30話 相棒
翌朝は元気を取り戻していたが、左手の違和感はまだ残っていた。
魔導医は私に魔導陣を開いて見せ、「もう問題ないです」と言った。
「これからは過集中を避けること、疲れたらこの魔導素を安定させる薬を飲むこと」
と薬の処方をしてくれた。
——あの苦い薬湯だ……
「お湯に溶かして、空腹時に飲むこと。いいですね?」
「はい」
身支度を整えると、医務室の外でパーヴェルが待っていた。
「ヴェーラ……心配したぞ。先生から聞いた。もう通常業務でいいそうだ」
「ありがとうございます」
パーヴェルは首を振った。
「また、ドミトリのやつにドヤされる」
「所長には、言わないでください」
「あいつは地獄耳だからな。ヴェーラのこととなると、どこからか嗅ぎつける」
からかうような口ぶりに思わず声が大きくなった。
「……それ違いますっ!」
パーヴェルは笑った。
——封印のためだから……
パーヴェルは真面目な顔にすぐに戻った。
「そうは言っても、無理はするな」
「はい」
「今日は、射撃訓練はできない。野良魔獣捕獲も休め」
「……分かりました」
「その代わり、今日はヴェーラにちょっとした贈り物がある」
「え!?」
——なんだろう?
胸が高鳴る。
本部棟の一階にある医務室を出る。
九時始業の少し前、局員が慌ただしく行き来している。
パーヴェルと並んで特別契約執行部に向かった。
「……通常弾が、爆裂魔導弾以上の威力を出したらしい」
「それで……射撃場が一週間、補修工事に入るのか」
「すごい音だったもんな……」
「どんだけ、魔導を込めたんだ?」
「……あれ、人に向けたら終わりだぞ」
特別契約執行部の建物に入ると、一斉に部員の目がこちらを向いた。
ざわめきが一瞬で止んだ。
「おはようございます」
「お、おはよう」
部員が慌てて挨拶を交わす。
「……」
もう噂になってる……
所長の耳に届くのも時間の問題だと思うと、頭が痛かった。
私がデスクに着くと、朝礼が始まった。
「……というわけで、イリアとヴェーラ以外は、通常通り」
「「よき契約を」」
部員がせわしなく外に出ていった。
隣のイリアがほっとしたように声をかけてきた。
「ヴェーラ師。無事で良かった」
「イリア師、昨日はご心配をおかけしました」
「ヴェーラには、早すぎた。済まん」
そこでパーヴェルが顔を出して言った。
「イリア師。まあ、いつかはやることになる。早いか遅いかだ」
そして話を続ける。
「昨日の魔狼は、解析局から太鼓判を押された。二重の悪魔化防止魔導陣に、大層驚いていたそうだ」
「良かった……」
「午後にでも、二人で放ちに行ってくれ」
「了解」
「それで、ヴェーラ。今からいいか?」
「はい」
「では、部長」
イリアは私を連れて、魔獣管理棟に向かった。
受付の事務員が私たちを見て、笑顔を見せた。
「ああイリア師、準備しています」
「ありがとう」
私とイリアは魔導部屋に通された。
私には、予感があった。
やがてドアがノックされると、魔導師に連れられた魔犬が入ってきた。
——ライカ犬だ……
オオカミのような精悍な面構え、黒白の毛並み、大柄で頑丈そうな体格。
「ヴェーラ。軍用魔犬を一頭融通してもらった」
「!!」
「護衛兼索敵に使う」
「ありがとうございます」
「ハッハッハッ」
「暴走したときに止める役でもある」
「……」
ライカ犬は私を見た。
私は微笑んだ。
「ヴェーラ、君が従順契約を上書きするんだ」
「はい」
ライカ犬は魔導部屋の中央で伏せをした。
「名前はなんというのですか?」
「ヴォルグー23号だ。好きに決めていい」
魔導師は肩をすくめた。
私は少し考えた。
懐かしい故郷で、森の中でそりを引くライカ犬を思い出した。
——アイカ。……森の子。
「アイカ。よろしくね」
「ハッハッハ」
「アイカか……いいな。よろしく」
イリアが微笑んでうなずいた。
「じゃ、アイカ、いくよ」
私は左手に魔導を通した。
するとアイカがびくっとして、私の左手をじっと見た。
そして、低く唸る。
はっとした。
——昨日のように、流しすぎるな。
そういえば、いつも集中しすぎていた。
失敗続きだったから、つい必要以上に力を入れていたんだ……
——リラックスだ。
私は深呼吸をした。
《一つ、来たれ、名を呼びし者に従え、ヴェーラの名において従順の契約を行う》
左手がいつもより滑らかに文言を刻んでいく。
「一つ、生地を薄く広げ、黄金の輪を描くまで、焼き上げよ」
詠唱すると香ばしい甘い匂いが部屋に漂った。
文言が魔導陣に焼きついていく。
「くうん」
アイカが私を見つめた。
「よし、これでアイカのハンドラーはヴェーラになった」
「はい」
「では、ハンドラーとしての仕事を伝える」
魔獣管理部の魔導師が話し出した。
「朝は、六時。健康確認、排泄、朝食、グルーミングだ」
「はい」
「そのあと、始業まで訓練だ。同期を強化していく」
「……はい」
「昼からは二時間、アイカの休息。午後からは応用訓練だ」
「魔獣捕獲の際には、同行する」
イリアが口を挟む。
「終業後も、夜間の訓練だ」
「……」
夜も?
「二十二時には、犬舎に戻って休む」
「……はい」
「これが毎日の日課だ」
「……」
これは、大変だ……
誰も魔犬を連れていない理由が分かった。
でも、私の命とイリアの安全も守ってくれる存在だ。
「アイカ、よろしく」
「ワン!」
「午後から、魔狼を放ちに行く。それまでアイカの訓練の仕方を学べ」
「はい」
私たちは広い契約局の敷地にある林に向かった。
従順契約をして軍で訓練はしているとはいえ、アイカとの絆をこれから築いていかなければならない。
「まずは遊びからだ」
ぬいぐるみとご褒美のジャーキーの袋を渡される。
「アイカ! 行け!」
私はぬいぐるみを投げた。
数メールト先にぽとりと落ちる。
アイカは一瞬で飛び出し、ぬいぐるみをくわえて私の足元に戻ってきた。
ピタリと座って、私を見上げる。
「くうん……」
物足りないという顔をする。
「ヴェーラ師の体力もつくな」
イリアが後方で腕組みをしながら苦笑した。
魔犬を使役するのは大変だ……
「行け! アイカ!」
「ワン!」
——この子なら、きっと私を止めてくれる。
さっき魔導を通したときに、唸ったアイカを思い出した。
私の魔導を制御するには——
でも、それだけでは足りない。




