19話 引越し
解析局に向かう魔導バスの中で、マリーナからの封書を開いた。
マリーナの美しい筆跡が目に飛び込んでくる。
嫌な予感が胸を締め付ける。
『ヴェーラへ』
『なかなか会えなかったから。直接会って話したかったんだけど、どうしても伝えないといけないことがあるの』
あの事だ。
続きを読むのが、怖かった。
悪魔化した魔獣、増えている蛮族奴隷。
どっち?
『西部の件、少し分かったことがある。
最初はただの偶然と、思っていた。
だけど、最初に悪魔化した魔熊。
飼われていた個体だった』
魔熊を、飼っていた?
あの獰猛な魔熊を?
ありえない……
魔導拒絶反応は魔獣の中でも、かなり高いはず。
あれは契約できる代物じゃない。
そもそも捕まえることさえ困難。
一体、誰が?
『西部の街の契約魔導師事務所に取材をした。
契約魔導師が、数年前から何人も行方不明になってる。
もちろん新聞には出てない』
行方不明……?
『失踪した契約魔導師は、
いずれも悪魔化したペット魔獣に関わっている』
やはり何かが起こっている。
あの不気味な抉られた魔導陣を思いだす。
魔獣が悪魔化し、契約魔導師が消え——
さらに——
『南方の蛮族も調べた』
マリーナ……
『南部の蛮族の集落が、
いくつか、無人になってるという噂』
無人……?
『行商人から聞いたんだけど、
幻惑魔導師の部隊と南部ですれ違ったみたい』
集落ごと、蛮族を捕獲した……?
まさか……
『軍が関わってる』
その一文で血の気が引いた。
『気をつけて、ヴェーラ』
そこで文面は切れていた。
マリーナも……
もう、戻れないところまで踏み込んでいる。
そして、私も。
バスの窓に映る自分の顔が、青ざめていた。
*
解析局につくと受付で魔導陣記録を提出するように言われた。
「キリル主任は?」
「主任は、今は手が離せません」
本当に?
さっき読んだ手紙の内容が、頭から離れない。
ここも、無関係とは思えなかった。
「……分かりました」
魔狼の骸も解析局に運ばれたと聞いた。
あの魔猫も所長が運んだ魔犬の件もある。
ボルゾイも解析局に回されたはず。
忙しいのだろうけど。
なんだか肩透かしを食らった気分だった。
聞きたいことは、たくさんあったのに。
でも、午後からは引越しだ。
一度、部屋に戻りトランクに荷物を突っ込む。
私物は少ない。
数少ない私服と魔導師のローブ。
何冊かの魔導書。
一人分の食器と鍋。
大きなトランクと鞄一つにそれらは収まった。
マリーナに返事を書く。
急な契約局への異動、引越しのこと。
悪魔化した魔獣のことは、さすがに手紙には書けない。
スヴェトラーナのことを思い出す。
蛮族奴隷に関わったゾロトワ大佐の娘。
今頃、所長と二人きりで……
そう思うと胸が張り裂けそうになった。
ペンが止まる。
なんだか、愚痴になりそうでスヴェトラーナのことは書けなかった。
代わりに、無事を祈る言葉を書いた。
最後にマリーナに会いたいことを記し、宛名を書き魔導封をする。
もうすぐ契約局の魔導車のお迎えが来る予定になっている。
二年半過ごした狭い部屋を見回す。
窓ガラスを開ける。
屋根と壁の間から狭い空が見える。
下の路地に契約局の車が滑り込んでくるのが見えた。
最後にがらんとした部屋を見渡し、鍵をかける。
一階の管理人に鍵を返し日割りの家賃を払っていると、契約局の局員が顔を出した。
「ヴェーラ師。まず官舎に案内します」
「はい。よろしくお願いします」
明日から契約局の局員だ。
契約魔導局は山の手の麓にある。
他の魔導局も近くにある。
魔導学院と解析局は少し離れた林の中。
下町からは離れてしまう。
所長とも、あの事務所とも……
でも、また絶対に事務所に戻ってくる。
私は前を向いた。
魔導車は王都の中心街に入っていく。
しばらくして広い道、立派な石造りの建物が並ぶ区画に出た。
そのうちの一つの敷地に、魔導車は滑り込んだ。
「契約局の裏手に、官舎はあります」
案内された官舎の建物も立派な四階建だった。
部屋に通されると、アパートの四倍の広さはあった。
キッチン、リビング、寝室、書斎。
一人では、持て余す。
立ち尽くしていると部屋のドアがノックされた。
「はい、今出ます」
玄関のドアを開けるとそこにパーヴェルが立っていた。
「ようこそ! 契約局へ!」
「パーヴェルさん! あ、パーヴェル部長」
私はその顔を見てほっとした。
慌てて言い直す。
「ヴェーラ。良く来た」
パーヴェルは、人懐こい笑顔を見せた。
そういえば所長と同期で三十二歳で部長って、この人もすごい。
パーヴェルは相変わらず、年季の入ったローブを身にまとっている。
無精髭とボサボサの髪が、実際より老けて見える。
——それにしても、独り身なの……?
人のこととはいえ、心配になった。
「これから、お世話になります」
「こちらこそ、凄腕の契約魔導師に来てもらえるのはありがたい」
「凄腕なんて……でも、あまり良く思われていないんじゃ……?」
レシピ詠唱で、本来ありえない悪魔化した魔獣と契約した魔導師。
私もそんな噂を聞いたら、とんでもないペテン師と思うだろう。
「実力で黙らせてやれ」
そう言ってパーヴェルは片目をつぶった。
「俺が推薦したことになってる」
「はい」
パーヴェルは真顔になった。
「これから、局長に会ってもらわないといけない」
その声が低くなる。
「かなりの変わり者だ」
一瞬、マリーナの手紙が頭をよぎる。
すべての魔獣、蛮族との契約を把握している部署。
軍との関わりも密接。
そして、その”内側”にいる人物。
胸の奥で、警告が鳴り響いた。




