3話 南方の蛮族
その日、事務所に出勤するとドミトリは珍しく笑顔を見せた。
その笑顔に嫌な予感がする。
「ヴェーラ。大型の依頼だ」
ドミトリは封書を私に見せた。
——大型の依頼……?
期待と不安が胸を駆け巡る。
「南方の蛮族案件だ」
「……また、南部の街が襲われたんですか?」
魔獣に乗った蛮族に南部の諸郡は、たびたび侵略を受けていた。
南部の穀倉地帯は略奪と虐殺にあい、怯える日々を過ごしていた。
「そうだ。蛮族の奴隷契約だ」
そう言ってドミトリは新聞を放り投げた。
「手に負えないらしい」
「手に負えない……? 大手の事務所だったら、上級の契約魔導師もいるのに?」
「数が多い」
私はため息をついた。
蛮族は殺してしまうと乗っていた魔獣が悪魔化して、さらに被害が大きくなる。
必然、捕まえて奴隷にするしかなかった。
「レオニードはよくやってはいるが……」
雲の上の干渉魔導師の名を、ドミトリは軽く呼び捨てにした。
ドミトリは首を振って、話を戻した。
「契約局の留置所に王都中の契約魔導師が呼ばれている」
「そんなにたくさん、蛮族が……」
「うちにも声がかかった」
私は唾を飲み込んだ。
身の丈二メールトを越える巨体。
全身に魔導陣を刻み込んだ、生まれながらの戦士。
それが、大量にいる?
——想像しただけで、背筋が冷えた。
私たちは魔導バスに乗って、契約局に向かった。
研修以来のあの場所だった。
所長と並んで歩くと、まるで大人と子どもほどの体格差があった。
街ゆく人々がその珍しい取り合わせに振り向く。
「よおドミトリ! 久しいな! シャバはいいだろ?」
「のんびりしてるよ」
契約局に着くと、年季の入ったローブをまとった魔導師が声をかけてきた。
「お前が軍を辞めることができたって聞いて、みんな驚いてる」
その男はため息をついた。
「優秀な契約魔導師がいるんでね」
そう言って所長は私を見た。
ドミトリの友人はうろんな目で私を見た。
「まさか、こちらのお嬢さんが封じたとか言わんでくれよ」
ドミトリは意味ありげに笑った。
「嘘だろ……」
男は天を仰いだ。
「学院同期の出世頭だったのにな」
「ご期待に添えず、悪かったな」
「まあ、いろいろあるわな」
その同期の男は契約局の上級魔導師の紋章を提げていた。
「留置所B棟だ、頼むよ」
そう言って疲れた顔を見せる。
そのとき、魔導バスが敷地に入ってきた。
「また蛮族が二十人来た……」
「お疲れだな……」
その後ろからもう一台。
「四十人に訂正だ」
男は首を振って目を閉じた。
「ヴェーラはまだ奴隷の契約はしたことがなかったな?」
「見学だけです」
私は脳裏にそのときの魔導陣を呼び起こした。
「幻惑魔導師の集団催眠がかかっている」
「はい」
「そこに上書きする」
「はい」
「あとから奴隷契約が解けたら、大惨事だ」
「……はい」
「だから、解析魔導師がそのあとチェックをする」
「はい」
「ヴェーラは五人でいい」
「……はい」
五人も……体力、持つかな?
不安な気持ちで、所長の大きな背中を見上げた。
B棟に着くと中は熱気に満ちていた。
こんなにたくさんの魔導師をいっぺんに見るのは初めてだった。
「魔導部屋はもういっぱいだ」
受付の事務員がメガネを上げた。
魔導電話が鳴り続けている。
「今日はあと二台来る!」
「車内で待機させておけ」
「催眠が切れるまで、あと何時間だ!?」
奥のデスクでは書類の山が積み重なっているのが見えた。
事務員が慌ただしく走り回っている。
「……こういうことってよくあるんですか?」
私は不安になった。
「よくあってたまるか」
受付は毒づいた。
「さあ、早く。地下二階の留置部屋……二〇六だ」
そう言って事務員は鍵を出した。
「大部屋だ。十五人いる。頼む」
「分かった」
ドミトリは鍵を受け取った。
「今日は拘束契約、蛮族の魔導陣の契約解除だけでいい」
事務員が早口で伝える。
「もうすぐ、催眠が切れる」
私はその二つの魔導陣を即座に脳裏に展開する。
学院最後の二年間は十科目数千の魔導陣を暗記するのだ。
二〇六号室につくと部屋の前に事務員が待っていた。
「ああ、やっと来た。この部屋は、あと一時間で催眠魔導が切れます」
「それは大変だ。急がないとな」
ドミトリはのんびりした声で言った。
「一時間で十五人です!」
事務員の顔は焦燥の色が濃かった。
「二人でやれば、間に合う」
「はい!」
扉の魔導陣をドミトリは左手で解除しながら、鍵を差し込んだ。
「同時に行くぞ。ヴェーラは五人。俺が十人やる」
「はい!」
大部屋に入ると蛮族たちが目を閉じて寝転がっていた。
刺青のような魔導陣が全身に入っている。
目につくだけでも、体力付与、肉体強化、魔導防御の陣がかかっている。
私は目を閉じて首を振った。
——これ全部を、解除するの?
