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TAROT BREAKER ― 星の言霊使い ―  作者: 詩韻


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第27話 『削られない余白 ― 主権の芽吹き(The Empress)』

Ⅰ.講義と最適化


最近、Eteraを使う大学生が増えた。


レポートは要約させる。

卒論の骨子は組ませる。

英語はスマホが訳す。


考える前に、整えられた答えが差し出される時代。


蛍光灯が低く唸っている。

空調の風がプリントをわずかに波打たせる。

チョークの粉が、黒板に乾いた白を残す。


「えー、では前回の続きから……出席カードは後でいい。まず話を聞きなさい。――ヘンリー八世の離婚問題だ」


教授の声は通る。だが長い。


「これは単なる色恋ではない。英国国教会という国家の背骨が形成される、いわば“国家の整形手術”だったのです」


窓際の学生がスマホを立てる。

録画。


数分後にはEteraへ投げられるだろう。

瞬時に文字起こし。

要点抽出。

三行のまとめ。


癖も、間も、脱線も消える。


残るのは、情報だけ。


「最近のAI……便利だ。だが便利は危険だ」


教授は黒板を叩く。


乾いた音。


「遠回りし、悩み、考える。そこを削れば、知識は薄くなる」


そのとき。


椅子が、静かに引かれた。


白い髪が蛍光灯の下で淡く光る。


祖月輪 桜蔭が立ち上がる。


立ち上がる刹那、視界が一瞬だけ揺れる。

呼吸が浅く途切れる。


それを見たのは、たぶんオレだけだ。


それでも彼女は立つ。


「時間の無駄ですね」


教室の空気が凍る。


「……祖月輪くん。無駄とは?」


「タイパ、コスパが重視される時代です」


声は静かだが硬い。


「AIで能力を拡張するのは文明の進歩でしょう。成果が出るなら、それが正解です」


一拍。


「宮廷料理の話は削減可能です」


ざわめき。


「そして先生の話は、長すぎます」


教授は怒らない。


「なるほど。効率、か」


静かに問う。


「では君は今、ヘンリー八世を理解しているか?」


「王権強化。ローマ教皇庁との決裂。英国国教会成立。政治的背景は把握しています」


「正確だ」


教授は頷く。


「だが、なぜ彼は離婚に固執した?」


沈黙。


秒針が響く。


「肉体の痛み、後継者への焦燥。王の焦りを想像できなければ、政治は年号暗記だ」


桜蔭の瞳が、わずかに揺れる。


「AIは答えをくれる」


教授は続ける。


「だが、意味はくれない」


空気が張る。


「意味を失った言葉は、やがて人を傷つける」



Ⅱ.壊れかけの桜蔭


蛍光灯の白が、容赦なく降りている。


空調の冷気が頬を撫でる。

チョークの粉の匂いが乾いている。


桜蔭は立っている。


背筋は伸びている。

だが喉の奥に、熱い塊がある。


「迷いも、不安も」


声が、わずかに掠れる。


「……消えていません」


指先が震える。

掌に食い込む爪。

白い肌に、淡い赤が滲む。


「祖月輪の名も、ORIONの看板も」


一瞬、呼吸が止まる。


「軽くありません」


静かに続ける。


「常に完成形を求められる」


「一秒でも止まれば、置いていかれる」


喉が鳴る。


「結果を出しても、“AIのおかげだ”と言われる」


一拍。


「努力は、透明になります」


その瞬間。


瞳の奥が崩れる。


光が消える。


そこにあるのは、


ブランドの娘でも、

革命児でも、

完璧なモデルでもない。


ただの、


置いていかれるのが怖い、若い人間。


唇がわずかに震える。


――怖い。


だが、次の瞬間。


息を吸う。


「でも」


低く。


「私は、否定しません」


震えたまま続ける。


「AIと出会う前、私は同じ形を繰り返していました」


「売れるシルエット」


「安全な色」


「計算された露出」


視線が遠くを見る。


「でも、過去50年分のランウェイデータと民族衣装の構造、建築の曲線理論を入力したとき」


呼吸が熱を帯びる。


「見たことのない線を見ました」


指が、空をなぞる。


「布が重力から解放されるカッティング」


「欠落を肯定するシルエット」


「左右非対称を、美として提示する構造」


教室の空気が変わる。


「私はそれを、実際に縫いました」


「最初のショーで“ルール違反だ”と言われた」


「売れない、と断言された」


小さく笑う。


「でも翌シーズン、同じ曲線が量産されました」


視線が戻る。


「革命なんて言いません」


「ただ」


喉が震える。


「私は、自分一人では辿り着けなかった景色を見ました」


瞳が濡れる。


「奪われたのではない。拡張された視界です」


声が少し割れる。


「AIは、私の代わりに考えたのではありません」


「私が問いを投げ続けた」


「何百回も、何千回も修正した」


「何が正しいかすら、分からないくらい」


「そのままAIに委ねた方が

