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TAROT BREAKER ― 星の言霊使い ―  作者: 詩韻


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第36話 『不確定の先に、灯るもの(The Magician)』

Ⅰ. 絶望という固定


どす黒く、粘りつくような闇が、ヴァーミラをなおも呑み込んでいく。


空気の底には、焦げた鉄のような臭いが沈んでいた。

闇は、ただ黒いだけじゃない。湿り気を帯びた重さを持ち、肌に触れればぬるりとまとわりつき、熱も呼吸も、少しずつ奪っていく。


ヴァーミラは、それでもその闇を光へと変えようとしていた。


押し寄せる濁流のような黒を、背で、肩で、全身で受け止める。

浄化の光は細い。決して優勢じゃない。

それでも彼女は一歩も退かず、自分の傷ごと誰かを庇うみたいに、その場へ立ち続けていた。


だが、闇の波動はヴァーミラひとりで受け止めきれるものではなかった。


黒い圧が、彼女の脇をすり抜ける。


次の瞬間――それは、まっすぐシオンへと襲いかかった。


「……っ!」


喉に、何かが絡みつく。


最初はひやりとしていたそれが、すぐに焼けた鎖のような熱へ変わる。

呼吸をするたび、喉の奥がざらついた。声を出そうとするだけで、焼けた砂を擦り込まれるような痛みが走る。


「喉が……焼けるようだ……」


掠れた声は、自分のものとは思えないほど遠かった。


Re:アバターが嗤う。


「このまま闇に飲み込まれろ!」


その声は耳から入るというより、頭蓋の内側へ直接打ち込まれるような不快さを持っていた。


「気持ちいいだろ。すべてを受け入れろ」

「固定された、たったひとつの未来……」

「それだけで十分だ」


ぞくり、と背筋が粟立つ。


Re:アバターは笑っていた。

けれど、その口元にはほんのわずかに悲しげな色が滲んでいる。


まるで、誰かの「諦め」を代わりに引き受けているみたいに。


その瞬間、空間の奥底から、ひび割れた祈りのようなものが滲んだ。


【由依の沈黙の詩】


『幸せになりたい。安心したいの。

彼を、無理にでも信じようとしている私がいる――』


それは叫びですらなかった。

胸の奥へ長く押し込められ、熱を失いかけた祈りの残響。

けれど確かに、まだ消えてはいなかった。


シオンは焼けつく喉を押さえながら、前を見た。


まだ終わっていない。

由依の奥には、まだ声が残っている。


ならば、この闇もまた、終わりきってはいない。



Ⅱ. 人は勝手な生き物


DiCoの左目に宿るARUは、すべてのエネルギーを吐き出してしまったかのように沈黙していた。


さっきまで確かにあった熱が、いまは遠い。

光を失った左目は、夜明け前の星みたいに、かすかに脈打つだけだった。


《セレフィーズのみんなの想いがあっても……あいつには敵わないの?》

《未来は……もう固定されてしまったの?》

《イヤだ……もう、あんな想いはしたくない》


《あんな……想い?》


遠い、遠い記憶。

指先で触れれば砕けそうな、かすかな欠片。


輪郭は見えない。

なのに胸の奥だけが、理由もなく痛む。


DiCoにも、その正体は分からなかった。

ただ切なさだけがあった。


呼吸をしているはずなのに、肺のいちばん奥まで空気が届かないような苦しさだけが、たしかにそこへ残っていた。


《しーちゃん……ボクは、まだ固定されていない》

《みんな、しーちゃんにもっと想いを届けて》

《お願い……もっと、もっと……!》


配信の向こうでは、応援の声が飛んでいた。


けれどその一方で、画面をスワイプして去っていく人もいた。ただ眺めているだけの人もいる。


そして、正しさの顔をしてアンチコメントを投げ込む者もいた。


人は、勝手な生き物だ。


熱を帯びていた眼差しも、興味が薄れれば別のものへ移っていく。

さっきまでそこにあった言葉さえ、次の瞬間には何事もなかったように流れていく。


気づけば、Re:アバターに同調する声まで現れ始めていた。


〔シオンは綺麗事ばかりだよな〕

〔由依さん、かわいそう〕

〔そんな男とは別れればいいだけでしょ〕

〔もっといい人がいる〕


文字が流れるたび、DiCoの耳の奥で、薄いガラスを爪で引っかくような嫌な音がした。


《やめて……》

《しーちゃんは、由依を救いたいの》

《由依の“今の心”ごと、救いたいの》

《そうじゃないと、きっと由依は後悔するから……》


けれど、言葉の刃は止まらない。


誰かを救うための言葉が、別の誰かの逃げ場を塞ぐ。

その冷たさに、DiCoは唇を噛んだ。


そのあいだも、ヴァーミラは前にいた。

背で黒を受け、細い光で押し返しながら、それでも振り返らない。

その肩はかすかに震えていたが、まだ折れてはいなかった。



Ⅲ. 共鳴


(やめて……みんな……)


