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契約魔導師のレシピ帖  作者: タキ マサト
一章 ブリニの従順

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11話 ある契約魔導師の一日、あるいはブリニの従順


 魔狼の一件から一週間が経った。

 あの日から、何も起きていない。

 それが、逆に不気味だった。


 ドミトリ契約魔導師事務所は、朝から依頼の電話が鳴り響く。

 連日、ペット魔獣の契約や魔馬の従順契約に走り回されていた。


 心配していた解析局や軍からの呼び出しはなかった。


「事務員を雇わないと、いけないな」


 所長が魔導電話の受話器を置き、ため息をつく。

 依頼書にペット魔獣の案件を書き出しながら、ぽつりと漏らした。


 その表情は浮かない。


「それとも、もう一人、契約魔導師を雇うか……でも、零細のうちには、誰も来ないわな」


 ぼやきながら依頼書を私に手渡す。

 忙しくなったことを迷惑そうにしている口ぶりだった。


「ヴェーラ、行ってくれるかな?」

「はい。所長」

 

 なんでも口コミが広がっていて、魔獣との契約がどこの事務所よりも優れているらしかった。


 文言の刻印をおざなりに書いていたため、契約内容が読めない魔獣すらいた。

 あれを上書きするのは大変だった。


——手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける仕事だ。


 面倒なわりに単価は安い。


 だが、魔獣は魔獣だ。

 いくら悪魔化を封印されていると言っても、何があるか分からない。


 魔狼の悪魔化の脅威を目の当たりにしたばかりなのだ。


「四番街のアパートに行ってから、山の手に行って、契約局に寄って書類を出してから、その後もう一軒行ってきます」


 私は依頼書と書類の束を鞄に入れて、所長に告げた。


「ああ、気をつけてな。と、また電話だ。はいこちら、ドミトリ契約魔導師事務所……」


 かつての軍の英雄が、こんな事務所でペット魔獣の案件の電話対応をしていると思うとなんだか可笑しかった。


 四番街のアパートの二階の呼び鈴を鳴らすと、綺麗な若奥様が出てきた。


「初めて、魔インコを飼ったのです」

「魔除けと社交運ですね」


 魔獣を飼うことは魔除けになり、また魔インコは幸運をもたらすとされる。

 実際、魔獣のいる家には野良魔獣は寄り付かない。


 もっとも王都で野良魔獣は見ないけれど。


「魔インコ! 可愛いですね」

「チー……チャン、カワイ……イ。チーチャン、カ……ワイイ」


 魔インコは若奥様の差し出した手に乗った。


「従順契約でいいですね?」

「それで、お願いします」


 私は左手に魔導を流す。


《一つ、悪魔化しない》


 この魔導陣の確認は、規則で定められている。


《一つ、来たれ、名を呼びし者に従え、ヴェーラの名において従順の契約を行う》


 私は丁寧に書き上げる。

 指先が滑り、文言が迷いなく刻まれていく。


「一つ、生地を薄く広げ、黄金の輪を描くまで、焼き上げよ」


 詠唱が終わるとともに、小麦の生地が焼ける香ばしい匂いが漂った。


「お昼は、ブリニ(薄焼きパンケーキ)にしようかしら」

「……チーチャン、カワイイ。チーチャン、カワイイ」

「あらあらチーチャン」


 若奥様は目を細めた。


「可愛い魔導師さま。お茶とお菓子は召し上がる?」


 このふんわりとした空間にもっといたかったけれど、午前中に契約局に行かないといけない。


 後ろ髪を引かれる思いで、お茶の誘いを断り、魔導バスに飛び乗った。

 次は山の手のお貴族様の家だ。


 お貴族様といえば、魔狼の件のお貴族様の息子は、男爵家継承権を剥奪され平民に落とされ王都から追放された。


 悪魔化した魔狼の実質的な被害はないとのことで、男爵家の家は残された。

 ドミトリ事務所への報酬は、かなりの額に上ったらしい。


 それは今月の給料に反映されると所長は言った。


——あの部屋から、引っ越せるかも……仕送りも増やせる。


 うきうきした気分で魔導バスを降りる。


