32話 照準
五時半。
目覚ましが鳴り響く。
外はまだ暗い。
重い体を起こし、目覚ましを止める。
あれから一週間、アイカとの訓練に明け暮れた。
体中が悲鳴を上げていた。
朝の訓練では魔導師のローブは身につけない。
用意してもらったハンティング用のズボンを履く。
林の中の訓練では、毎朝イリアも付き合ってくれていた。
イリアの方が、アイカの指示を上手く出せていた。
——私が従順契約したのに……
モルス(煮込んだベリーのジュース)を一杯飲み、身支度を整え、犬舎に向かう。
「ワンワン!」
「アイカ! よーしよーし!」
犬舎で、すでにイリアはアイカを撫で回していた。
「イリア師。おはようございます」
「よし! おはよう、ヴェーラ。今日から魔導銃の訓練だ」
イリアはアイカに笑顔を見せて言う。
「それまで、アイカと訓練だ」
「……はい」
イリアはアイカのために障害物のコースを整備してくれていた。
毎朝、私はアイカとともに走り回らされていた。
林で訓練をするときには、左手に魔導をわずかに流し続けていた。
魔導制御の一環と、魔導感知のためだ。
「伏せ!」
「バウ!」
「はい!」
なんだか思っていたのと違う。
「バウッ!!」
「はっ……!」
走りながらだと、魔導の流し方が不安定になる。
魔導の流れが強くなると、アイカが吠えて注意を促してくれるのだ。
「行け! アイカ! ヴェーラ!」
「バウバウ!」
「……イリア師」
アイカは矢のように駆けていく。
私は膝に手をついて、あえぎながら言った。
「はあはあ……これ、ハンドラーやってるの、イリア師ですよね?」
「ヴェーラ……現場でアイカと一緒に逃げる場面もあるだろう?」
イリアは真面目な顔をしていたけど、明らかに楽しんでいると思う。
暗に体力をつけろと言っている。
でも、どうも釈然としなかった。
「バウバウッ!!」
「ほら、呼んでるぞ」
「……待って」
私は諦めてアイカを追いかける。
「はあはあ……アイカ?」
「グルル……」
アイカが林の奥を向き、唸っていた。
だけど、私の左手の魔導感知は反応していなかった。
アイカの首筋を抱え、身をかがめる。
「アイカ……? 何かいるの?」
「どうした?」
イリアが異変を察して走ってくる。
そのとき、アイカが私を突き飛ばすように飛び跳ねた。
その瞬間、今までいた地面が抉れ、土煙が上がった。
「アイカ?!」
遅れて、凄まじい魔導圧を感知した。
「バウバウバウッ!!」
「ヴェーラ! 木の影に!」
鳥の鳴き声が止み、一斉に飛び立った。
反射的に木の影に飛び込み、頭を抱えてうずくまる。
「ッ!!」
次いで隠れた木に衝撃音が連続して走り、木の表皮が弾け飛ぶ。
木の側面を深く抉り、焦げた匂いが鼻を刺した。
「魔導銃だ……ライフルで……」
イリアも私のいる木の影に走ってきた。
——何が、起きた……?
背中に寄りかかった木が弾ける感覚。
さらに何発か木に着弾した。
頭を抱えてうずくまる。
撃たれた? 軍の魔導師……?
呼吸がうまくできない。
大きく陥没した地面を見る。
——アイカがいなければ、頭を撃ち抜かれていた?
遅れて状況を理解してきた。
「消えた……?」
「ヴェーラ! 大丈夫か?」
イリアは私をかばうように木の後ろにしゃがみ込んだ。
もう魔導は感知できなかった。
それと同時に本部棟の建物から、いくつかの大きな魔導を感知した。
「警備の魔導師がくる。それまでここで隠れているんだ」
「……アイカは?」
「くうん」
アイカが薮の中から顔を出した。
「良かった……ありがとう……」
アイカの頭に抱きついて、顔を上げた。
木の影で、イリアとアイカとともに身を隠す。
固まったように、みんな動けなかった。
「……魔導警報が、鳴らなかった」
「……軍、ですか?」
イリアは首を振った。
「軍の人間とは、考えにくい……」
まさか、私を殺して強制的に所長を軍に戻す?
「……そうですよね」
でも、本当にそうだろうか。
「……いくら所長を軍に戻したいと言っても」
「そうだな……もう一つの可能性……」
金属音を上げて、魔導車がこちらに向かってきていた。
それに手を振りながら、イリアはつぶやいた。
「あの魔導陣を抉った……犯人?」
背中が震えてきたのは、冷えた汗か恐怖か分からなかった。
——悪魔化した魔獣に強制契約ができる魔導師の存在は、バレてると思った方がいい……
いつかの所長の言葉が思い出される。
「何が、あった?」
魔導車から警備の魔導師が降りてきた。
召喚魔導師の紋章をつけている。
「大きな魔導反応があったが……」
木に穿たれた弾痕を触り、召喚魔導師は魔導陣を開いた。
木の精霊に呼びかける低い詠唱が響いた。
「これは、魔導ライフル……通常弾だ……爆裂型だったら吹き飛んでいた」
契約局の林の中、新緑が茂り奥まで見渡せなかった。
「……どこから狙ったと思う?」
イリアが警備の魔導師に声をかけた。
「風に聞いてみる」
召喚魔導師が詠唱を唱えると、冷たい風が落ち葉を巻き上げた。
その左手に風が渦を巻く。
「敷地内ではない。もういない」
それで、魔導警報が鳴らなかった?
