33話 同調
『魔獣の悪魔化を感知。近いぞ! ……来るぞ!』
館内放送で叫ぶ魔導師の声が、悲鳴に変わった。
その声が響くより早く、私の左手がビリビリと震えた。
『契約局……部は至急、本部棟……集合!』
「イリア師……」
「……ヴェーラ」
「グルルル……」
悪魔化した魔狼を思い出し、足が震えた。
警報が鳴り響いている。
アイカが上を向いて吠えた。
『……近くの地下に退避! 召喚魔導師……迎撃、駆除に向かえ!』
館内放送が喚き立て——
『……軍は、まだか!? ……繰り返す……退避……』
ざざ……と雑音が走り、放送が途切れた。
「タイミングが、良すぎる……」
イリアの声が張り詰めた。
「……ヴェーラを狙って……呼び寄せた?」
「……!」
「いや、契約局が……狙われている……か」
イリアは言い直した。
——でも、私のせい……?
何者かに狙撃され、そして悪魔化した魔獣……?
理解が追いつかない。
魔導銃を持つ手が震えた。
「なんで……?」
立ち尽くしたとき、射撃場の地下の扉が開いた。
魔導師や事務員が押し寄せる。
「うわー! 逃げろ!」
「きゃー!」
「早く奥へ!!」
「イリア師! 魔熊の悪魔化だ! 局内にいる!」
先頭でセレブロが叫んだ。
次から次へと局員が降りてくる。
「もし……ヴェーラが狙われているならば、ここにいたら……」
「……巻き添えに、なる?」
イリアは視線をセレブロに向けた。
「セレブロ師。ここはどこまで持つか?」
「魔熊の攻撃魔導を連続して喰らったら、潰れる」
「……だよな」
「グルルル……」
アイカが唸り出す。
そのとき痺れるほどの魔導感知を左手に受けた。
あの悪魔化した魔狼以上の禍々しい感覚。
その敵意は、はっきりとこの場所、私に向いていた。
——私を、狙ってる……?
「こっちに来てます……」
「分かってる」
「……どうしたら?」
私の声が掠れた、そのとき——
頭上で爆破音が起き、続いて大きな揺れが起きた。
天井からパラパラと石の破片が落ちてくる。
「きゃ……」
「バウバウッ」
「この魔導は、軍の干渉魔導師……」
セレブロがつぶやいたが、もう一つの大きな魔導陣が発動するのを感じた。
「魔熊の魔導陣……?」
「……尋常じゃない」
「バウバウバウッ!!」
もう逃げ場はなかった。
その場でしゃがみ込む。
アイカを抱き寄せる。
そしてイリアが、後ろから私をかばうように覆い被さった。
次の瞬間、轟音とともに頭上が爆ぜた。
「三層の魔導防御壁を掛け直したばかりだぞ!! 一撃で……」
その、セレブロの叫びはかき消された。
頭上から地響きと熱が地下の射撃場を襲った。
石材が崩れ落ち、土埃が舞う。
悲鳴と怒号が上がった。
魔導神に祈る者、泣き叫ぶ者、放心したような者。
そして天井の割れ目から、それが覗いた。
ツノを生やした黒い巨大な顔。
息苦しいほどの魔導圧。
気温が一気に下がる。
その二つの燃えるような目が、私を捉えた。
「ッ!!」
——見られた……悪魔に……
呼吸が止まった。
その体から詠唱が紡がれ始めた。
「ヴェーラ……」
「……は? ……イリア師」
イリアの手が後ろから、私の手を包み込んだ。
恐怖で固まった意識が、イリアのその温もりで我に返る。
「ヴェーラ。最大魔導でぶっ放せ……」
「む、む、無理です……」
体中が震えた。
——魔導銃で、悪魔化した魔獣を撃つ?
手ががくがくして、言うことを聞かない。
魔導銃を取り落としそうになる。
それをイリアが両手で、私の手を銃ごと支えた。
「ヴェーラしか出来ない」
背中にイリアの体温、顔のすぐ横に息遣いを感じる。
「大丈夫。ヴェーラ。俺がついてる」
そう言うとイリアは、私の銃を腕ごと持ち上げた。
イリアの温かい左手から落ち着いた魔導の流れを感じた。
「バウッ!!」
アイカが振り返って私を見つめた。
——撃たなければ、ここにいる全員が死ぬ……?
「……分かり……ました」
「よし。魔導を流せ。深呼吸をしろ。片膝をついて姿勢を安定させろ」
「……はい」
イリアの落ち着いた声と左手から感じる魔導に、徐々に呼吸が落ち着いてくる。
そのとき、大きな魔導陣が展開されるのを感じた。
地鳴りのような詠唱が空気を震わせる。
「そうだ。呼吸を整えろ。魔導を研ぎ澄ませ」
イリアの顔が近い。
私の耳に囁くように言った。
「目を閉じろ。照準は俺がつける」
「はい」
腕がさらに持ち上げられた。
後ろから力強く支えられる。
目を閉じて、魔導の流れを左手に呼び込む。
その瞬間、体の奥底から魔導が奔流のように溢れ出してきた。
かつてないほど渦巻く魔導。
——ダメ……また暴発する……
そのとき、イリアの穏やかな魔導を感じた。
イリアの魔導が私の中に流れ込み、溶け合う感覚があった。
落ち着いた流れ。
その流れに身を任せるように呼吸を整えた。
これが、制御……
その流れが一点に集中していく。
不思議なほど冷静だった。
軍の魔導師の魔導陣が複数、開いているのが分かった。
その数……十二。
「バウバウッ!!」
「今だ! 撃て!!」
アイカとイリアの合図に、私は目を見開いた。
そして引き金にそっと指をかけた。
迷いはなかった。
震えが止まった。
悪魔の魔導陣が発動する直前だった。
ドオンッ!!
大砲のような耳をつんざく轟音と閃光が視界を焼き潰した。
衝撃が腕を突き抜け、暴れる魔導銃と私をイリアがしっかりと受け止めた。
それは、悪魔が展開した魔導陣を粉砕した。
次の瞬間、魔熊の上半身が吹き飛んだ。
音が消えた。
意識が朦朧としてくる。
心臓の鼓動が、今になって激しく胸を打ち始める。
「やったのか……?」
「バウッ!」
イリアが後ろから私をきつく抱きしめた。
その温もりに意識が戻り始める。
アイカが誇らしげな顔をして私を見上げた。
自分とイリアの息遣いだけが聞こえる。
「……魔導反応が……消えた」
「助かった……のか?」
射撃場で身を伏せた局員たちが顔を上げた。
次の瞬間、それは爆発的な歓呼の叫びとなった。
「おお!! 魔導神よ!!」
「奇跡だ!!」
「悪魔を倒した!!」
天井の裂け目から昼の太陽が、地下を照らした。
埃が反射し、きらきらと輝いている。
「ヴェーラ。……良く頑張った」
イリアの声が安堵を帯び、私の力が抜けた。
「……はい」
でも、私一人では無理だった。
暴れ回る魔導の流れを、イリアの魔導が制御してくれた。
不思議な安心感があった。
イリアは後ろから私を優しく抱いた。
脱力したまま私は動けなかった。
心臓の鼓動は抑えきれないほど、高鳴っていた。
なぜか顔が赤くなり、うつむく。
「ヴェーラ……また、助けられたな」
「……はい」
蚊のような声で、返事をするのがやっとだった。
軍の魔導師が、地下に入って来るのが見えた。
避難した人々が、軍に誘導されて外に出ていく。
私はアイカを抱きしめ、背中にイリアの体温を感じたまま、その様子をぼうっとしたまま見ていた。




