは赤いレバーを引いた。
ぐわっと船首が膨らむ。
それと同時に黒フードから激烈な魔導反応が立ち上った。
アイカが激しく吠える。
その瞬間、空間が爆ぜた。
目も眩む光と振動が、空船を襲った。
操縦室が激しく揺れた。
「……あぶねえ」
イリアは咄嗟にハンドルを切り、直撃を避けたが視界が戻ったとき、黒フードはすでにいなかった。
「逃げたか……」
「追え! 追うのじゃ!」
エフロシーニャが叫んだ。
「見られたからには、生かしてはおけん」
「……無理です」
もう目の前のプレートには点が消えていた。
「魔導反応を消しています」
「先に攻撃したからの……」
エフロシーニャはため息をついた。
「敵として認識されたじゃろ」
眼下の森に隠れたようで、居場所は分からない。
黒フードの驚愕した顔を思い出した。
突然現れた竜にいきなり攻撃されたら、魔族であっても恐怖するだろう。
もしこれを人に見られたら、魔族以上に恐慌状態になるかもしれない。
「探しますか?」
「……無理じゃな」
「エフロシーニャ師、これからどうする?」
イリアは森の上を旋回するように空船を飛ばしていた。
「また雲の上に出て、王都まで向かうかの」
「了解」
空船は船首を上げて、上昇していく。
これから先、誰にも見つからずに王都へ行けるとは思えない。
「もし、この先、軍に通報されて干渉魔導師が攻撃してきたらどうしますか?」
「逃げるしかないじゃろ……」
「逃げると言ったって……」
不安が強くなる。
魔族が南下している。
オルロフの側にいる魔族の存在も気になる。
王都には、悪魔化禁止の魔導陣を抉られたペット魔獣がいる。
王都に集結しつつある蛮族奴隷も、いつ魔導陣を破られて離反するかは分からない。
そんな中で不用意にこの姿をさらしたら、軍が混乱してしまう。
王都に危機が迫っているのに、私たちのせいで防衛が手薄になったら一気に王都が魔族の手に落ちるかもしれない。
「軍に私たちが味方だと言うことを知らせる手段はないでしょうか?」
「そんな手段はないし、教えても誰も信じないじゃろうな」
「……」
それはそうだ。
「行動で見せるしかない」
「行動……?」
空船は雲の上を南に向かって飛行している。
雁の群れがV字を描いて眼下を通り過ぎた。
雲の上はどこまでも青く澄み渡り、地平線の向こうと溶け合っている。
「王都って、どこだ?」
イリアが呟いてエフロシーニャに振り返った。
「通り過ぎてないだろうな?」
「おそらく王都には、魔導反応が集まっているじゃろ」
「気がつくか? 明後日の方向に飛んでないという保証はないぞ……」
確かに現在地が分からないでは、困る。
「一度、雲の下に降りるか?」
「人に見られたら、驚かせてしまいます」
イリアはため息をついた。
「イリア師。魔導反応を探して飛び回るしかありません」
「そうだな……」
「この板に反応が映るようです」
スヴェトラーナが目の前のプレートを見ながら言った。
私も目の前のプレートを見つめる。
だけど、何も反応はない。
緊張が徐々に薄れてくる。
しばらく雲の上を飛び回っていると、その光景も見飽きてくる。
「何も、ないですね……」
「!」
イリアが後ろを振り返って怪訝な顔をした。
「イリア! どうしました?」
「エフロシーニャ師が、寝てる……」
確かに、先ほどから静かな寝息が響いていた。
「一晩中、観測していたようだからな……」
私はその寝顔を見た。
「俺が朝、起きたとき、観測部屋にいたと言っていた」
「イリア……本当に、こんなことに巻き込んでしまって、なんと言ったらいいか。スヴェトラーナさんも……」
まさか軍と魔族に追われて、竜みたいな船に乗るなんて半月前には思いもよらなかった。イリアは守ってくれると言ってくれたけど、想定外なことが起きすぎて混乱していた。
みんなを大変なことに巻き込んでしまったと胸が痛んだ。
「ヴェーラ……局長に言われたからじゃない」
イリアは私を見た。
「ヴェーラだから守るんだ」
「……」
「さらに刺激的になりましたわ。この竜を最初に見たときはさすがに驚きましたけど」
「……イリア……スヴェトラーナさん」
イリアが私を見た。
「それにヴェーラがいなかったら、契約局で何も知らずに魔族に襲われていたかもしれないだろ」
「悪魔化したペット魔獣に下町で踏み潰されていたかもしれませんし」
「……そうですよね」
イリアは再びエフロシーニャの方を見た。
「だが、ヴェーラはすごいな。この竜を手懐けたのはヴェーラだと聞いている」
「?」
「ヴェーラが契約したんだろ?」
「それでしたら、安心ですわ」
「……そうです」
そういうことになっているらしい。
「地下で眠っていたこの空船の卵を孵したとも聞いた」
「まあ! ヴェーラ師が親なのですね」
エフロシーニャはあることないこと、イリアに説明したらしい。
でも、あながち間違ってはいない。
「エフロシーニャ師……」
「エフロシーニャ師も、歳だからな」
「誰が、歳だって!?」
そのとき、エフロシーニャの叱責が飛んだ。
「ほれ、魔導反応が出たぞな」
「!」
「……魔族。……こんなに?」
いつの間にかプレートに、大量の光の点が出現していた。




