45話 侵食
日は高く登っていた。
道は森を抜け、草原に出ていた。
その反応は突然、現れた。
アイカが唸り、馬が怯えたようにいななき、ドラグが身をかがめた。
「ドラグが魔族を見破った?」
イリアが目を見開いた。
身を隠す場所はない。
——あの狙撃されたときに感じた異様な魔導反応……
「……魔族」
「反応は三つ……あります」
「南から……?」
「ドラグが気づかなかったら……」
心臓が激しく脈打ち、冷たい汗が背中を伝った。
スヴェトラーナが震えているのが分かる。
所長は?
もしかして、所長たちを追っていた魔族なの?
イリアが魔導銃を取り出して、空を見上げた。
「イリア師……逃げましょう」
「もう遅い……」
スヴェトラーナの震える声にイリアが答えたとき、黒い影が三つ、空から目の前に降り立った。黒いフードを目深にかぶり、赤銅色の目だけが光っている。
魔導師のローブよりも重たい黒、その肌は見えない。
「魔族……」
「殺すつもりなら、わざわざ現れたりはしない……」
イリアが自信なさげにつぶやいた。
「ドラグ……いや、ヴェーラが目的……か?」
「ドラグ! 私たちを守って……」
ドラグが馬の前に一歩出て、アイカがその隣で唸りながら身をかがめた。
イリアの銃口が魔族に向く。
「動くな。……なにが目的だ」
イリアが微動だにせず、銃口を向けたまま魔族に話しかけた。
中央にいる黒いフードの影が薄く笑ったような気配がした。
そして冷たい声が響いた。
「……そこの蛮族、そこの女。大人しく我らに、ついてきてもらう」
「ふざけるな、ヴェーラは渡さん。契約局での狙撃、魔熊の悪魔化。お前らの仕業か?」
イリアの鋭い声は無視される。
「女……お前の魔導陣は、我らには解けない。拒否するなら、女と蛮族以外は死ぬ」
「蛮族のシルニキのレシピ……か」
イリアがなおも銃口を向けて呟く。
黒いフードはイリアの魔導銃をチラリと見て、ふたたび冷笑した。
「その銃では我らを傷つけることはできない」
「契約局でなぜヴェーラを狙った? 殺そうとしたのではないのか?」
「知らぬ……」
私を殺そうとする一派と利用しようとする一派がいる?
オルロフ大佐とは別系統?
でも、この黒いフードから感じられる魔導反応は、私たちでは敵いそうになかった。
私たちを殺すのは簡単……
私のせいでイリアとスヴェトラーナが殺されるのは耐え難かった。
「そこの女の魔導……非常に興味深い……」
その冷たい声が熱を持った。
今は、殺すつもりはない……?
ならば、少しでも時間を稼いで所長が戻って来るのを待つ。
「……何をすれば良いのですか?」
「……ヴェーラ師?」
「ヴェーラ! ダメだ。……魔族が人に何をするかは知ってるだろう?」
「でも……」
「時が、移る……待てぬ」
そんな私の時間稼ぎを嘲笑うように黒フードは言った。
中央の黒いフードの袖が上がると同時に、強い魔導反応が立ち上る。
アイカが姿勢を低くする。
同時に発砲音とともにイリアの銃口が火を吹いた。
弾丸は中央の魔族の胸を貫く。
しかし魔導反応は止まらない。
黒フードの薄い口が吊り上がったように見えた。
「すり抜けた……? 干渉魔導で操った……?」
そのときドラグとアイカが同時に跳んだ。
弾けるようにその巨体が魔族に向かって突進していく。
「バウッ!!」
アイカが中央の黒いフードに噛みつき、間髪入れずにドラグの太い腕が唸りを上げた。
ドラグの体から、さらに魔導反応が立ち上る。
しかしドラグのタックルは黒いフードを揺らしただけだった。
黒いフードは上空に浮かび上がり、同時に地面に巨大な魔導陣が展開されていく。
「イリア!!」
「ヴェーラ!!」
左右の黒いフードからも同時に魔導陣が展開される。
殺されてしまう……イリアも、スヴェトラーナさんも……
死の恐怖が、私の胸を締め付けていく。
私は目を閉じた。
そのとき——
「シルニキッ!!!」
ドラグが吠えた。
反射的に目を開けて、私は見た。
ドラグにかけた私の拘束契約が、シルニキのレシピの文言に侵食するように書き換えられていくのを。
本能的にそれが何か分かった。
——拘束ではなく……解放……?
契約局でBー88にシルニキのレシピを刻んだとき、その上から強制拘束契約をかけた。
あのときの詠唱はレシピではなかった。
同じ拘束契約でも、レシピの文言は何かが違っていた。
シルニキを苦労して解除したのに……
昨晩、ドラグから感じた強い魔導反応が、次の瞬間ほとばしった。
それは黒いフードが展開した魔導陣をすべて消し去った。
「バウバウッ!!」
アイカが右側の黒フードに飛びかかる。
そしてドラグが左側の黒フードに突進した。
「ドラグ! アイカ!」
「……ヴェーラ」
その隙をついてイリアが馬を寄せてきた。
「ヴェーラ……撃つんだ」
「……!!」
上空の黒フードから再び、魔導陣が展開され始める。
イリアが私に魔導銃を渡した。
「ヴェーラ。飛び降りろ」
手の中に鈍く光る古ぼけた魔導銃があった。
イリアは馬を降り、私に両手を伸ばした。
「……はい」
「あの魔熊の悪魔を吹き飛ばしたヴェーラだったら、魔族も倒せる」
あのときのようにイリアは後ろから私の両手を取り、銃口を上空の黒フードに向ける。
「深呼吸だ……」
「あ……」
そのイリアの手も震えている。
スヴェトラーナも馬を降り、横臥させた馬の影に隠れた。
目を閉じて、深呼吸をする。
左手から魔導を放出する。
イリアの慣れ親しんだ落ち着いた魔導が、私の心を落ち着かせていく。
アイカの唸り声もドラグの叫びも遠くなっていく。
ドラグとアイカの魔導反応を感じる。
左右の黒フードが展開していた魔導陣が弱くなっている。
そして目を閉じたまま、上空の一際強い魔導反応に銃口を向けた。
左手から体内を巡る魔導が熱を持ち、魔導銃に集まっていくのが分かる。
この六日、ほとんど外に出さなかった魔導が奔流のように流れていく。
「……ヴェーラ」
「はい」
私は目を開けた。
イリアの指が、引き金にかけた私の指に合図をするのと同時だった。
黒フードの褐色の目が、大きく見開かれたのが見えた。
魔導銃が火を吹いた。
空が赤く染まった。
「きゃ……」
爆風と轟音が遅れて私たちを襲い、イリアとともに後方に吹き飛ばされた。
草地の上をイリアに抱かれたまま転がる。
イリアにきつく抱きしめられ、その体の下に柔らかな草地があった。
草いきれの匂いを感じる。
耳がじんじんし、魔導銃は衝撃でどこかに飛ばされていた。
やがて視界が戻り、耳鳴りが遠くなって来ると私は呟いた。
「これって……」
「ただの……通常弾だ……」
「バウバウ!!」
アイカが私たちの方向にしっぽを振りながら駆け寄って来る。
その先にドラグがうずくまっているのが見えた。
横臥した馬に隠れたスヴェトラーナの頭が上がった。
「アイカ……無事だった……良かった……」
黒フードの魔導反応が消えているのを朧げに確認したのが、そのときの意識の最後だった。




