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契約魔導師のレシピ帖  作者: タキ マサト
二章 シルニキの拘束

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29話 鍵

 射撃訓練が終わると、イリアが午後の予定を告げた。


「午後は、昨日の連中が捕まえてきた魔狼の悪魔化防止の魔導陣をかける」

「魔狼……?」

「そうだ。六人がかりだったそうだ」

「駆除はしないんですか?」

「若い個体だ。繁殖すれば、悪魔化を防げる」


 イリアと並んで本部の食堂に向かう。


「ヴェーラには、連唱をしてもらう」

「!!」

「俺と合わせてもらう」

「……はい」


 大丈夫だろうか……

 また詠唱が、レシピになったらイリア師は合わせられるだろうか?


「最初は見学からと思ったが、さっきの魔導銃の威力を見て、気が変わった」


 イリアは私の不安に気が付かないように話し始めた。


「部長からも、悪魔化防止の強化は、早いほうが良いと言われている」

「……はい」


 私の謎の魔導陣がかけられれば、抉られる可能性は低くなるはず。


「分かりました」

「それが、終わったら——」

「終わったら?」


 イリアはふっと笑った。


「それは、そのときのお楽しみだ」

「?」

「お前向けに用意されたやつだ」


 食堂に着くと、ブッターブロートとシャシリクを注文した。


「ヴェーラ師。食えるのか?」


 イリアが驚いた顔をした。


「所長……ドミトリ師に、肉を食えと言われているんです」

「それはそれは」


 イリアは肩をすくめた。

 シャシリクにかぶりつく。


 悪魔化禁止を破った犯人と、もし遭遇したら……

 今の私では、太刀打ちできない。


——肉を食え……


 所長の声が懐かしく思い出された。


 はい、食べてます。


 シャシリクを無理やり詰め込んだ。


 午後は、魔獣管理部の魔導部屋に行く。

 

「ヴェーラ師。ここの魔導部屋は、魔族への強制契約部屋と同じ作りになっている」

「はい」


 部屋に入ると、床に魔導陣が刻まれているのに気がついた。


「ここでは悪魔化禁止以外の魔導はかけない」


 魔狼は低い唸り声を上げていた。

 魔導灯の薄暗い照明が、影を落とす。


「ヴェーラ師。いくぞ」

「はい!」


《一つ、悪魔化しない》


 文言はそれだけ。

 しかし、開いた魔導陣がその場で霧散した。


「魔導抵抗がすごいだろう。ヴェーラ師、極限まで魔導を研ぎ澄ますんだ」

「はい」


 私はまた魔導を左手に通し、魔導陣を開く。

 文言を刻む指が、びりびりと痺れた。


「くっ……」


 文言が少ない理由が、初めて分かった。

 一文字刻むごとに、体中から魔導が根こそぎ吸い取られるような気がした。


 さらに体の中の魔導を、絞るようにして左手に集める。

 体の中を魔導が流れる感覚が、研ぎ澄まされていく。


「……え?」


 いつもと違う。


 魔導が、外ではなく内側に沈んでいく。

 精神に刻まれた魔導の源流が、記憶の底から蘇っていく。


——あれは、エフロシーニャ師……?


 懐かしい師の書斎……


 それは記憶の断片が薄れるように、ふっと頭から消えた。


 一つ深呼吸をすると、最後の一文字を刻んだ。


「刻めました……」

「よし! 連唱だ」


 その様子を見ていたイリアが向かいで魔導陣を開いた。

 

「「一つ、悪魔化しない」」


 ばちばちと音を立てて、魔狼の体に二つの魔導陣が刻まれていく。

 匂いがしなかった。


——レシピじゃない?


「あっ……」


 目の前が真っ暗になった。

 体を駆け巡っていた魔導の流れが途絶えた気がした。

 意識が薄れていく。


 体が柔らかい布地に触れた。

 かすかにイリアの匂いがした。


——私、抱っこされてる……


「ヴェーラ……よく頑張ったね」


 記憶の底でエフロシーニャ師のしわくちゃの笑顔が浮かんだ。


——老師……


 ふわふわと心地よい揺れの中で、意識を失っていった。




 


  *






「ヴェーラ……」


 エフロシーニャ師の書斎。

 羊皮紙と古ぼけた魔導書の懐かしい匂い。


「……老師」


 懐かしさで目頭が熱くなる。

 私の目の前のテーブルに魔導係数測定機があった。


 十二歳で初めて魔導係数を測ったときだ。


「……11.2ということに……しておきましょう」


——しておきましょう? 本当は、違うの……?