「それだけ遠いと爆裂弾では、届かないな」
イリアが納得したように頷いた。
「でも、誰がこんなことを」
「……そんなことが出来るのは、干渉魔導師くらいしか……」
アイカに直前まで気づかれず魔導反応もない。
世の理、元素に干渉する魔導師……
「……分からない」
警備の魔導師が首を振った。
「どこから撃った?」
「林の向こうは、丘の上の貴族街だ」
「……貴族の仕業?」
イリアと警備魔導師が深刻な顔になる。
「魔導警報も鳴らなかった。いずれにしろ、もうここでアイカの訓練はできない」
「くうん」
「……はい」
「四六時中、アイカと過ごせ」
その言葉に顔が上がる。
「え? ……寮の部屋に入れてもいいんですか?」
「やむを得ない。犬舎への送り迎えは避けた方がいい」
警備の魔導師が集まってきた。
事情を聞かれたが、私たちには判断がつかない。
ただ一週間前に感じた魔導と酷似していたことは伝えた。
始業を知らせる鐘が鳴った。
「このまま行くぞ。ローブでなくてもいい」
「イリア師。我々は狙撃手の捜索を続ける」
警備の魔導師が相談をしている。
最初に来た警備魔導師はそう言うと、林の奥に向かっていった。
「気をつけてください……」
「ヴェーラ。行こう」
私たちはアイカを連れて、契約局本部に向かった。
すでに朝礼は終わって局員は出払っている。
その狙撃の知らせは、パーヴェルにも届いていた。
一部始終をイリアは、パーヴェルに伝える。
「ここも、安全ではないな」
「どうしたら、いいですか?」
パーヴェルはうなずいた。
「緊急事態だ。部員は捜索にあたっている」
「……これから、どうすれば?」
パーヴェルは首を振った。
「イリアとアイカと一緒にいろ」
「……はい」
「と言っても、ここにいても仕方がない」
イリアはため息をついた。
「ヴェーラ。予定通り射撃訓練に行くぞ」
「はい」
イリアの表情は厳しい。
私たちはアイカを連れて射撃場に向かう。
「早く、魔導銃に慣れてもらったほうがいい」
「……はい」
「アイカとの訓練のときと魔導の流し方は同じだ」
「はい」
資材部は警備強化のために魔導師が集まっていた。
セレブロが魔導銃と魔導弾をさばいている。
「ヴェーラ師。無事で良かった」
私たちに気がつくとセレブロが声をかけてきた。
「狙撃の話、聞いている。誰の仕業だと思う?」
「見当もつかないね。……例のものは届いてるか?」
「訓練? 今からか?」
頷いたイリアに、セレブロはため息をついた。
「軍から取り寄せてある」
セレブロはカウンターから皮の頭巾のようなものを取り出した。
「ありがとう」
イリアは軍用犬の防音イヤーマフを受け取る。
「これで大丈夫だ」
アイカの頭にイヤーマフを被せると、ぴったりと耳が隠れた。
「くうん」
「アイカ、頼むぞ」
「ハッハッハ」
「射撃場にいた方が、安全だ」
「……はい」
緊張感の中で、射撃訓練が始まった。
魔導を流しすぎないように魔導銃を構える。
「バウバウッ!」
「……ッ」
狙われたばかりで、照準はぶれる。
頭を撃ち抜かれる嫌な想像が頭に浮かぶ。
銃を構えると、魔導の流れが不安定になるのを感じた。
そのたびにアイカが吠えて知らせる。
「ありがとう。アイカ」
深呼吸をして魔導の流れを調節する。
「よし、その調子」
ターゲット板には当たらなかったが、暴発することなく弾は飛び出していく。
しばらくすると徐々に当たるようになってきた。
私が外で、できることはない。
また狙われる可能性もある。
今は、訓練するしかない。
「だいぶ、慣れたな」
「はい」
「だが、まだヴェーラには銃は持たせられない」
「……はい」
さっきの狙撃を思い出す。
もしまた、あの犯人と遭遇しても、当たるとは思えなかった。
催涙弾でも、魔導を流しすぎて暴発したら何が起きるか分からない。
アイカがピクリと顔を上げた。
低い姿勢を取り、唸り出した。
「アイカ……?」
そのとき、館内放送からけたたましいベルが鳴り響いた。
『緊急事態発生! 緊急事態! 繰り返す。魔獣の悪魔化を感知……緊急事態発生!』




