42話 待ち伏せ
森の中の旧道。
鉄道ができるまでは使われていたという道。
冬季には雪で埋もれ、行き来が不可能になる。
故郷の村から王都まで、昔は徒歩で一ヶ月はかかったという。
狼や熊、虎が出没し、夜には魔族が使役する魔獣まで現れる。
命懸けの道だったと聞いた。
最初に森と川を抜けたことで距離を稼いだようだった。
「昔、この辺りで作戦行動を取ったことがある」
所長が見回しながら、ほっとしたように言った。
馬に揺られるたび鞍が私のお尻を擦り、痛みは耐え難いものになっていた。
アイカが遅れがちについてきて、私たちを見上げる。
「オルロフ大佐は、私たちがエフロシーニャ師に会いに行くと予測していますよね?」
もう何日も経っている。軍ならとっくにエフロシーニャ師と接触していてもおかしくはない。不安が募っていた。
「……そうだな。だがエフロシーニャ師は、いつかはこうなることを予測しているように思える」
「私のせいで……?」
「俺の干渉魔導を封じることのできる魔導師の師匠だぞ。その危険性は承知だったはずだ」
だから、私に”鍵”をかけた?
だから、詠唱がレシピになった?
「おそらく準備はしている」
「だから、返事がなかった……?」
「これから行くのは、ヴェーラの故郷の村じゃない……」
「!」
エフロシーニャ師に会いに行くと聞いて、てっきり故郷に帰るものと思っていた。
「その場所をオルロフ大佐が把握しているかは分からない」
所長が首を振った。
王都を出てから五日目の夕刻。
旧道は徐々に上りになり、やがて峠に出た。
峠を下り野営の準備をしようとしていたときだった。
馬から降り、強張った腰を揉みほぐす。
所長は馬にハミを噛ませ、イリアが薪を集める。
スヴェトラーナが炊事道具を用意していた。
そのときアイカが唸りを上げた。
その瞬間、峠の下の谷から強い魔導反応がいくつも出現した。
私たちの顔が強張った。
「追手か?」
「いや、違う……」
イリアと所長が小声で短く言葉を交わす。
でも、この魔導反応には覚えがあった。
あの狙撃されたときに、ほんの一瞬感じた薄気味の悪い感覚。
契約局での訓練と今も続く魔導の抑制が、体内を巡る魔導素の感覚を研ぎ澄まさせていた。
「軍が、魔族に襲われている……」
「ッ!!」
所長の鋭い声が短く響いた。
思わず手で口を押さえる。
スヴェトラーナが息を呑んだ。
それと同時に複数の干渉魔導師と蛮族の魔導反応が出現した。
「隠密行動中の軍か? どこの部隊だ……隠密魔導が破られた?」
所長がつぶやいた。
その瞬間、谷底で爆発音が響いた。
そして干渉魔導師の魔導陣が展開された。
「ヴェーラ。森の奥で隠れていろ」
所長は魔導陣を開いた。
「イリア、スヴェトラーナ、ヴェーラを頼む」
「所長……?」
「了解」
スヴェトラーナが私の肩を掴んだ。
所長から霧が湧き上がると、その霧に飲まれるように姿が消えた。
「ヴェーラ。もしドミトリ師になにかあった場合、我々だけでエフロシーニャ師のもとに向かうことになってる」
「……え?」
何かあったら、って?
