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契約魔導師のレシピ帖  作者: タキ マサト
三章 メドヴィクの解放

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38話 霧の中


「魔導反応は、十二……」

「連隊の先遣部隊だな……十分もかからず追いつかれる」


 イリアと所長が短く会話を交わす。

 そして所長は私を見た。


「ヴェーラ。俺の干渉魔導の封印を解け」

「……いいんですか?」


 私が魔導を流したら、あの観測魔導師に居場所が特定されてしまうけれど、もう場所はバレている。


 確かに封印を解くなら、今しかなかった。

 所長はため息をついた。


「このままでは、勝ち目はない。逃げ切れない」

「分かりました……」


 干渉魔導の封印を解いたら、殺し合いになる。

 もしかしたら、ソコル少佐が……追手に?

 手が震えた。


「逃げるためだ。……殺したくはない」

「……はい」


 揺れる車内で、隣にぴったりと座る所長へ左手をかざす。


「腕をどけてください」

「……ああ」


 私は左手に魔導を流した。

 覗き込みながら、所長にかかった魔導陣を開く。


 二ヶ月前にかけ直した魔導陣は、まだ薄れてはいない。


「きゃッ!」


 そのとき、装甲魔導車が陥没に跳ねた。

 体が浮いて、所長が押さえる。

 魔導が途切れ、魔導陣が消えた。


 揺れがひどく、やりにくい。


「所長。抱いていてください」

「……いいのか?」


 所長はまじまじと私を見て、左腕で優しく抱き寄せた。


「邪魔です」

「……こうか?」

「はい、そのまま」


 私は左手に集中して魔導を流した。

 揺れで魔導陣が安定しない。


《一つ、ドミトリの干渉魔導を、ヴェーラの名において封じる》


 所長の体温を感じながら、揺れに身をまかせる。

 一つ深呼吸をして詠唱を始める。


「一つ、ニジナマズのぬめりを落とし、塩、胡椒、香草、小麦をまぶしたら、強火でこんがり焼き、美味しく召し上がれ(一つ、封印契約をしたドミトリの干渉魔導を、ヴェーラの名において契約を解除する)」



——契約解除。


 車内に香ばしい匂いが漂った。

 所長に刻まれた魔導陣が光りながら霧散していく。

 所長から一瞬、異様なほどの魔導圧が膨らみ、すぐに消えた。


「バウバウッ!!」


 アイカが異変を感じて吠えた。

 でも、イリアは違った。


「ニジナマズ……」とつぶやき、たまらず噴き出した。

「腹が減ったな」


 所長がため息をついた。

 そういえば今日はモルスしか飲んでない。


「ドミトリ師。どうする?」

「霧を出す」


 所長はすぐさま魔導陣を開き、詠唱を始めた。

 装甲魔導車が霧に覆われていく。


 視界はぎりぎり見える。

 霧は後ろに流れていく。


「スヴェトラーナ。燃料駆動に切り替えろ」

「はい」


 スヴェトラーナが魔導駆動を切ると、エンジンルームがうなりを上げた。

 煙突から黒煙が噴き出す。


「ここからは魔導は流すな」

「了解」


 イリアが答え、私も頷いた。


「音を消すぞ」


 所長が魔導陣を開き、詠唱が終わると装甲魔導車の爆音が消えた。


(すごいですね!)


 私は声に出したつもりだったが、自分の声も聞こえない。

 サイドミラーを覗くと後方に濃霧が湧き出し、それはどんどん濃くなっていく。

 霧が霧を呼び、加速度的に増えていった。


 街道は森の中に入っていく。

 前方以外は濃霧に飲まれ、まったく見えなくなった。


 その代わり、軍の干渉魔導師の居場所も分からない。

 所長とスヴェトラーナはジェスチャーでやり取りをしている。


 私は後席に振り向いてアイカを見た。

 アイカが私を見上げて、吠えたようだが聞こえない。

 不思議そうに首を傾げている。


 イリアが私をじっと見ていた。

 目が合うとイリアは、にこりと笑ってアイカを撫でた。

 なぜか、顔が赤くなって前を向く。


 静まり返った車内は、別世界のようだった。


 干渉魔導って、こういう使い方もできるんだ……


 目くらましに霧、消音で追跡を断つ。

 でも、音がない分、揺れは突然襲ってくる。

 そのたびに所長は私を抱き寄せる。

 私は逞しい所長の腕にもたれた。


 所長もイリアもアイカもスヴェトラーナもいる。

 頼もしい仲間がいる。それだけで充分だった。


 いつの間にか装甲魔導車は街道を外れ、ゆっくりと森の中を進んでいた。

 所長は車内のはたきでスヴェトラーナに進行方向を指し示している。


 周囲は霧に飲まれ、何も見えない。

 いくつか小川を越えた。

 息遣いさえも聞こえない、静寂の世界。

 装甲魔導車が灌木を押しつぶし薮を踏み倒していく。


 そのとき、脳裏になにかがよぎった。


——「ヴェーラ……こんな夜は魔導を高める良い機会です」


 あれはエフロシーニャ師の言葉。

 窓の外は猛吹雪。


 暖かい暖炉の側で、エフロシーニャ師はお茶を淹れてくれた。


 そうだ、あのときだ。

 ささいな事で家族と喧嘩をして家から飛び出して、師のこじんまりとした治療院に駆け込んだんだ……それで、吹雪で帰れなくなって……


 あの夜、初めて「国家魔導師になりたいんです」と師に打ち明けた。


 こんな風に真っ白で音がしなかった。

 師はその言葉に、微笑んで話し出した。


「王都からは断絶されたこの地。……鉄道が敷かれる前は、それは叶わぬ夢でした」


 私もエフロシーニャ師のように村を守りたかった。

 回復魔導や契約魔導で魔獣を手懐け、怪我人や病人を助ける姿に憧れていたからだ。


 記憶が戻ってくる。今まで蓋をされていたかのように。


 なんで、今まで忘れていたのだろう?


 初めて魔導係数を測って……

 それで、どうしたんだっけ?

 そうか、教えてくれなかったんだ。


 でも、王都の知人に手紙を書くと言っていた。




 そのとき、所長に肩をゆすられた。

 いつの間にか車は停まっていた。


 所長はドアを開ける。

 スヴェトラーナが車を降りた。

 

(降りるんですか?)


 所長は頷く。

 イリアとアイカも降り立った。


 深い濃霧で前が見えない。

 靴が柔らかな草地に触れた。

 街道からは、かなり外れているようだった。


(歩いていくの?)


 所長は懐からコンパスと地図を取り出し、方向を確かめた。

 そして、私を担ぎ上げる。


 え?


 はぐれたら、もう二度と再会できない。そんな気がした。

 そして所長は車からロープを下ろした。


 所長はロープの束を首にかけ、スヴェトラーナの手に巻き、イリアに端を持たせる。


 所長は私を担いだまま歩き出した。

 所長のローブの匂いが懐かしかった。


 何の音もしない。

 所長の足元でアイカが私を見上げる。

 風は吹けど、驚いた鳥が飛び立てど、虫が顔にまとわりつけど、音のない世界。


 まるで夢の中のようだった。


 エフロシーニャ師……あのとき何か言っていたけど、思い出せない。


 また私は、白昼夢のようにあの師の書斎に意識が飛んだ。


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