53話 メドヴィクの解放
「……蛮族の解放?」
私たちはドラグを見た。
食後のお茶を静かに啜っている。
「そうじゃ……」
エフロシーニャは左手をかざしドラグにかかった魔導陣を開く。
「トゥシェンカのレシピが刻まれているな」
そう言って可笑しそうに笑った。
守護契約がトゥシェンカのレシピになったんだ。
ドラグの体に直接刻まれていた魔導陣は、消えたままだ。
「あとは強制戦闘奴隷契約。拘束契約がかかっておる」
「はい……」
「すべて解除じゃ、無効にする」
「!!」
「反対だ!」
イリアが目を見開いて、首を振った。
拘束契約を解除すれば、ドラグの本来の魔導が戻る。
ドラグが本気になれば、私たちなど、たちまちのうちに締め殺されてしまう。
「拘束契約じゃが、シルニキのレシピも刻まれておる」
「シルニキ? そういえば、そう叫んでいたが……」
そう言ってイリアが考え込んだ。
拘束契約に相応するのが、シルニキのレシピだった。
自分で拘束契約に、シルニキの文言を付け加えた?
シルニキと叫んだときに、体に刻まれていた魔導陣が復活した。
蛮族に刻まれた魔導の拘束は、その瞬間解けている。
「ただの拘束契約ではない。ドラグはいつでも、書き換えることができる」
「……拘束されてないということか?」
信じられないとイリアは首を振った。
契約局で、蛮族の事故があったという話を思い出した。
詳しくは知らないが、かなりの被害が出たと聞いた。
でも、自分の意思で拘束の契約を変えられるのだったら……
「ドラグ……あなたは、私たちを恨んではないのですか?」
私は大陸語でドラグに話しかけた。
「……我々は負けた。それだけだ」
短くドラグは答えた。
魔族の手による蛮族の集落への不意打ちだったのだろう。
そうでなければ、三桁の蛮族を捕縛することなどあり得ない。
褐色の肌、筋骨隆々の体、獅子の立て髪のような頭髪、凶悪そのものといったその顔立ち、生まれながらの戦士。
でも、その目は澄んでいた。
守護契約、奴隷契約をかけた以上、人に危害は加えられない。
でも、解除したら……
「あなたの力があれば、私たちを殺して逃げることもできます。ドラグ……拘束契約をシルニキに書き換えたように、守護契約も自分で破れたのではないのですか?」
「……シルニキだけだ」
ドラグは目を閉じた。
長い沈黙のあと、ポツリと言った。
私たちを守るために、拘束契約を自分で書き換えた……
「ヴェーラは違った」
ドラグは低く言った。
「奴隷ではなく、仲間として俺を扱った」
その言葉にイリアが信じられないという顔をした。
私は覚悟を決めた。
「分かりました。ドラグの契約を解除します」
「ヴェーラ? 信じるのか?」
イリアが怪訝な顔をした。
生き残るためだったら、どんな卑劣なことも行う。
それがかつての私たちの蛮族に対する認識だった。
解除した瞬間、さっきの言葉を翻して私たちを殺す可能性もある。
「よろしい。ただの解除ではない。解放契約をかけるのじゃ」
「解放契約?」
エフロシーニャが頷いた。
「そう……これから、すべての蛮族の契約を解除していくことになる」
「軍が納得しないだろう? 軍に歯向かうのか?」
エフロシーニャがため息をついて、イリアを睨んだ。
「すでに軍には逆らっておる」
「……すべて?」
「そう。いちいちすべての契約を解除するより、一つ解放の契約をかけた方が早い」
「……分かりました」
「意思の確認が必要じゃ」
でも解放契約なんて、知らない。
「双方向の契約じゃ。新たな契約で、それまでの契約は無効になる」
「ドラグは、ヴェーラ個人に対して悪感情を持っていないだろう。だが、すべての蛮族を解除したら、人々に多大な被害がでる。そもそもすべての蛮族を解放するって、どうやるんだ?」
イリアがエフロシーニャに捲し立てるように声を荒げた。
「イリア師は、心配性じゃな。もとに戻すだけじゃ」
「どうやって? それを聞いている」
その言葉にエフロシーニャはにやりと笑った。
「ほれ、まずはドラグの解放じゃ」
「……はい」
「ドラグ、解放の契約じゃ。ドラグはそれを望むか?」
エフロシーニャは大陸語でドラグに意思を尋ねた。
ドラグの大きな目が見開く。
「なぜだ?」
「均衡のためじゃ」
「……分かった」
ドラグは静かに頷いた。
「では、始めます。ヴェーラ、魔導陣に書き込みなさい」
「はい」
エフロシーニャの口調が変わり、その背筋を伸ばした。
エフロシーニャは、文言を唱える。
私はその文言を魔導陣に書き込んでいく。
《一つ、この者の魂を解き放つ。この者の意志を尊ぶ。この者との誓約を平等に結ぶ。ヴェーラの名において、解放の契約とする》
そして詠唱。
「一つ、蜂蜜を温めよ。層を重ねよ。時間をかけて馴染ませよ。甘く仕上げよ」
「メドヴィクの……レシピ?」
スヴェトラーナが呟いた。
甘い蜂蜜の香りが広がる。
幾重にも重なる黄金色の層。
魔導陣が焼き上がるように光り、メドヴィクのレシピが浮かび上がった。
その瞬間、ドラグの体に眠っていた魔導陣が目覚めた。
体中に刻まれた魔導陣が、黒く光りながら姿を現す。
ビリビリとしたその魔導圧。
今までのものとは、別次元だった。
思わず身構える。
イリアが懐から魔導銃を取り出した。
スヴェトラーナが両腕を抱くように震えた。
「ドラグ……?」
「……ヴェーラ」
「お願い。その魔導圧はなんとか、ならないの?」
ドラグは自分の手を見た。その手の甲にも魔導陣が刻まれている。
「……魔導圧?」
「貴様らは、なんと言ったかな? そう魔獣の咆哮じゃ」
魔獣の咆哮……? でも、まさにそんな感じだ。
「あ? ああ……」
そう頷くとドラグは小さく詠唱を始め、魔導圧が消えて行った。
「ドラグ。今から私たちは仲間です」
「……」
私はドラグに話しかけた。
「協力してくれますか?」
「……ヴェーラを守る」
「ヴェーラは俺が守る」
そのドラグの言葉にイリアが思わずといったように顔を上げた。
そしてイリアは魔導銃をしまい、代わりにドラグに手を差し出した。
ドラグはその手を見つめた。
「仲間で、いいんだな?」
「仲間だ」
二人は手を握った。
これから魔族、オルロフと対峙しなければならない。
所長を救うために、局長も取り戻すために。
そのとき、私たちもドラグを奴隷のまま連れて行ったら、彼らと同じだ。
——均衡を壊した……
メドヴィクを刻め——
あの宿題の意味も……
グロモフ局長の言葉がいつまでも、脳裏を駆け巡っていた。




