23話 厄介なこと
その日、契約局に着いたのは夕方だった。
魔導車から転がり落ちるように降りた。
お腹は、もうぺこぺこ。
魔導車の中はずっと沈黙だった。
心身ともに疲れはもう限界。
それでもイリアは、魔獣管理部に魔狐を運ぶという。
ふらつく頭でついていく。
「イリア師。聞いたぞ。魔熊が出たんだってな?」
「ああ。死ぬかと思った」
「……相棒は大変だったからな」
「ああ」
イリアは口数は少ない。
魔獣管理部の契約魔導師の男が顔をしかめて、泥で汚れた私を見た。
「こちらは?」
「例のヴェーラ印だ」
「本日付で特別契約執行部に配属されました。ヴェーラです。よろしくお願いします」
「ああ。よろしく」
男は袋から魔狐を出して、魔導陣を確認する。
「確かに……この魔狐もヴェーラ印だな。明日、……悪魔化禁止をかける」
「その後、また放ちに行く。まだ魔獣はあそこにいるからな」
「このヴェーラ印の魔導陣、普通じゃない。……見たことがない」
男は書類にサインをしながら、声をひそめた。
「……まさか魔熊も、ヴェーラ師が拘束したのか?」
「そうだ」
まじまじと男は私を見た。
「あんた、すごいな」
「いえ、私のはすぐに薄れて……」
「普通、弾かれる」
イリアが冷静に指摘する。
男は、初めて笑顔を見せた。
「軍も探していた魔熊だったそうだ。お手柄だったな」
「あ、ありがとうございます」
次にイリアは、管理棟の資材部に行くという。
「魔導銃を使ったからな」
「……はい」
「ヴェーラ師にも訓練してもらうことになる」
「……はい?」
イリアの足は早い。
すぐに遅れる。
——魔導銃の訓練?
私が……?
でも干渉魔導師になれば、必須だ。
「魔導車のライセンスも……ヴェーラ師、早く来い」
「はい……」
資材部の武器庫には、魔導銃と弾丸が各種取り揃えてあった。
「魔導素中和弾が役に立った」
イリアは資材部の受付で言った。
「ここに使用弾数と補充を記入するんだ」
「はい」
「催涙魔導弾は使わなかったのか?」
武器庫に行くと魔導師が声をかけてきた。
刻印魔導師の紋章をつけた男は、書類を見ながら言った。
「あの魔熊には効かなかった」
「そうだったな……それにしても、魔導素中和魔導弾とは」
「ヴェーラ師にも、魔導銃を準備しておいてくれ」
「分かった。リボルバーでいいか?」
「セミオートの方がいいだろう。取り回しやすい」
私の困惑をお構いなしに二人は決めていく。
魔導銃が必要な現場なんて、聞いていない。
——そりゃ、魔熊が出たけど……
契約魔導師事務所で働くのが危険だから、契約局に来たのではないの?
「魔狼も出る可能性がある。足止め出来る弾はないか?」
「催涙魔導弾じゃダメか?」
「風下では使えない……」
魔狼も出る?
あの悪魔化した魔狼を思い出して背筋が凍った。
そのとき、イリアが話し始めた。
「催涙魔導弾では、拒絶反応の高い個体には効果がない。魔熊はもちろん、素早い魔狼には十分に吸わせられないことも一因だ。拘束魔導をかける前に噛みつかれる公算が高いだろう。かと言って殺傷能力が高い弾で一撃で葬り去ることが出来なければ、悪魔化する恐れもある。理想を言えば傷をつけずに足止めをして、魔導陣を展開する時間を作るだけでいい。そのためには——」
「ふーむ、ならば視覚を奪うか……弾に闇魔導でも刻んでみるか……」
二人は新しい魔導弾の相談をし始めた。
——でも、魔狼だったら……
そもそも所長とだったら、連唱で魔熊くらい拘束できたと思う。
イリアとも、そうなれる……?