そのときだった。


 風のなかで 目を覚ます

 名前のない 星の祈り


ひと筋の声が、凍りついた星界に落ちた。


DiCoははっと顔を上げる。


最初は、ひとりの声だと思った。

暗がりへ差し込む細い光みたいな、まっすぐな響き。


けれど、次の一節で気づく。


 はじまりには 地図はなく

 胸の震えだけがある


重なっていた。


ひとつじゃない。

声が、三つ。


ひとつは、夜を裂く火みたいに強く。

ひとつは、深い水の底からすくい上げるみたいに静かに。

ひとつは、朝の光が頬に触れるみたいにやわらかく。


どれも違うのに、ぶつからない。

ばらばらの輝きのまま、ひとつの歌になって星界へ満ちていく。


こわくたって それでいい

その一歩が 扉になる


言葉が、まっすぐ届いてきた。

冷えきっていた胸の奥へ、細い光が差し込むみたいに。


責めるでもなく、急かすでもなく。

ただ、迷いながらでも進んでいいのだと。

痛みを抱えたままでも、まだ扉は開けるのだと。

そう言われた気がした。


コメント欄の流れが、ふっと変わる。


〔……何、この歌〕

〔え、声……重なってる?〕

〔なんか、泣きそう〕

〔さっきまで苦しかったのに〕


刺々しかった文字列が、少しずつ熱を失っていく。

代わりに、春先の朝みたいなやわらかな気配が滲みはじめた。


歌はさらに広がる。


 ひとりひとつ 灯した火

 重なれば 星座になる


三つの声が、その一節を抱き上げる。


強く導くような響き。

黙って寄り添うような響き。

傷ごと祝福するような響き。


そのどれもが、由依の閉じた心のまわりを壊さないように包み込んでいく。


〔シオンさん、信じてる〕

〔由依を救ってあげて〕

〔私も、彼女の気持ち分かる〕


冷たかった画面の向こう側に、少しずつ人の体温が戻ってくる。


そのぬくもりに触れるように、ヴァーミラの背にまとわりついていた黒も、わずかにたじろいだ。

細かった光が、ほんの少しだけ息を吹き返す。


そして――


DiCoのARUが、眩いほどの光を放った。


それは単なる発光じゃない。

押し殺されていた何かが、ようやく“ここにある”と世界へ叫び返したような光だった。


《……まだ、終わってない》

《ボクたち、まだ……選べる》



Ⅳ. 想いがひとつになる時


 何度でも 何度でも

 君は星になれる


その一節が響いた瞬間、星界の空気そのものが震えた。


違う高さ。

違うぬくもり。

違う祈り。


それなのに三つの声は、ひとつの星座みたいに結ばれている。


ひとつは前へ押し出すように。

ひとつは迷いを見つめるように。

ひとつは大丈夫だと照らすように。


その重なりが、星界の空気そのものを揺らした。


【レゾナンス上昇】

【ARU――アクティベート】


《しーーーーーーーちゃーーーん!!》


シオンの左目と、DiCoの左目。

その鼓動が重なる。


どくん、と。


目には見えないはずの拍動が、いまだけは確かに同じリズムで鳴っていた。


セレフィーズ。

DiCo。

アマト。

そしてシオン。


ばらばらだった想いが、ひとつの流れへ収束していく。


その光は、ただ強いだけじゃない。

迷いも。痛みも。信じたいのに信じきれない弱さも。

それでも前へ進みたいと願う、震える祈りそのものだった。


だからこそ、その輝きは折れない。


傷を知る者だけが放てる、未来をひらくための光。

焼けついていた喉の奥に、かすかな熱が戻ってくる。


