52話 本質
——お前、分かっているのか?
ドミトリ所長に最初に会った契約局研修の魔導部屋。
所長の干渉魔導を、契約で封じたとき。
初対面の私に所長は、そう言ったのだ。
その前に、確認するように私の名を聞いた。
エフロシーニャの孫が、あんなポンコツだとは思わなかったのだろう。
今となっては、恥ずかしい。
ようやく、分かりました。
所長……
ヴォルトの系譜、神の魔導陣。
神の魔導陣については、どこまで所長が知っているかは分からない。
でも、キリルの報告を聞けば、思い当たったのではないか?
温かい浴槽に浸かりながら、顔の半分をお湯に沈める。
久しぶりのエフロシーニャの薬湯は、身も心も体の底から温まる。
村では浴槽がある家は、師の治療院だけだった。
学院の寮もアパートも契約局の宿舎でさえ、シャワールームしかなかった。
所長……絶対に助けに行きます……
久しぶりの入浴でさっぱりしたあと、魔導師のローブに着替える。
私に合わせて下に着るチュニックも用意してくれていた。
フードの留金のプレートは、無専門を表す紋章なしだった。
契約魔導師の紋章が懐かしい。
部屋に戻るとスヴェトラーナも起きていた。
「スヴェトラーナさん、お体は大丈夫ですか?」
「体がまだ重いです……」
「エフロシーニャ師の薬湯に入れば、楽になりますよ。浴室にスヴェトラーナさんたちの着替えも置いてありました」
その言葉にスヴェトラーナの目が輝いた。
「……ヴェーラ師の顔も輝いてますね。ありがたくいただきますわ」
スヴェトラーナが立ち上がろうとして、ふらついた。
慌てて手を出して支え、寝台に腰掛けさせる。
「大丈夫です……ヴェーラ師は、すごいですわね。あの魔導瞑想……あのとき私は意識がなくなりかけていたのです。ですが、ヴェーラ師の白い光が私を守ってくれたのです」
スヴェトラーナが寝台に座って青白い顔で私を見つめた。
そのとき、扉がノックされた。
「ヴェーラ? いるか?」
「イリア……起きたのですね」
「食堂に食事が用意してある。エフロシーニャ師が呼んでる」
その声に、はっと顔を上げた。
「スヴェトラーナさん! エフロシーニャ師が、王都に行く作戦を立ててくれます!」
「まあ!!」
スヴェトラーナの顔も上がった。
ぐっ、とその腕に力がこもった。
「イリア。手伝ってください」
スヴェトラーナに肩を貸し、歩くのを手伝った。
「スヴェトラーナ。顔色が悪いぞ」
「早く、ドミトリさまを助けに行かなければ……大丈夫です」
「ああ」とイリアが呟いて、スヴェトラーナをかかえるようにして食堂に向かう。
食堂はドームの入り口近くにあった。
そこでエフロシーニャが食事を用意してくれていた。
「お前たちは、丸一日寝ていた」
「!」
スヴェトラーナの顔がさらに青ざめた。
丸一日……
「あれから、また観測した。古の魔導陣が起動したからの……」
「エフロシーニャ師……あれだけの魔導反応を出したら、魔族や軍に見つかるのでは?」
イリアが疑問を出した。
「見つかっていたら、観測など出来るわけなかろう。この場は強力な断絶魔導で守られておる」
魔導反応は漏れないとエフロシーニャは続けた。
「何か、分かったのですか?」
「まずは、薬膳を食べてからじゃ」
そう言ってドラグに大陸語で話しかけると、奥から湯気を立てる鍋を持って現れた。
濃厚な緑黄色の粥状のものだった。
大地の匂いがした。
私は立ち上がって、ドロリとした粥を椀によそった。
ポットからお茶を注いでイリアとスヴェトラーナの前に置いていく。
「スヴェトラーナさん。味はともかく元気は出ます」
ハーブやスパイス、薬草の匂いがきつい。
私が料理嫌いになった理由だった。
幼いころ、あまり体が丈夫ではなかった私はエフロシーニャの薬膳をよく食べさせられていた。泣きながら食べたのを覚えている。
「いいなあ」
イリアがドラグの皿を見ている。
ドラグの皿には、大きなシルニキが盛られていた。
「……シルニキ」
「いただきますわ」
スヴェトラーナは躊躇なくその薬膳カーシャを口に運んだ。
しかしすぐに口を押さえ、たまらずお茶を飲み、さらに顔をしかめる。
