18話 別れ
食後のカフェが運ばれてきた。
二人とも何も話せなかった。
私の頭は混乱していた。
だから、所長は契約事務所を開いて、ペット魔獣を調べていた?
それで、所長の干渉魔導を封印したとき、あんなにほっとした顔をした。
ボルゾイのときも……
あの魔猫の抉られた魔導陣。
マリーナから聞いた、西部の増えている悪魔化した魔獣。
なのに、ペット魔獣が悪魔化したなんてニュースは聞いたことがない。
軍、各魔導局で隠蔽している?
偶然にしては多すぎる。
「外に行こうか」
「はい」
所長は立ち上がった。
私たちは並んでセレブリャンカ湖の波打ち際を歩いていた。
「気持ちいいですね」
「……ああ」
夕日が湖面に、二つの長い影を落とす。
きらきらと水面が輝き、銀色が黄金色に変わった。
「……許せないです」
「ああ」
「ヒョードルちゃん。あの魔猫。とても苦しんでた」
「……」
「あのおばあさんも。あんな人じゃなかった、きっと」
「……」
「あんなの放っておけない……」
所長が足を止めた。
「あの魔猫の犯人も同じですか? 所長が見た魔犬も?」
「……ヴェーラ。これは仕事じゃない」
所長は首を振った。
「奴は俺が追う。ヴェーラは……」
一瞬、言葉が途切れた。
「契約局で働いてもらうことになった」
「……え?」
今、何を言われたのか理解ができなかった。
「パーヴェルに打診した。快諾だったよ」
「でも、私の謎の魔導陣があれば、悪魔化した魔獣も拘束できます!」
所長はため息をついた。
「ヴェーラに何かあったら、俺の封印はどうなる?」
「それは……でも……」
離れたくない。
目頭が熱くなる。
「巻き込むつもりはない」
「……だけど」
私はうつむいた。
「ヴェーラには契約局で出来ることがある」
「私……やっと、契約魔導師としてやりがいが出てきたんです……」
そこで、声が途切れた。
「所長の事務所で、今まで通り働けませんか……?」
「危険すぎる」
「嫌です。行きません」
気づいたときには、そう言っていた。
「私も、一緒に……絶対に役に立ちます」
所長は答えなかった。
長い沈黙のあと、所長は言った。
「ヴェーラの魔導は特殊だ。奴は必ず気づく」
「……奴って、知ってるんですか?」
所長は首をふる。
「分からない。だが、悪魔化した魔獣を拘束できる契約魔導師の存在はもうバレてると思った方がいい……」
「……!」
背筋が冷えた。
パーヴェルの警告が想起される。
「躊躇いもなく、人にも魔導陣をかける奴だ」
「それって、あのおばあさん?」
「おそらく抉った奴と同じだろう」
あの不気味な魔導陣を思い出した。
あのおばあさんにかけられた、見たことのない魔導陣。
「あんな街中で魔獣が悪魔になったら、どうなると思う?」
想像もできなかった。
生まれる前、故郷で起きたという悪魔化した魔獣。
幸い悪魔になる前に駆除ができた。
だけど。
悪魔化から完全な悪魔……
知識はある。
魔猫であれ、魔熊であれ、悪魔化し人を喰らい続けると最終的には同じ悪魔になる。
「講義だけです……広範囲魔導陣で街を焼け野原にして、死んだ人の肉を魂ごと喰らうと……」
だから、野良魔獣を捕まえては悪魔化禁止の魔導陣を施し、ペットとして大切に育てる。
「そうだ……だから、ヴェーラの魔導陣は、最後の拠り所だ」
「……」
「契約局で悪魔化禁止の魔導陣を強化してほしい」
「……」
「これ以上、あのおばあさんのような犠牲者を出さないためにも」
「……」
頭では理解できる。
だけど心が拒否をしていた。
「契約局での仕事の方が、多くの命を救える」
「……」
もう、そう決められてしまった?
耐えていた涙が、一筋流れた。
私は何も言えなかった。
所長は私を見つめたまま、口を開くのを待っていた。
何度も口を開こうとして、声にならなかった。
それでも、最後に絞り出した。
「……ぐす……はい」
私は涙を拭った。
ここまで言われて、もう駄々はこねられない。
「……分かりました」
声が掠れた。
「大丈夫だ。ヴェーラがいる限り、俺は軍には戻らない」
「!」
目が知らずに見開く。
それって、この事件が解決しても?