「催眠魔導陣に上書きだ」
「そうでした」
ドミトリの言葉に我に返る。
左手に魔導を通す。
展開した催眠魔導陣に文言を上書きしていく。
殴り書きされた催眠魔導陣は薄れてきていた。
《一つ、ヴェーラの名においてこの者の魔導陣契約を解除する》
続けてもう一つの魔導陣を展開する。
《一つ、この獣の身柄をヴェーラの名において拘束する》
魔導陣を刻む指の震えはもうない。
この半年、幾多の魔獣との契約が自信となっていた。
そして詠唱。
魔獣との契約で今まで一度も失敗はなかった。
「一つ、りんごを刻み、甘い衣をまとわせよ、型に流しふんわり焼き上がったら、おいしく召し上がれ!(一つ、ヴェーラの名においてこの者の魔導陣契約を、解除する)」
私の詠唱が魔導陣に効果を及ぼしていく。
甘い匂いとともに蛮族の全身の魔導陣が薄れて消えていく。
「詠唱が、シャルロートカ(リンゴケーキ)のレシピ……?」
私が詠唱を始めると、背後で事務員がごくりと喉を鳴らした。
——またかと思う。
「その詠唱で魔導陣が、なぜ消える……?」
消えるのだから仕方がない。
ちゃんと一字一句、刻んだ文言をそのまま詠唱している。
「一つ、チーズと粉を合わせて丸め、弱火で両面を黄金に焼き上げよ!(一つ、この者の身柄の拘束をヴェーラの名において契約する)」
「シルニキ(カッテージチーズのもちもち焼き)……」
向かいで魔導陣を展開していたドミトリの片頬が緩んだ。
私は必死だった。
もし催眠魔導が切れたらと思うと、気が気でなかった。
息が乱れる。
集中して左手から魔導を陣に流し続ける。
通常なら、一人に十五分はかかる魔導陣。
でも、時間はかけられない。
今までにないくらい速度を上げていく。
声が枯れてくる。
指先が痺れてくる。
詠唱のたびに、蛮族の魔導陣は消えていく。
「最後の一人……」
「あと十分です!!」
事務員の悲痛な叫びが上がった。
私が一人の蛮族の魔導陣を展開する間に、所長は二人を終わらせていた。
最後の一人の催眠魔導陣を開いて、息を飲んだ。
その一際巨体の蛮族の催眠は、切れかかっていた。
蛮族のその目が薄く開く。
意味の分からない言葉が、その口から紡ぎ出される。
——魔導だ……詠唱……
早く、早く魔導陣を刻まなければ。
指先の動きを速める。
でも、不完全だったら……
蛮族の体に刻まれた魔導陣が、その詠唱に反応しだした。
事務員が後ずさる。
魔導を流し続けた腕は悲鳴を上げていた。
よし! 魔導陣解除の最後の詠唱。
「一つ、りんごを刻み、甘い衣をまとわせよ、型に流しふんわり焼き上げりょッ!!」
りょ?
噛んだ!
「おいしく召しあぎゃれ!!」
また、噛んだ……!!
いつもこうだ。
甘い匂いが漂う中、意識が遠くなっていく。
蛮族の頭がゆっくり持ち上がる。
その目が開く。
喉の奥から響く詠唱の言葉が室内に満ちていく。
「ヴェーラ! 早く、拘束の封印を!」
ドミトリの声が、初めて緊張を帯びた。