「うっ……」
イリアも途端に苦虫を噛み潰したような顔になった。
ドラグは手づかみであっという間にシルニキを食べ終わった。
「これは、すごい味だ……」
「でも、なんだか元気が出ます……」
目を白黒させてスヴェトラーナが飲み込んで言った。
黙々と緑黄色の粥を啜る。
懐かしい薬草の苦味とえぐみ、鼻をつくハーブの刺激。
私の料理音痴は絶対にエフロシーニャ師のせいだ、と改めて思う。
でも、体の芯から、じわじわと細くなっていた魔導が流れていく感覚があった。
食べ終わる頃には、スヴェトラーナの顔色は幾分か良くなってきていた。
「さて……」
エフロシーニャも同じ薬膳カーシャを食べ終わり、お茶を飲んで顔をしかめて言った。
やっぱり、自分も美味しくないんだ……
「ドミトリ師が捕まってから、少なくとも三日は経っておるが……」
「……はい」
「奴はまだ無事じゃ……」
ほっとしたため息が、私とスヴェトラーナの口から同時に漏れた。
「グロモフ局長は?」
イリアが口を出した。
イリアにとっては、所長よりグロモフ局長の安否の方が気にかかるのは当然だろう。
「……分からぬ。じゃが、契約局は軍に接収されているようじゃ」
「……」
パーヴェルやセレブロのことが心配になった。
イリアの眉間に皺が寄った。
「グロモフ局長は、今回のこと、どこまで掴んでいたのでしょうか?」
Bー88、今のドラグにシルニキの魔導をかけたとき、グロモフは「均衡を壊す存在だ」と言った。局長は「軍は禁忌を犯した」とも言った。
「魔導拒絶反応の強い蛮族を、短時間であれだけ捕縛することなど、通常不可能だ」
イリアは考えながら話し始めた。
「だが、魔族と繋がっているなら話は変わってくる」
「やはり、局長は禁忌を犯したことを知っていた……魔導十戒の第八戒、神域の戒め……」
それは魔族の使う侵蝕魔導に関わる禁忌。
国家魔導師にとって、到底許されないものだった。
「魔導師ではないオルロフだからこそ、そこに踏み込めた?」
イリアが低く呟いた。
「オルロフ大佐の部下の幻惑魔導師の中に魔族がいた?」
蛮族の集落を襲ったときに、もし魔族が幻惑魔導師の中に紛れ込んでいても、その魔族の支配下にあるなら表には出ない。
独り言のようにそう呟き、イリアは頷いた。
「そうだな。最終的に魔族は蛮族の強制契約を書き換えて、寝返らせるつもりだったのではないか……?」
「!!」
「だが、ヴェーラのシルニキで書き換えることが出来なくなった」
「そうですわ。ヴェーラ師自身でも解除できなかったくらいですから」
そう言ってスヴェトラーナは微笑んだ。
「……あっ」
「つまりヴェーラは、知らないうちに魔族の計画を止めていた」
イリアはそう言って、空になったお椀を押しやった。
だから、これ以上シルニキの契約をされないように、私を殺そうとした?
そして私にそのシルニキを解除させようとする魔族の一派もいる?
蛮族への強制戦闘奴隷の運用は、それ自体が人、魔族、蛮族の「均衡」を壊し、魔族をさらに北の地に閉じ込める手段となった。
そして、それが新たな均衡となった。
Bー88、ドラグはその「均衡」を壊す?
「推測をいくら話し合っても、意味はないやね」
黙って聞いていたエフロシーニャが切り捨てた。
「そうだな、それが真実だとしても、今は告発する手段も証拠も、オルロフをひっくり返す術もない」
イリアも首を振って認めた。
「王都になんとかして戻らないと始まらない。ドミトリ師も、グロモフ局長も助けないと」
「戻ると言っても鉄道の各駅には、きっと軍の検問が敷かれています」
「ヴェーラが捕まったら、大量の蛮族が我々に牙を剥く……」
「魔導電話もきっと監視されています。連絡手段もありません……」
エフロシーニャが私たちの会話に割り込んだ。
「ドミトリのやつは、一人でもなんとかするじゃろ」
「?」
そして、エフロシーニャはドラグを見た。
巨体の蛮族戦士は、静かにこちらを見返した。
「根本的な問題は、何か?」
「……蛮族?」
その私の言葉に、エフロシーニャは頷いた。
「そう、蛮族の解放じゃ」