 でも、そんな記憶はなかった。


 私の背後に誰かの気配があった。

 魔導師のローブを着た誰かがいた。


 老師はその誰かと話をしている。

 後ろから冷たい男の声が響いた。


「……大丈夫なのか?」


 そうだ、誰かあのときにいた。


 私は振り返った。

 だけど、はるか上にあるその顔は、ぼやけて見えない。


「……鍵をかけます」


——鍵……?


「魔導陣ではありません。この地方に伝わる、まじないの一つです」

「まじない……?」


 そうだ、あのとき師は私に何かをした……


「……ならば、学院への入学は、問題ないな?」


 後ろから男の声が響いた。


「ええ。制御を学ばなければなりません」


 私の向かいのソファに腰掛ける師の手に、何かが光った。


「ヴェーラ……」


 師の声は、どこまでも優しかった。


「制御ができたとき、開錠できるでしょう……」


 そこで私の記憶は途切れた。




    ・

    ・

    ・


    ・



 何か夢を見ていた。


 けど、思い出そうとすると頭の中が疼いて、思わず声が出てしまう。


「ヴェーラ……起きたか」

「……イリア師? ここは?」


 私は寝台の上で身を起こした。

 消毒薬と薬草の匂いがつんと鼻を刺した。


「ヴェーラ師。まだ無理はしないで」


 私の枕元に、回復魔導師の紋章をつけた女性魔導師がいた。


 魔導医……じゃ、ここは医務室?


「まだ、魔導の流れが不安定です」

「……魔狼は? っ……!」


 左手の疼きが襲ってきた。


「ヴェーラ師、深呼吸をして、魔導を体全体に流して」

「はい……」


 目を閉じて全身の力を抜くと、左手の痛みが和らいできた。


「魔狼は無事、悪魔化阻止ができた……」


 イリアは部屋の隅の椅子に、腰掛けていた。


「ヴェーラなら、行けると思った。部長から大目玉だな、これは」


 でも、ほっとしたようにそう言った。


「では、先生。よろしくお願いします」

「今晩は、こちらで経過観察をします」

「ヴェーラ……済まない」

「イリア師……」


 イリアは頭を下げて病室を出ていった。

 もう窓の外は、真っ暗だった。


「一過性の魔導素低下症です」

「……はい」

「悪魔化禁止の魔導に、必要以上に魔導素を使いましたね」


 魔導銃の訓練でも、そうだ……

 あの大きな弾痕を思い出した。


「……制御って、どうやったら、できるんですか?」


 ふと声に出た。

 何か夢の中で、そのような言葉が出てきたような気がした。


「……魔導の制御ですか?」


 魔導医は困惑した声を出した。


「人は、持っている魔導素以上のものを出せません」


 そして考え込んだ。


「無理をしすぎたのです」

「……でも、魔導銃が暴発した」

「……」

「あれは制御できなかったからでは、ないのですか?」

「ご存じでしょうが……」


 魔導医はゆっくりと言い聞かせるように話し出した。


「……魔導係数はあくまで、平均値です」

「はい」

「ヴェーラ師は、一点突破型です。一瞬にして大量の魔導素を出し切ったのです」

「……」

「制御というならば、過集中が原因かもしれません」


 悪魔化した魔狼、魔熊、今回の悪魔化禁止の魔導陣……


 そのときの詠唱はレシピじゃなかった。

 匂いがしなかったから、分かる。


 体が動かなくなったのも同じ。


 所長に背負われた魔狼のときも……

 さっきはイリアが抱っこして運んでくれた。


 それを思い出すと、顔が赤くなった。


 でも……


——鍵……?


 なぜだか、その単語が頭に残っている。


「今後、魔導素欠乏によるショックを起こす可能性があります」

「……はい」

「薬を飲んで一晩寝れば、魔導素の流れは落ち着くでしょう」

「……分かりました」

「リラックスですよ。ヴェーラ師」

「……はい」


 私は苦い薬湯を飲まされた。

 でも、飲みきって寝台に横たわると体の奥から温まってくるのを感じた。

 左手の痛みも楽になっていた。


 それと同時に眠気が襲ってくる。

 あくびが出る。


「ヴェーラ師、お休みなさい」


 そういえば、さっき気を失っていたときに、懐かしいエフロシーニャ師の夢を見たような気がした。


 師だったら、制御の仕方について何かわかるだろうか?


 でも、疲れがそれ以上の思考を妨げた。


——鍵……


 その言葉だけが、まどろみの中に落ちていった。



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