43話 ドラグ
蛮族を連れて行く……?
そうしたら魔族がこちらに来てしまう。
オルロフ大佐にも居場所がバレる。
正気とは思えなかった。
「それは、危険だ……」
イリアの顔が青ざめた。
でも、もう軍に接触してしまっている。
見つかるのは時間の問題。
「ここからは、別行動だ」
「……え?」
所長が私たちを見据えた。
「俺は、蛮族と元の部下を連れて撤退させる」
「ドミトリさま……?」
スヴェトラーナの声が不安に潤んだ。
「魔族と軍を、俺に向かうようにしむける」
「……え」
囮……
「おそらく魔族の狙いはあのBー88だ」
「……なぜ、そう思う?」
イリアの疑問に所長は首を振った。
「奴だけ明らかに違った。奴がいなければ、俺含めて全滅していた……」
「……それは、どういうことだ?」
「魔族を奴一人の腕力で倒していた……」
「……」
所長は首を振りながら続けた。
「魔族は、Bー88の魔導反応に固執しているようだった」
そこで所長は間を置いた。
「ヴェーラたちが連れていくのはそのBー88だ」
「え?!」
魔族に狙われているBー88を連れて行ったら、私たちが危なくなるのでは?
「ヴェーラはBー88のシルニキの魔導陣を解くんだ」
「えっ……」
「シルニキの魔導陣から強い魔導反応がある」
「……あっ」
あのとき契約局でシルニキの解除ができなかった。
そう思ったときに、ふっと閃いた。
所長の干渉魔導の封印を解いたときに、解除に相当する言葉が分かったんだ。
「あれが消えれば、魔族は多数の蛮族のいる方に来る」
思いついた私の顔を見てニヤリと笑った。
「だが、蛮族を連れて歩くのは……」
イリアが反対する。その気持ちは痛いほど分かる。
「ボディガードにちょうど良い。それともう一つの契約魔導をBー88にかけてもらう」
「ヴェーラが魔導をかけたら、オルロフ大佐の観測魔導師に居場所がバレる」
所長が分かっているというように頷いた。
「俺が今使った。もう観測されている。今は蛮族と魔族を利用するしかない」
二人の会話を半ば上の空で聞きながら、私は別のことが気になっていた。
「魔族の追撃を大佐のところの連隊に巻き込む」
「失敗したら?」
「その時は戻る」
イリアがなお納得できないという顔で首を振った。
私はその間に、気になっていたことを所長に聞いた。
「もう一つの契約魔導は何ですか?」
「時間が惜しい。今からBー88を連れてくる。少し待っていてくれ」
しかし、それには答えずに再び所長は霧に巻かれて消えた。
私たちは取り残された。
「蛮族を連れていくって……」
「ドミトリさまは、きっと深いお考えがあるのでしょう」
「いや。あれは直感で動いてるやつだ」
「その直感を、信じるしかないですね」
スヴェトラーナはため息をついた。
「……食事にしましょう」
「魔族の反応が遠い。今のうちだな……」
スヴェトラーナの提案にイリアがうなずいた。
背嚢から食器と鍋、燻製にした肉を取り出した。
「ハッハッハ」
「茶でも、飲むか……」
「バウ」
スヴェトラーナが指先に火を灯した。
月明かりの薄暗い中で、ぼうっと二人の顔が浮かぶ。
もう霧は消えていた。
先ほど集めておいた薪に火をつける。
お湯を沸かし、茶を飲みながら燻製肉を食べていると、崖の方から落石の音が響いた。岩場の上に黒い巨体が姿を現す。
所長が後から続いて登って来た。
焚き火で蛮族の巨体が浮かび上がる。
戦闘奴隷の簡素な軍服が血に染まっていた。
イリアが息を飲み、アイカが唸り声を上げた。
蛮族の体に直接刻まれた魔導陣は消えてはいるが、その体から発せられる魔導圧は圧倒的だった。それは確かに私のシルニキのレシピだと、はっきりと分かった。
所長が蛮族の隣に立ち、その巨体を跪かせた。
顔を上げた目には、なんの感情も宿っていない。
「ヴェーラ。シルニキのレシピを解除すれば、この魔導圧はなくなる」
「……分かりました」
私は左手に魔導を通し、魔導陣を開いた。
アイカが唸り声を上げる。
はっと気づき、魔導の流れを小さくする。
《一つ、チーズと粉を合わせて丸め、弱火で両面を黄金に焼き上げよ》
シルニキのレシピが魔導陣に刻まれている。
「解除は、おいしく召し上がれ、だ」
所長の声が笑いを含んだ。
——美味しく、召し上がれ?