 その老貴族は、自ら屋敷に招き入れてくれた。


「おお。あなたがあの魔狼との契約を結びし、英雄ドミトリ中佐のお弟子さんですな」

「はあ」


 話が混同されている。

——噂になっているのかもしれない。


「それで、魔亀ですね」

「そうじゃ、共有の誓約をお願いしたい。健康長寿の縁起物でな」


 広い玄関を抜け、居心地の良い応接間に通されると、大きな黒い魔リクガメがいた。


《一つ、悪魔化しない》


 鉄則の確認。

 万が一、悪魔化禁止の魔導陣がかかっていない魔獣がいないとも限らない。


《一つ、心を結び、汝ら想いを共有せよ、ヴェーラの名において契約する》

「一つ、生地に具を閉じ、黄金の衣を与え、温めて共せよ」

「……今日は、クルベイカ(具入りパイ)でも作らせようかの」


 香ばしい匂いが応接間に充満し、食欲を刺激する。


「共有の誓約を行いました。お代は銀行振込でお願いします」


 あの連唱から、一度も詠唱はレシピ以外のものになったことはなかった。

 といっても私はレシピを唱えている意識はないけれど。


 でも、みんなの驚く反応が楽しみにもなっていた。


 老貴族は、帰りにチップとお土産をたっぷりとくれた。


——契約魔導師も悪くない。


 このお土産の葡萄酒は、所長がきっと喜ぶ。


 鞄にお土産を詰め込んで、契約局に魔導バスで向かう。

 契約局に着くと、一ヶ月分の魔獣の契約と契約解除のリストを提出した。


 局員が、わずかに眉を寄せた。

 奥でこちらを見ながら、何かを囁いている。


 噂になってる……?


 帰り際、入り口で見覚えのある人物とすれ違った。


「パーヴェルさん! お久しぶりです」

「おう! ヴェーラ師。ドミトリの奴は元気にしてるか?」


 パーヴェルは所長の学院同期の上級契約魔導師。

 あの蛮族の奴隷契約で連日、契約局に行っていたときに仲良くなったのだ。


「まあ、あいつのおかげでヴェーラ師という凄腕の契約魔導師を見出したんだから、軍を辞めたのも、良かったのかもな」


 そう言ってパーヴェルは笑った。


「凄腕なんて、私はまだまだです」


 そう言ったとき、パーヴェルは声をひそめた。

 その顔が、真剣になる。


「……悪魔化した魔狼への契約。あれ、噂になってる」

「……パーヴェルさん? なんのことですか……?」


 誤魔化そうとした私は、その眼力に言葉に詰まった。


「まさかな……悪魔化した魔狼と契約したなんて、ありえないよな?」

「……」


 私は何も言えなかった。

 所長とのあの場でのやり取りが思い浮かぶ。


 一人でやったのではない。

 否定も肯定もできない。


 でも、その沈黙は否定をしていなかったことに気がついた。

 パーヴェルは小さく息を吐いた。


「気をつけたほうがいい。……何があってもドミトリと離れるな」

「……でも、大丈夫ですよ? この一週間は何事も起きなかったわけですし……」


 最後の方の言葉は掠れた。

 あれから何事もなく契約に回っていた。

 危険なことなど、何一つなかった。


「軍の上が動いている……契約局の魔導陣記録を調べている奴がいる」

「……」

「気をつけろ」

「……ご忠告ありがとうございます」


 私は精一杯取り繕って笑顔を見せた。


 でも、何に気をつければいいの?


 確かに悪魔化した魔狼に魔導陣をかけたけど、あれは所長との連唱だ。

 私一人の力ではない。


 午後も何事もなく一軒の魔獣の従順契約を済ませる。


 ほら、何事もない。


 帰り道、郵便局に寄った。

 今月の仕送りと、エフロシーニャ師への手紙を出す。


 先月は返事がなかった。

 老師は達筆だから、目が悪くなったのかもしれない。

 それとも、故郷の冬はまた厳しかったのか。


 でも、あの人が返事をよこさないなんて、初めてだった。


 ポストに封書を落とす。


 この謎の魔導陣と詠唱の話。


 老師なら、何か知っているかもしれない。


 どうか、いつまでも元気でいてください。


 私の行く道に、焦げ臭い影が漂っているような気がして寒気を覚えた。



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