41話 魔族
私たちは馬に乗って、森の中の小径を北上していた。
さすがに地図には載っていない。
馬に乗るのは初めてだった。
所長が私の後ろから手綱を握る。
想像以上に揺れた。見下ろせば地面は遥か下で、思わず身震いがした。
「しっかり掴まっていれば、落ちない」
「はい……」
そう言って所長は笑った。
隣に馬を寄せるスヴェトラーナの後ろでは、イリアが青い顔で必死に鞍の後ろを握っていた。
「腰に手を回してもいいですよ? 落馬したら大変ですから」
「助かる……」
イリアがスヴェトラーナにしがみつく姿を見て、思わず苦笑してしまう。
アイカが時折、私を見上げながら走って追いついてくる。
所長の温もりが、離したくないほど恋しかった。
でも、今はそんなことを考えている場合ではない。
所長が南の方向に振り返った。
遠くで、かすかな魔導反応を感じた気がした。
「一個連隊が来ているな。総勢二百名ほどだ」
所長が低く言った。
その声に、私は背筋を伸ばした。
「ソコル少佐がいるんですよね?」
「いや、ソコル少佐は王都防衛魔導大隊だ。召集がかかったのだろう」
「……いないんですか?」
ソコル少佐がいないと知って不安になった。
「一個連隊は、魔導師もかなりいる。だが、車両の機動部隊もやっかいだ」
「じゃあ、ソコル少佐は?」
「俺が軍を抜けたときに、大尉から昇進し王都防衛部隊に配属されたんだ」
それで、一人であの場所に来れたんだ。
連隊にいたら、そうはいかない。
だから魔狼の悪魔化のときも、あの魔猫のときもソコル少佐が来てくれたんだ。
そのとき、私はマリーナの手紙を思い出した。
「所長、友人のマリーナからの手紙で……」
少し迷ったのちに話した。
所長の奥様と娘が事件に関わっていないとも限らないからだ。
でも、だからこそ伝えないといけない。
西部で魔熊が悪魔化した事件、その魔熊は飼育されていたこと、契約魔導師は行方不明になっていること……
聞きながら所長の手綱に力が入ったのが分かった。
しばらくして所長はぽつりと言った。
「……その新聞記者は、大丈夫なのか?」
「……分かりません」
マリーナからの返事はまだない。
嫌な想像が浮かんでくる。
「マリーナ……何かに巻き込まれてないですよね?」
「その記者は、踏み込みすぎだ」
所長はため息をついた。
「まず西部での悪魔化は軍が出動して駆除した。飼われていたのとは、少し違う……」
そこで所長は話を切った。
「契約魔導師の行方不明は、ゾロトワ事務所の支部で起きたようだ」
その声は沈痛な響きを帯びた。
「……」
「まさか王都で悪魔化が起きるなんて、思ってもみなかったからな……」
魔猫の抉られた魔導陣、セレブリャンカ湖との所長の話を思い出した。
私を契約局に送った理由……
でも私はまだ所長に話すことがあった。
昨日の朝、狙撃をされたこと、悪魔化した魔熊のこと。
「私を狙ったのと、悪魔化防止の魔導陣を抉ったのは同じ犯人だと思うんです……」
「……そうか」
そう言ったきり所長は黙った。
「所長は目星はついてるんですか?」
「……」
「もしあのとき、私とイリアの魔導銃があの悪魔を倒さなかったら、大勢が死んでました」
「……ヴェーラ。エフロシーニャ師のところへ行ったら、ヴェーラは一緒に隠れていて欲しい」
「嫌です。私はもう狙われています」
私はきっぱりと言った。
私がいたら、また周りを危険にさらしてしまう。
「それに、私の魔導係数、きっともっと伸びてます」
所長はため息をついた。
「絶対に役に立ちます」
私が言うと、所長は諦めたように息を吐いた。
「すごい魔導反応だった。ヴェーラだとすぐに分かった」
「犯人はオルロフ家の魔導師という可能性はありますか?」
「……分からない」
「狙撃をされたのは、敷地外からです。おそらく貴族街から直接狙った……」
続けて詳しい状況を所長に話した。
「ヴェーラの魔導反応を目標にして狙撃したか……」
「そんなことって出来るんですか?」
「風や木々の影響を受ける。魔導師には無理だ」
「まさか……」
その先は言えなかった。
まさか、魔族……?