その自信はまったくなかった。
所長……私、所長に会いたいです。
あのときの悪魔化した魔狼のように……
そこで、はっと気がついた。
「あのう、あの……魔犬を使ったらどうでしょうか?」
二人は私を見た。
「軍用魔犬か……」
「鼻が効くな。エンカウントを避けられる」
刻印魔導師がうなずいた。
「降りるかは分からんが、申請はしてみよう」
イリアが同意した。
「だが、それとは別に魔導銃もあった方が良い」
「はい……」
「ヴェーラ師。自分を守る手段が必要だ」
一気に緊張が走る。
「……はい」
自分で自分の身を守らなければならない。
そのためには魔導車のライセンスも必要。
四六時中、誰かに守ってもらうなんて、そんなのは虫が良い話だ。
「分かりました」
そのとき、終業を告げる鐘が鳴った。
「店じまいだ」
刻印魔導師の男が、肩をすくめた。
「セミオートと弾は、明日の昼には用意する」
特別契約執行部の本部に戻ると、パーヴェルが待っていた。
「ヴェーラ……初日から大変だったな……」
そして困ったように顔を曇らせた。
「さらに、ひどい頭になってるぞ」
「はい……部長……」
「今日は、もう上がりでいい。帰って休め」
イリアも声をかける。
「食堂には……その、シャワーを浴びてから行った方が良い」
「ありがとう……ございます」
私はようやく解放された。
部屋に戻りシャワーを浴びる。
初日から遅刻ギリギリ。
魔熊との遭遇。
そして、あのバディ、イリア。
悪い人ではなさそうで安心したけど……
さっぱりとして新しいローブをまとった。
本部棟の地下の食堂が開いていると聞いていた。
朝から何も食べてない。
食堂で、カーシャと少し考えてシャシリクを注文した。
——肉を食え。
所長の声が思い出される。
あの休日のグリルバーが遠い昔のようだった。
でも、まだ一週間も経っていない。
「はいよ。カーシャとシャシリク、お待ち」
シャシリクは街の食堂の倍の大きさがあった。
トレーに乗せて隅っこのテーブルに座る。
カーシャをすすり、シャシリクにかぶりついているとき、パーヴェルが目の前に立った。
「ここ、いいか?」
「ふぁッ?!」
慌ててシャシリクから手を離す。
パーヴェルはトレーにブッターブロートとカフェを乗せていた。
「ここのシャシリクは、デカいだろ?」
ニヤニヤして言う。
「肉体労働だからな」
「はい……」
クリーツァ・グリールにすれば良かった。
カーシャをすすった。
「魔熊の件、聞いた……危ないところだった」
「はい」
パーヴェルはため息をついた。
「ドミトリのヤツに知られたら、ドヤされるところだ」
「伝えないで下さい」
パーヴェルは首をすくめた。
「危ない思いをさせて悪かった。だが、イリアはヴェーラのこと褒めてたぞ」
「……手抜きするな、と怒られました」
パーヴェルは、その言葉に真顔になった。
「短縮詠唱……」
そして、声をひそめた。
「あの例の謎の魔導陣。蛮族のヴェーラ印。悪魔化した魔獣への契約。そして今回の短縮詠唱……」
指折り数える。
「……」
「軍にこれ以上知られたら、厄介なことになる……」
「どこまで、知られているんですか……?」
パーヴェルはため息をついた。
「ドミトリを封印した魔導師としては、有名だ。短縮詠唱も直に知られると思った方がいい」
ほぼ全部、知られている……
「……そうですよね。どんな厄介なことになるんですか?」
パーヴェルは私に向き直った。
「ドミトリを軍に戻したい連中がいるらしい」
「……!」
「あと数ヶ月でヤツの封印が解ける……で、ヴェーラに再封印をされなければ?」
「干渉魔導が戻ったら、軍に戻らないと、いけなくなる……」
「そうだ。ヴェーラがいなくなればいいと、考える連中もいるということだ」
「!!」
手のスプーンを思わず落とした。
帰る場所が無くなってしまうどころではない。
——いなくなったらって……消される?
「だが、利用価値もある。軍としては、手元に置いておきたいだろう」
「私……どうなるんですか?」
「イリアがついているうちは大丈夫だ」
「……」
私の顔が曇ったのに気がついたのか、パーヴェルは続けた。
「魔導素中和弾なんて普段から持ってるのは、あいつくらいのものだ」
確かに魔導拒絶反応が高いままだったら、拘束魔導はかからず、今頃二人ともあの魔熊の腹の中だった。
パーヴェルは安心させるようにうなずいた。
そして、その目が光った。
「うちの局長を甘く見るな」
不敵に笑って、ブッターブロートを頬張った。
「軍が何を言おうが、あの人には敵わない」
——だけど、その軍が本気になったら?