「大丈夫です、ヴェーラ師。ドミトリさまは必ず戻ってきます」
スヴェトラーナの所長に対する信頼は絶大だった。
「そうですよね……」
「必ず戻ってきます」
私たちは馬とアイカを連れて薮の中に隠れる。
イリアが魔導銃を取り出した。
谷底で強大な魔導反応が立て続けに起きた。
魔族と魔導師の魔導反応が入り混じり、体中の魔導素の流れに不協和音を刻む。
そのたびに轟音が響き、地面が揺れた。
「霧魔導……?」
次の瞬間、谷底から濃密な霧が湧き立ち、その音が消えた。
「……所長の消音……」
その先の言葉は、霧中の無音の世界に飲み込まれた。
地響きが立て続けに起こる。
視界が霧で閉ざされたとき、慣れ親しんだ魔導反応を感じた。
思わずイリアのローブを引っ張った。
イリアも頷く。
私がかけた蛮族への拘束契約の魔導陣だった。
複数いる。
あのシルニキを刻んだ蛮族の反応も……
こんなところに、あのBー88がいるなんて。
急に息が苦しくなった。
私の魔導陣が戦争に使われている……
必死になって契約魔導をかけ続けたあの日を思い出した。
あのとき、シルニキのレシピを刻んだんだ……
理解はしていても、実際に戦場で私が刻んだ蛮族が戦わされていると思うと胸が痛んだ。
蛮族たちに刻まれた私の魔導陣だけが、谷底で嫌でも存在感を放っていた。
時間の感覚が曖昧になるほどの濃い霧の中で、私は座り込んで呆然としていた。
蛮族と魔族の魔導反応がぶつかる。
それは霧を赤く染め上げ、爆風だけが木々を揺らした。
魔導陣の展開を感じない。
なのに、軍の魔導反応が徐々に減っていく。
やがて谷から鳴り響く地鳴りが止んだ。
所長……どうか、無事で……
しばらくのち、霧が薄くなって来た。
白い霧が夕日を浴びてオレンジ色に染まる。
風が吹いて、木々を鳴らした。
川の音が再び響いてくる。
そのとき魔族の魔導反応がまた強くなった。
それは遠ざかっていく。
蛮族の魔導反応も、いくつかそれに加わっていた。
イリアがそっと肩に手をかける。
体が震えていた。
すでに日は暮れていた。
霧の冷気が体にまとわりつき、息を吸うたびに体の芯から冷えていく。
イリアの温かいローブが次いでかけられる。
「……行った、の……?」
そのつぶやきが声に出た。
「……行ったみたいだな」
「イリア……ありがとう」
「ドミトリさま」
スヴェトラーナが言ったとき、目の前の霧が人をかたどった。
ローブを翻し所長がこちらに向かってくる。
張り詰めていた全身の力が抜けた。
「すまん。見過ごせなかった」
「助かったんですか?」
「蛮族が複数、殺された。何人かは連れ去られた……軍は……」
所長は疲れた顔を見せた。
「生き残りは五人もいない……」
「……」
「もう戦えない」
よく見ると所長のローブに血がついていた。
「……知っている部隊だったのですか?」
「ああ、元部下がいた」
「追手の部隊ではないんだな?」
イリアが確認し、所長はため息をついた。
「干渉魔導師と蛮族の北への作戦中の部隊だった」
「……そんな部隊が、ここまでやられるなんて」
私は震えた。
もし今、所長の魔導反応をオルロフに捉えられたら。
そこに魔族まで現れたら……
「……待ち伏せにあったらしい」
「情報が漏れている?」
イリアの声も緊張を帯びた。
「オルロフ大佐の繋がりですか?」
スヴェトラーナの口調が変わった。
「分からない。だが歴戦の魔導中隊が通常あそこまで遅れを取ることはない」
「でも。ドミトリさまが救いました」
「魔族に、蛮族を何人か奪われた」
スヴェトラーナが熱い眼差しを向け、所長が厳しい顔をして首を振った。
「軍と蛮族たちの力だ」
そして所長は私たちに向き直った。
「こんなところに残された蛮族たちを置いていけない」
「……どうするつもりだ?」
所長は私たちを見た。
「おそらく、また魔族が襲ってくる。そのときは生き残りも全滅だ」
「……?」
「蛮族が魔族の支配下になったら、その暴力はこちらに向く」
「……え?」
あの巨体が故郷の村を襲ったらと思うと震えがきた。
「どうするんですか?」
「蛮族を連れていく」
「!!」