解決したら、またドミトリ契約魔導師事務所に戻れるということ?
「だから、俺の魔導陣を封じられるヴェーラにもしもがあると、俺が困る」
「……所長」
また私の目から涙が流れた。
所長は私の頭を引き寄せた。
涙が止まらなかった。
湖面を渡る夕暮れの風が冷えてきていた。
所長は泣き止むまで、そっと私の頭を撫でてくれた。
「帰るか」
「……はい」
夕日が西の丘陵地に沈んでいく。
二人を乗せた単車は王都に夜の帷が降りる中、走って行った。
*
セレブリャンカ湖の翌日——
昨晩、アパートの前で所長は私に休みを言い渡した。
その次の日から、契約局勤めになる。
今日中に報告をキリルにしておく事になった。
午後からは、引越し。
今の部屋は引き取り、官舎に住むことになった。
まるで、あらかじめ決められていたかのようなスムーズさだった。
——悪魔化した魔狼の後から、所長とパーヴェルさんが考えてくれてた……?
そう考えると辻褄も合う……
だけど、納得はできなかった。
夜はぐるぐると疑念が渦巻いて、あまり眠れなかった。
朝、事務所に疲れた顔を出す。
私物は置いてはいない。
私は、半年余り過ごした事務所を眺めた。
提出する魔導陣記録の束をまとめていると所長とスヴェトラーナが同時に事務所に入ってきた。
スヴェトラーナは自然に、所長の隣に立った。
「……おはようございます」
「……おはよう」
「おはようございます。ヴェーラ師」
二人の声に嫌な妄想が浮かぶ。
ここには私の居場所はもうない。
泣き腫らした目を隠すように所長とスヴェトラーナから顔を背けた。
「ヴェーラ師、残念です。ヴェーラ師の顧客からは感謝の電話が何件もありました」
その表情と声は本当にそう思っていそうだった。
「……」
「ヴェーラ。契約局での経験は、君のためになる」
「……」
「契約局が嫌になったら、父の事務所はいつでも歓迎しますわ」
そこは、最初に面接で落とされたところ……
スヴェトラーナの言葉に、所長がすぐ重ねた。
「ヴェーラがまたここに戻ってこられるよう、俺は全力を尽くす」
「はい……」
私は改めて二人を見た。
逞しい所長と長身のスヴェトラーナは、悔しいけれどお似合いだった。
私とでは、とてもでないけれど釣り合わない。
暗澹たる気持ちになる。
でも、顔を上げた。
「私も契約局で、何か手掛かりがあったら、所長にすぐお伝えします」
「ああ、頼む。だが無理はするな」
「では、所長。必ずまた、ここに戻れると信じています」
私は所長と硬い握手を交わした。
そして事務所を出る。
振り返らない。
だって、必ず戻ってくるから。
「ドミトリさま……今日の予定ですが……」
スヴェトラーナのよく通る声が、閉まったドアの向こうで聞こえた。
……ドミトリ、さま?
胸の奥がざわついた。
私は一抹の不安を抱えて、事務所の入る建物を出た。
そのとき、聞き覚えのある声がかかった。
「ヴェーラちゃん! おはよう!」
「あ、おはようございます」
「最近、食べに来ないわね?」
下の食堂のおかみだった。
昼からの営業に備えて店の準備をしていた。
「忙しかったから。それで私、明日から契約局に勤めることになったんです」
「それは、おめでとう! そうそうマリーナちゃんから魔導封書を預かってるわよ」
そうして私はマリーナからの手紙を受け取ったのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
第一章「ブリニの従順」ドミトリ契約事務所編はこれにて区切りになります。
ヴェーラが「従う側」として歩いてきた物語はここで終わります。
次話から第二章「シルニキの拘束」契約局編へと移ります。
守るために従うのか。
それとも、縛ることで守るのか。
これまで張り巡らされてきた違和感や伏線も、少しずつ形を変えていきます。
ヴェーラの歩みを一緒に見守っていただけたら嬉しいです。
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引き続きよろしくお願いいたします。