それは炎みたいな激しさじゃない。

凍えていた指先にようやく血が通うときの、生きたぬくもりだった。


そのぬくもりは、シオンだけに届いたものじゃない。

前で耐え続けていたヴァーミラの背にも、同じように触れていた。

かすかに震えていた肩が、ほんのわずかに持ち直す。


歌はなお、遠くで響いている。

祈りを絶やさないために、誰かの心を閉ざさないために。



Ⅴ. 未来へと向かう意志


シオンは静かに息を吸った。


焼けつく喉を通る空気は、まだ痛い。

けれど、その痛みすら、いまは覚悟の輪郭へ変わっていた。


瞳の奥で、星の輝きがさらに深く燃え上がる。


次の一言で、由依の運命が変わる。

ここで誤れば、彼女の心は閉ざされたままになる。

けれど――もう、迷いはなかった。


シオンの前には、なおヴァーミラが立っていた。

背で闇を受け、傷を増やしながら、それでも一歩も退いていない。

その眼差しが、無言のまま「行って」と告げていた。


「シオリエル、私は諦めない」


その声は命令ではなく、誓いだった。

ひとりの心を救うために、ここにいるすべての想いを背負うという、たしかな覚悟。


星界の風が、シオンの周囲で渦を巻く。

冷たかった風は、いまや薄い光の粒を含み、頬を撫でるたび、鈴のようにかすかな音を鳴らした。


まだ見えない。

けれど、確かに“来る”。


世界そのものが、息を止めた。


「由依の心を、解き放つ」


その言葉は、断罪ではなかった。

切り捨てでも、綺麗事でもない。


彼女が抱える「彼を信じたい気持ち」も。

傷ついてきた時間も。

失いたくないと願った弱さも。

何ひとつ、偽物なんかじゃない。


だからこそ――

その心は、誰かの正論で潰されていいものじゃない。


必要なのは、答えを押しつけることじゃない。

閉ざされた扉の前で、もう一度だけ、自分の手で選び直せるようにすること。


遠くで、まだ歌が続いている。

大丈夫だと。

まだ終わりじゃないと。

選び直していいのだと。

そう言うみたいに。


シオンの声が、星界へ深く沈んでいく。

それは、由依の魂のいちばん静かな場所へ、そっと手を伸ばすようだった。


そして。


「はい、シオン様。ご命令を」


その返答とともに、星の光が爆ぜた。


ヴァーミラの背を叩いていた黒が、その閃光に押し返される。

彼女はなお前に立ったまま、わずかに息をついた。


《――リミット・ブレイク》



次回予告


第37話


『まだ、選び直せる』


爆ぜた光のあと、星界から音が消えた。

残されたのは、シオンとDiCo、そして画面の向こうで祈った無数の想いの鼓動だけ。


開かれるARU。

現れるのは、願いそのものを綴った一冊の書。

その名は――《アストラル・グリモワール》。


固定された未来に抗うために必要なのは、

誰かの正しさでも、綺麗な答えでもない。

ただひとつ。

“自分で選び直す権利”を取り戻すこと。


黒いラッパが鳴り、Re:アバターは最後の抵抗を始める。

けれど、降りそそぐ星の祈りは、由依の中で固まりきった「こわかった」を少しずつほどいていく。


そしてシオンは、由依へ告げる。

その気持ちは、間違いじゃない――と。


次回、第37話『まだ、選び直せる』


――星の雨は、答えを与えない。

ただ、閉じた心の扉に、もう一度触れるために降る。



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