それを、私が詠唱するの?
「このレシピの文言と”美味しく召し上がれ”を詠唱するんだ」
こんなときなのに、今まで私の詠唱がレシピとして聞こえていたと思うと恥ずかしくなった。それはみんな呆れるし、ふざけていると思う。でも仕方がない。
Bー88が私を見つめた。
「どうした? いつもやっているだろう?」
「……分かりました」
私は魔導陣に刻まれた文言を読み上げて、解除の文言を唱える。
「……おいしく召し上がれ」
その詠唱の声は次第に小さくなり、夜の闇に消えていった。
でも、シルニキのレシピの魔導陣はキラキラと輝きながら霧散していった。
その瞬間、蛮族から発せられていた魔導圧が嘘みたいに消え、その肩がびくりと震えた。
「よくやった」
所長が私の肩を叩き、Bー88を見下ろした。
「……はい」
「それにしても、シルニキのレシピは何の魔導と対応していたのだろうか?」
イリアが首を傾げたが、それは誰にも分からない。
「もう一つの契約は、守護契約だ。なにがあってもヴェーラたちを守らせる」
「はい……」
私はまた魔導陣を開き文言を刻んだ。
《一つ、術者への守護を、ヴェーラの名において契約する》
私は一つ深呼吸して詠唱した。
「一つ、牛肉を沈め、火に委ねよ。脂を満たし、静かに煮込め」
「トゥシェンカ……」
スヴェトラーナがつぶやいた。
どうやら守護契約は牛肉の煮込みらしかった。
Bー88の厳しい目付きが緩み、ぼうっとした焦点が少しずつ合ってくる。
「Bー88。ヴェーラたちを頼む」
所長が話しかけるとBー88はうなずくように頭を下げた。
「では、俺は行く。エフロシーニャ師のもとで会おう」
「……はい」
「待っていますわ」
「必ず無事にヴェーラを届ける」
所長はまた魔導陣を開いた。
「ヴェーラ。必ず戻る」
そして所長は霧の中に消えた。
私たちはBー88とともに残された。
「……今晩は、どうします?」
「もう少し、森に入って休もう。Bー88もいることだしな」
そういってイリアはBー88を見上げた。
ドラグが私を見る目に、かすかな光が宿っていた。
そのとき、谷底から大きな魔導反応がいくつか現れた。
それは南へ向かって離れていく。
「Bー88? あなたの名前はなんと言うのですか?」
私はBー88の巨体を見上げた。
蛮族は、訛りの強い大陸語を話す。
私は学院で習った大陸語で話しかけた。
「……ドラグ」
Bー88は低い声で言った。
「ドラグ……私はヴェーラ。よろしくね」
「……」
アイカがドラグの匂いを嗅いでいる。
私を見上げて大丈夫というように「バウ」と小さく吠えた。
焚き火を新しく加わったドラグと囲んだ。
「ドラグ……座って……」
「……」
ドラグは黙って頷くと私の隣に胡座をかいた。
それにイリアが眉を寄せ、スヴェトラーナが目を逸らした。
反対側からアイカがドラグを見上げる。
お茶を淹れ、ドラグには所長が使っていたコップを渡した。
ドラグは目を見開いてそれを受け取り、口をつけた。
魔族に襲われたりしないよね……
でも、ドラグがいれば……
誰もが無言だった。
まだ所長の大きな魔導反応が動いているのが分かる。
「……休むか」
イリアが立ち上がり、ドラグと交代で見張りにつくことになった。
私はスヴェトラーナと身を寄せ合って横になる。
「ドミトリさま……」
スヴェトラーナから小さな声が漏れた。
夜はこれから。
狼の遠吠えが、どこからか聞こえる。
所長の魔導反応だけが、遠く南で揺れていた。
とても眠れないと思っていたが、疲れからかいつの間にか眠りに落ちていった。