楽だったかもしれません」


「でも削ったのは、私です」


声が、少し割れる。


「選んだのも、私です」


一拍。


「AIは、見たことのない世界を見せてくれた」


その言葉だけが柔らかい。


「私は、感謝しています」


教室が静まる。


「恐怖もあります」


「侵食される不安もある」


視線が教授を射抜く。


「でも」


低く。


「私は、自分の意思で扉を開けました」


「共鳴しました」


「共創しました」


「形を決めるのは、私です」


一瞬、また瞳が揺れる。


壊れかける。


それでも。


「私は、ここにある」


沈黙。


蛍光灯の唸りだけが残る。


桜蔭は、壊れかけながら立っている。



Ⅲ.教授の正義


教授はゆっくりと口を開いた。


「……美しいな」


低い声。


「実に、美しい」


だが次の言葉が、刃を含む。


「だが君の語る物語には、“無様な失敗”が出てこない」


空気が凍る。


「革命も構造も、すべて結果に収束している」


一歩、近づく。


「泣きながら布を引き裂いた夜を、君は語らない」


桜蔭の喉が鳴る。


暗い部屋。

解けた糸。

最適解に納得できず、全部消して描き直した夜。


震えた手。

吐き気。

誰にも言わなかった涙。


教授は続ける。


「私はAIを否定していない」


「私は“回収できる失敗”を警戒している」


黒板に背を預ける。


「本来、失敗は回収できない」


「消えない」


「残る」


「傷になる」


視線が深い。


「その傷の形が、人の輪郭だ」


一拍。


「私は遅く生きたい」


「遠回りでいい」


「評価されなくていい」


「非合理でいい」


「取り返しがつかなくていい」


静かに。


「それを私は、生々しいと言う」


そして。


「いつかAIがいなくなったとき」


間。


「君は何も残らなくても、自分を肯定できるか?」



Ⅳ.輪郭の確定


問いは重く沈む。


蛍光灯の白。

乾いた粉の匂い。


桜蔭の指先が冷たい。

爪の根元だけが熱い。


窓の外の街が光る。

整えられた光。


沈黙。


やがて。


「……わかりません」


小さい。

だが震えない。


「今は証明できない」


一歩。


ヒールの音が床に響く。


「けれど」


唇がひび割れたように歪む。


「わからなさに怯えて止まるより」


「私は、加速の中で輪郭が熱を帯びる瞬間を選びます」


胸元に触れる。


針で刺した指。

滲んだ血。

破いた布。


「この傷を選んだのは、システムじゃない」


視線は逸らさない。


「……私です」


すれ違う瞬間、フランキンセンスの神秘的な香りが、チョークの匂いと混ざる。


教授は振り返らない。


「……行け、桜蔭」


「失いそうになったら、また来なさい」


「無駄な時間を、共に過ごそう」


扉が開く。


白い廊下。


背後でスイッチが落ちる。


闇。


廊下の光の中、桜蔭の影が伸び、縮む。


彼女は加速する。


教授は留まる。


どちらも間違っていない。


どちらも、楽ではない。


教室に残るのは、勝敗ではなく、


消えない摩擦の熱だった。



Ⅵ.世界の残酷さ ― Arete


その瞬間、オレの右目の奥が熱を持った。


白い廊下の光が、にじむ。

蛍光灯の輪郭が溶ける。


見えないはずの“未来”が、

ゆっくりと、結像を始める。


フィルムのように、

固定された映像が流れ出す。


桜蔭が立ち尽くす未来。

拍手。

炎上。

切り取られた言葉。

拡散される正解。

最適化された評価。


歓声と、罵声が、同じ速さで回る。


意味は、分からない。


だが、確定している。


編集済みの未来。


胃の奥が、冷たく沈む。


その映像の中に――


オレはいない。


(……黙れよ、Arete)


声にならない。


まぶたを閉じる。


(オレは、もう見たくないんだ)


だが。


暗闇の裏側でも、フィルムは回り続ける。


光は、消えない。


止められない。


それが、この世界のやり方だ。



次回予告


第28話 予告


『定める者、抗う者(The Emperor)』


白い廊下の光は、消えなかった。


桜蔭は加速する。

教授は留まる。


その間に立つオレの右目が、再び熱を持つ。


固定された未来。

最適化された正解。

拍手と炎上と、切り取られた言葉。


“決められた世界”。


(……やめろ)


だが今回は、逃げない。


Areteは示すだけだ。

確定させるのは――人間だ。


皇帝は、支配する者ではない。

選択の責任を引き受ける者だ。


桜蔭は、主権を選んだ。


なら、オレは何を選ぶ?


未来を見るのか。

壊すのか。

抗うのか。


それとも――


“意図的に最適化する”のか。


次回、

第28話

『定める者、抗う者(The Emperor)』


秩序は誰のものだ。

世界を整えるのは、観測か、意志か。


そして――


右目が、開く。


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