しかし所長が口に出した。
「魔族ならば、あり得る」
「でも、王都に潜伏できるわけはないですよね?」
そのとき、オルロフ大佐の顔が浮かんだ。
「だったら、魔導陣を抉ることも……?」
「……ああ」
魔族が王都にいる?
そしてオルロフ大佐と繋がっている?
「……」
禁忌って、やはり魔族と繋がってて……?
心臓が冷えていく。
魔導学院で習った魔族との戦いの歴史を思い出す。
エフロシーニャ師から聞いた昔話も。
「今は魔族と、どうやって戦っているんですか?」
「基本、物量作戦だ。数の暴力で押し潰していく」
魔導師同士が魔導を撃ち合うような戦いは、もう昔話らしい。
現実は魔族の拠点を一つずつ潰して北の果てまで追いやっていく、と所長は話した。
かつて魔族は王都近辺まで支配を強めていた。
魔導係数が劣る王国民は奴隷として扱われ、劣悪な環境で酷使され死んでいった。
「魔族も、蛮族と同じで人と変わらん。ただ強すぎる魔導を持っているだけだ」
その言葉にBー88を思い出した。
あの留置所で一晩中、泣いていた蛮族。
「もしかしたら、所長。蛮族にとって私たちは魔族と同じですか?」
「人同士でも戦いは起こる。ただ王国は強大な魔導素を持つ魔族と蛮族に挟まれて、生き延びるのに必死だっただけだ。……そういう意味では、同じだな」
「……そうですよね」
所長とこういう話は今までにしたことがなかった。
私の知らない軍人の顔になっていた。
「少し、急ごう」
所長は馬を早めた。
軍の魔導反応がこちらに向かっている気配はないが、これから向かう北は魔族の支配下に近い。
軍と魔族の両方から追われるのかもと思うと不安が募った。
森は次第に山に入っていく。
途中、所長は地図を開き、みんなで方向を確認した。
野営が続いた。
所長とイリアは時々、深刻な顔で何かを話し合っていた。
スヴェトラーナは生活魔導で火を起こして焚き火に移す。
マッチほどの小さな可愛らしい火が灯った。
焚き火の上に水を張った鍋を置く。
イリアが魔導弾で鳥を撃ち、それを所長が捌いた。
スヴェトラーナとも少しずつ話をしていった。
「スヴェトラーナさんも、こんなことに巻き込んでしまってすみません」
「大変刺激的ですわ」
スヴェトラーナはぼうっとしたように答えた。
「貴族のお嬢様が、こんな生活耐えられないでしょう?」
「いえいえ。お兄様たちと泊まりでよく狩りに行きましたもの」
私の方が耐えられていない。
故郷は山奥とはいえ、いや山奥だからこそ、野宿などあり得なかった。
「それにドミトリさまと、こうして行動をともに出来るのですもの」
「スヴェトラーナさんは、所長のことを知っていたのですか?」
私は気になっていたことを聞いてみた。
「ええ、まだ私は十代でしたけど、父が呼び寄せるドミトリさまのお姿は、何度も遠くから拝見していましたわ」
その声はどこか熱を帯びていた。
そんな前から……所長のことを……
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
「お父様は、ドミトリさまのことを大変可愛がっておりましたから……」
「……」
私は寝たまま焚き火を見つめた。
この旅が終わったら、行く末がどうであろうと所長とは別れてしまう。
そのとき、私は……
スヴェトラーナが灰色のローブを広げて、身を寄せ合って寝た。
私はそっと、傍で丸まって寝ているアイカを撫でた。
山に入って四日、疲れが溜まって来ていた。
川沿いを進み、尾根を越え、私たちは人里を避け続けた。
また明日も馬に乗って山道を行かなければならない。
みな疲労の色が濃くなって来ていた。
所長がコンパスと地図を確認する頻度が増えていた。
頭に所長の無精髭が当たる。
時々、イリアの視線を感じた。
そして、五日目の夕刻。
びりびりするような魔導反応が私たちを襲った。




